第45話 探索! 記憶占める街。鶴聞っ!
『ねぇ、この匂いって何?』
「う、あ……やめてください。お姉さん」
「フフ、少しは我慢しろ童?」
ガタンゴトンという列車の走行音に交じって、ピチャ、ズチュッと水音が小さく響く。
『魚介? というか……イカのような匂いが……』
「妾もどうしても抑えられんでなぁ。なぁに、童もその気なら、好きなだけ味わっていいのじゃよ~♪」
「だっ……て、こんなのところで……」
『って、ちょっと待って? こんなところであの人何しているのっ!? こんな満員なのに』
「や、やめて……他のお客さんたちが見て……あぁ、そんなっ!」
「ん~! おっほ♡」
そして、ゴクリゴクリと喉が鳴った。
「あぁ、しゃぶっているだけで、こっちが気持ちよくなってくるわい。残念なのは、童が気持ちよく思ってくれないことだけじゃが……」
東海道線のボックス席。
都内に向けた出勤者であふれかえった、乗車率200パーセントは超える時間帯。
「当たり前じゃないですかっ! 通勤ラッシュの満員電車のボックス席で、何カップ酒
「うるさいのぉ。三縞から横破魔、東京と、一時間半かかる。100キロ以上離れているじゃろ? ならもはや旅じゃ。車窓から景色眺めて、酒をかっ喰らってツマミを
「他のお客さん迷惑してんの! 仕事に学校に、憂鬱な気分で向かってんの! そんな人たちの前で、何
「ええい。こっちは旅目的で電車に乗るのじゃ。通勤会社員気にして、酒もツマミもとれぬとは。それこそ、他の者から妾が迷惑を被っているということと知れぃ!」
「ああ言えばこう言う!」
ねぇ、誰かこの状況。助けてくれませんか?
美少女小隊員たちとの関係をぶち壊してしまって。トモカさんも悲しませてしまって。
正直、胸のモヤモヤは気持ちの悪さを覚えるレベルではあるが、実はその一方で、ここ数か月身に起きていた面倒事がなくなったのには、ホッとしていた……はずなんだ。
一難去ってまた一難。
「一難去ってまた一難」
「心を読まないでください! しかも同時に発言しないでくださいっ!」
『何アレ。連れ?』
『連れなわけないじゃん。釣り合ってなさすぎでしょ』
『車内でスルメとか勘弁してくれよ。イライラしてきた』
『連れだったら止めてよ。こっちは迷惑しているのに』
ひぃ。お姉さんがよくても、俺が困るんだよっ!
って、また
二本目、缶チューハイだった。
プルタブをシュカっと開けたそのときだ。明らかに、周りは一層ざわめいた。
「っとに、童はもう少し楽観的に物事を考えられないのかえ?」
もちろん俺は周囲に向かって頭を下げまくった。
どうにもここまで来て、他人のフリも出来そうになかったからだ。
「緩めるところは極めて緩み。締るところで一気に締める。そのギャップこそ、
なんか言っているけど全然聞こえてこねえよ。こちとら謝罪に必死だからな!
ねぇ、わかる?
乗車率うん百パー超えている中、四人用ボックス席に、俺とお姉さん二人しか座っていないこの状況。
避けられているんだからねっ!? 酒と、スルメの匂いがきついから。
「おっと!」
「わぁっ! お姉さん何こぼしてんのぉっ!」
「まぁまぁ、ちょっとしたアクシデントじゃて♡」
「ハートつけてもごまかせないときってのはあるんですよっ!」
なぁ、なんだろう俺。
女難の相でもあるんだろうか。
床にこぼれた酒が、電車の揺れによって他の乗客の足元に流れていく。
不快気な空気は、いつ爆発してもおかしくない怒気に変わって……
俺は、そんな空気の中、しかし空気を読まないお姉さんに絡まれながら、目的の駅まで一時間半の時を過ごすしかなかった。
た、助けてくれぇぇぇ!
