第42話 やばいっす。身の置き所がないんすっ!
「おかえりなさいませっ! ご主人様♡(ニパッ!)」
「お、おう。ただいま」
授業を終え、訓練も終え。最近よく、《主人公》と赴いている市内への挨拶回りも終え、下宿に帰ったばかりの俺。
はつらつとした笑顔で迎えてくれるメイド修行中のナルナイ(格好はホテルの仲居さん姿)には、一向に慣れない。
(が、それよりもだ)
「お、おか……おかえ……」
(コイツだよ)
「おかえ、おかえり……」
(がんばれっ! 頑張って~アルシオーネッ!)
「帰ってきやがったな? 達者にしてやがったかコラッ!?」
「違います」
「アウッ!」
屈託ない笑顔で、帰宅時声を掛けてくれるナルナイも嬉しいが、むしろ慣れないキャラを何とか演じようという、アルシオーネの必死さの方が、面白かったりする。
恥ずかしそうな顔を真っ赤にして、ちょーっと涙が浮かんだ目が、ぐるぐる回ってる。
こんなこと言っていいのか知れないが、珍しく可愛げというのが現れていた。
「ストレーナスお嬢様。主人を想うのは構いませんが、あくまでもメイドは、主人の家族ではありません。一定の距離感を保つ意識は忘れないでください」
「で、でも……」
「グレンバルドお嬢様の方は、語らずともお分かりですね?」
「うぐぐぐぐ……」
「論外です」
「ああもうっ! わかってるよクソォッ!」
「お嬢様がたお二人とも、名のある武家のご息女でしょう? 使用人がどのようだったのか、イメージができるはずですが」
羞恥に耐え切れずはっちゃけるアルシオーネの後頭部に、シャリエールがズビシッ! とチョップを見舞って二人に指導するまでが、この数日間、俺が帰宅してから目の当たりにするルーティーンになっていた。
「た、楽しんでやがるよなぁフランベルジュ特別指導官!」
「楽しくないと言ったらウソになりますね。特にグレンバルドお嬢様には」
「んでだよ!」
「グレンバルド家に御厄介になったあの時の……
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
(騒がしい。メイド以前に、アルシオーネには女の子としてのお淑やかさとか、慎みというのを仕込んだ方がいいんじゃ……)
「そ、そのことが原因なら、ストレーナス家は別ですから、私にはもっと優しくしてくれても……」
「……ストレーナスお嬢様がグレンバルド家に遊びに来た時です。
「ふみぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
(って、お淑やかが十八番なナルナイまで慌てふためいてどうするよ)
いや、今日の光景は、いつものルーティーンより盛り上がっちゃってるかもしれない。
淡々と、冷めたまなざし。無表情に告げるシャリエールに、その先を言わせまいと声を張り上げしがみつこうとした二人は、床にへたり込んで、ハァッハァッと、息を荒げていた。
(どーしてそこで俺を見る)
そして、瞳に涙を称えて、俺のことを申し訳なさそうな顔で見上げてくるからたまらない。
何か、言いたいことでもありそうなものなのだが、果たして?