◇
「解せん……」
「んーわぁらしぃ♪ ククッ♡」
「解せんっ!」
皆さん、どうもです。
あの、山本一徹です。
目的の駅に着きました。
そして、お姉さんは上機嫌で笑いながら、俺の腕にまとわりついてきます。
「それで……どこに行くのかのう?」
「いや、あの……」
「ここに至るまで長時間を掛けたのじゃ。少し休憩せぬかの?」
「休憩、いいかもしれませんね。ファミレスとかカフェとか。カフェイン
人の目が、痛いです。
電車折りて、駅建物から広場に出たところ、お姉さん抱き着いてくるものだから。
「爆ぜろリア充」、「死ねばいいのに」、「警察に電話だ」なんて。通りを行く皆様から鋭い目を向けられてます。
「
「この、ビッチめ」
「お、口に出せば許してもらえるほど、妾は優しい女だと思うなよぉ? 童♡」
「く、くふぅっ!」
あまりの面倒くささに、肩にもたれかかるお姉さんを感じつつ、思わず右掌で目を覆っちまう。
(どーしてこうなったぁ!)
「ビールやチューハイロング缶が六本にカップ酒が三。どう考えても電車内一時間半でその量はおかしいだろ。五百
朝っぱらから、通勤ラッシュのなか、合計四リットル以上。
他の皆さんが憂鬱な一日を始める
いや、酒に身を浸す……違う。溺れていた。
(このままじゃ良くないな。さっきからお姉さんのペースに飲まれっぱなしだ。何のために来たんだ俺は。こうなりゃいっそ……)
「いま、この妾を置いて童だけどこぞに行こうと考えたの?」
「ツ~ッツ! だから、心を読まないでくれとあれほど……」
クソッ、あきらめるしかないか。
隠し事は、お姉さんにはできないみたいだ。読まれてしまう。
なら、お姉さんを引っ張ってでも俺は、目的を果たすしかない。
「それともまずはタクシーでも呼ぶかの? 行きたいところがあるんじゃろ?」
「そこまで気づいてタクシーを呼ぼうとするとか。聞くまでもなさそうですが、お姉さんは俺がこの場所に来た理由、わかってるんでしょ?」
「当然じゃ。言ったじゃろう? 暇つぶしになりそうで面白そうじゃと」
おい、腕に頬スリスリしないでくれませんか。
でも、あらかた気付いているらしい。
わかったうえでついてきて、タクシー手配しようとまでしてくれるなら、あくまでこの町を色々回りたい俺の目的は分かっているようだ。
「記憶がないんじゃろ? というより、『記憶がない』と、誰かに言われている」
「疑いたくはないんですが、それでも最近気になってしまったことが多くて」
「童には、過去の記憶がある」
「ハイ。でもそれは、誰かの記憶がどういうわけか俺の中にあるということで、俺の物ではないらしい」
「信じられぬのじゃろう?」
「心が反応してしまって。思い出した記憶が、時にとても他人事じゃないように思えてしまうんです」
「ふぅむ」
邪魔をするつもりもないらしい。
だからあらかた、口頭でもちゃんとお姉さんに伝えて見せた。
お姉さんは、薄く笑って、俺に潜り込むように、肩口に顔を埋めた。
「二つ、聞いてよいかの?」
「聞くまでもないでしょう?」
「時に、心を覗くよりも、直接口からききたいこともあるのじゃよ」
うげ、か、可愛いじゃねぇか。
腕に顔を埋めてから、すいっと顔を上げるお姉さん。
見上げられた俺としては、年上の
「もし仮に、今日の童の行動の結果、童に記憶がないことが偽りであったとき。嘘を教えた者に対し、何を想うのかのう?」
「それは……」
「怒り? 恨み? はたまた
「あり得ない」
だが、思いのほか、その言葉は驚くほどすんなり出てきた。
「大切な人ですから」
「ほぅ?」