ていうか、ちょっと気になった。
シャリエールが仕えたのは、例の《旦那様》だけではないらしい。おそらくグレンバルド家にも仕えていたようだった。
それがいまの呼称。家の外側からの呼称であるグレンバルドお嬢様ではなく、アルシオーネお嬢様と一歩踏み込んで呼んだ理由なのだろう。
「さて、ではもう一度手本をお見せいたします」
だが、話は進んだ。
一つ、クッと目をつむったシャリエールは、フッと表情を柔らかくして、俺に振り向いた。
「一徹様」
「うん?」
「お付き合い頂いて宜しいでしょうか?」
「あ、ああ」
「では……」
そうして、これもいまではルーティーンで……
「おかえりなさいませ《
「うん……」
その中でも、俺にとっては、一番苦手なものだった
さすがは元
一年二人とは違って、仕事モードに入った真剣な瞳と表情での挨拶は、確かにしっくりくる。そうして以前は、毎日のようにこの挨拶を口にしていたのだろう。
「一徹様一徹様♡」と抱き着いて来る、彼女のお節介が、時にうざったときはある。だからこそ、そういうのを手放して真剣になった時の、あの夏祭りの事件で見せた彼女は、惚れてしまいそうにカッコよかった。
でも、同じ真剣でも、いまの彼女は違うのだ。
「……様?」
(なにをいまさら、苦手意識をもってやがるんだ俺も。そんなこと、前々からわかっていたことじゃないか。そもそも俺はそれを想う立場にないだろうが)
「
「あ……あ? ごめん。なんだっけ」
「上着を頂戴いたします」
こういったことも手馴れていた。次にどんな行動を
ずっと彼女は、
サッと俺の背中に立つ。制服のジャケットの肩口を両手でつまみ、ストレスを感じさせないままに脱がしてくれた。
「秋とはいえ暑かったでしょうから、先にお風呂で汗を流されますか? お茶の支度も出来ておりますが。お風呂の前に、一度落ち着かれるのもよいかと」
「そ、そうだね。そうかもしれない」
(そう、こうしてシャリエールは、あの人をいたわってきたのか)
先ほどシャリエールがナルナイに対して口にした、「距離感を保つ」という事。確かに、真剣な眼差しにも顔にも、余計な感情を匂わせることはない。
しかし、かける声にいたわりは感じた。
「分かりましたかお二人とも。何が一番主人にとって心地よいか。それだけを考えなさい。メイド喫茶なるものもおそらく同じ。奉仕の心を忘れてはいけませんよ?」
「な、ナルナイが本格的なメイド喫茶なんて言うから……」
「兄さまが食いついて来ると思ったんだものぉ」
想っているんだ。
シャリエールのその瞳は、俺を通して……《旦那様》を映しているのが見て取れた。
(どんだけ大事な存在かってことがよくわかる。俺は、しどろもどろしちゃうけど、その《旦那様》はどうだったのか。やっぱ慣れきって、想いを当然のように受け止めているのかな)
そんなことを考えてしまう。
急に腹立たしくなった。
(とてもありがたいことじゃないか。こんなに大事に想ってくれる人がいて、だけど
こう思ってしまう。
シャリエールは、常にどこかで旦那様の姿を、影を探しているのだと。
「兄さま! もう一度、もう一度最初からやり直させていただけないでしょうかっ!」
「ホレ、ジャケット。もう一辺羽織ってくれよ」
彼女だけじゃないな。きっとトリスクトさんにリィン。ナルナイにアルシオーネも。
初めましてを繰り返そうとしてくれるエメロードにも、そういうところがあるのかもしれない。
《旦那様》とやらは、そうまでして想ってくれる彼女たちを放り出して、ほっつき歩いている。
そう考えてしまうと、怒りに手が震える想いだった。
「師匠!」
「ん……あ?」
「ジャケット。もう一度……お嫌でしょうか?」
「ッツ!」
(オイ、アンタ知ってるのかよ。俺にアンタを重ねた、ナルナイやアルシオーネのいじらしさと甲斐甲斐しさを。なんで、なんでアンタは……ここにいない!)
「ん、良いよ。とことん付きやってやる」
「兄さまっ!」
「《旦那様》とやらにずっと仕えてきたシャリエールの直伝なんだ。帰ってきたとき、成長を見せつけ驚かせてやろうぜ」
「……え?」
大切に想っている人をないがしろにする《旦那様》への憤りが酷い。
それでも俺に何かできるかと言えば、彼女の純粋な気持ちが、届くように祈り、協力することしかできない。
「それに何より、絶対に喜ぶだろう……」
励ますために、頭をなでて言ってやった……のに……
「ナ、ナルナイ?」
見上げてくるナルナイは、放心した表情で凍り付いていて。目なんて、光を失っていた。
「し……しょう?」
あの、元気印のアルシオーネが、蚊の鳴くような声で溢すから、視線が彼女に引きずられてしまった。