スッと、お姉さんの目が細くなる。
「事故で、家族全員を失った俺を引き取ってくれました。実家が温泉旅館を営むいい旦那さんがいて、自身も女将仕事で忙しいのに、色々気にかけてくれる」
心が読めるはずなのに、何処か俺の言葉から真偽を図ろうとしているかのようだった。
「お子さんが、お腹にいるんです。旦那さんがいて、その人がいて、お子さんが生まれる。ちゃんとした一個の家族であるはず。はじめは、そんな完成された家族に厄介になるなんて気が引けましたけど……それでもその人は、迎えてくれた」
別に構わない。
俺の言葉を聞こうが、俺の心を読もうが、それだけは偽りはないから。
「その話の中に、偽りがあったとしたら、それは、何かきっと理由があるはずなんです。俺を守るための嘘。そう思うようにしてます」
ちゃんと、見上げてくるお姉さんの目を見つめ返し、はっきり伝えて見せた。
どうだコノヤローと。
「矛盾しておる。それが偽りか誠かは別として。そこには童に対する心配がある。それを、童は引きちぎる」
「……ハイ」
「二つめ。童がそこまで想う相手。信頼……しているのじゃなぁ」
たとえ、たとえ、俺のかつての記憶に……
「おかしいのう。六人の娘に囲われる童の
「なぜでしょうかね。姉さんだけは変なんですよ。これまで生きてきた十八年の記憶に、そんな親族はいないのに、妙に他の奴らより不安がないんですから」
自分でも、よくわかってないんだその辺。
それでも、これまでしか言えない。これで答えになるだろうか?
「……合格じゃっ♡」
と、その言葉を聞いた……次の場面。
「ん?」
「ムチュ~」
「んんんんんんっ~~~~~!!」
お姉さんの顔。いんふろんとおぶみー。
というかだ、超絶近すぎる!
というか……だ。
まうすたっちまうすぅぅぅぅぅぅっ!
「なぁぁぁぁあぁぁぁぁっ!」
舌に感じるのは、スルメの塩っ気と、アルコールの苦みと香り。
慌てて、お姉さんを引きはがす。
いや、剥がした俺の反応は、間違っていないはず。
「い、いったい何をっ! いきなり……キ、キスって!?」
「……うむ。青少年時代も
お姉さんといやぁ、ニヒヒっと楽しそうにハニカんでやがりますぅぅ!
「やはり女には優しいの。まぁ、女子すべてに優しい優柔不断さは、生来のものだと改めて感じたがのぅ」
「人の話を聞いてくれぇぇっ! お姉さんっ!」
「止水じゃ」
「えぇっ?」
「
あぁ、とことんこの姉ちゃん、人を振り回してくれやがるっ!
「止水……さん?」
「おう、なんじゃ童?」
「いや、俺にも名前くらい」
「いまの童は童で十分じゃ。妾は妾で、童としての童と、今日は仲良く宜しくしたいからのぅ」
マ・ジ・で・意味わからねぇ。
つーか、絶対に止水って名前、偽名だ。
日本人の顔じゃねぇもの。系統的には、ナルナイやアルシオーネに近いものがあるし。
「いまや世界はグローバル。そんな差別的な目でいては、時代に乗り遅れるぞ? 童っ!」
「あ、ちょっと。止水さん!」
「さぁ、行くとしようか。童に記憶深い……この鶴聞の街を」
(どうにも、俺が予想した今日という日は、こうじゃなかったんだけどなぁ)
なぜか今日初めてあった止水さんに、誘拐されて。指一本一本が絡まる恋人繋ぎを強制されて、引っ張られていた。
そうして、『誰かの物』だといい聞かされている記憶の中でも、大部分を占める、神奈川県横破魔市、鶴聞の街を一歩踏み出す。
口と舌に、ずっと残る甘い痺れを感じながら。
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