得も言われぬ雰囲気。小刻みに体も目も揺れていて、目じりは下がっていた。
そのすぐそばに立っていたシャリエールなんて、悲し気に顔を歪めていて……
「あ、あの……いって……」
「あぁ、帰っていたんだね一徹。この……状況は?」
何か呼びかけてきたところで、耳に入ったのはトリスクトさんのもの。
その声に振り向く。
彼女は、状況が分からないように眉をひそめていた。
「何があった?」
「な、何もないよ。ただ、最近日課みたいになってきたメイド修行に付き合っていたというか」
強烈な衝撃を食らったように、反応ができないような表情を見せる三人に加え、状況を把握しようと険しい表情をトリスクトさんが向けてくるのが、息苦しくならなかった。
はじめは温かみのあった声も、引き締まっていた。
「お、俺は応援したつもりだったんだ。いつか《旦那様》が帰った時に、二人の修行の成果がしっかり届けばいいなって」
「ッツ!」
「喜んでくれるはずだから。だってコイツラ二人とも、考え方や趣向だって、ずっと仕えて把握しているシャリエールの教えを受けているんだし。きっと《旦那様》は……」
「き、君は……」
怜悧な瞳、整った顔立ち。常にクールな雰囲気のトリスクトさんは、ただでさえ前に立つだけで、俺に緊張を与える。
「君は、何を言っているんだ?」
彼女まで、どうしていいかわからない表情を見せてくるのは、心を鷲掴みにもされるような心地を与えてくる。
「君が、それを彼女たちに言ったのか?」
駄目だ。
体が熱い。息ができない。
「な、なんでそんなに驚いているんだ。だって良いことばかりじゃないか! 帰ってくるんだぞ! 皆にとって何よりも大事な《旦那様》が!」
「い、一徹……」
「そもそもあり得ないだろうが! こんなにも大事に想ってくれる相手がいながら、いなくなること自体が!」
「違う。それは……」
やばい。何も考えられない。
何を言ってるんだ俺。わかっていて口にしているのか?
それを、俺は本当に……
「トリスクトさんにだって、大事なのは《その人》じゃないか!」
「い……って……?」
口にして……いいのかよ……
最後の一言。
「……あっ……」
時間が……止まった気がした。
自覚している。呆然とした彼女たち。
封殺したのは、俺なんだと。
「クソッ!」
あまりに強いショックを与えてしまったのだと、感情の抜け落ちた表情から見て取れる。
その、四人の瞳が俺に集まることが耐えられなかった。
要はさ、逃げ出しちまった。
帰宅の挨拶を玄関口で受けていたのもあったから、靴ぅ履いて外に……ね。
「あ、一徹ぅ? 帰ってきたわね?」
一刻も早く、ここから立ち去り、なるだけ遠くに行きたい。
そう思って、しかし下宿から出てすぐ、鉢合わせしたのがトモカさんだった。
「リィンとエメロードから連絡があってね。逆地堂看護学校も文化祭近くて、準備で遅くなるって。先に食べててってことだから、すぐにでも夕飯に……どうしたのアンタ?」
嫌な場面で出くわしてしまった。
凄い気にかけてくれる
「……俺の、記憶の話」
「え?」
ぶっちゃけ、俺はどうにかなっていた。
皆に対して、あんなことを言ってしまった後だから、後悔がある一方で、もうどうにでもなれという心地だった。
「ど、どうしたの? いきなり」
「別人の物だって言われていたその記憶。本当は……俺のなんじゃないんですか?」
「ッツ!」
目下の問題は二つあった。
一つ、なぜ少女たちが俺にこれだけ良くしてくれたのか。その問いは、もうぶつけてしまった。
だから、この際二つ目についても問いかけてしまった。
「それは、知らなきゃいけないことなわけ?」
「まともに、トリスクトさんやシャリエールの顔を、最近見ることができないんです。他の奴らも」
「この下宿に、いづらい?」
「彼女たちは、記憶を失う前の俺を知っています。でも、俺の記憶の中に、彼女たちはいない」
「まさかそれ、あの娘たちに言ったわけじゃないでしょうね。それにアンタの記憶については、前に言った通り……」
「先月、水脈橋に行ったときから、何かが色々おかしいんですよ」
「くっ!」
「時々目にしたものに、どうしようもなく心が揺れるんです。そしてそれを感じたとき、俺はそれが他人の記憶として自分の中にあるからだとは思えない」
「それこそが本当に自分の記憶だからこそ、そこまで揺さぶれるって。そう言いたいわけ?」
「ハイ。記憶を失ったんじゃない。持っている誰か別の人の記憶こそ、本当の俺」
見れない。
見れなかった。
「そ……れはっ!」
話始めて、この際だから聞いてしまおうとも思ったのに、目の前の、声を絞り出すトモカさんの顔を、俺は見ることができなかった。
「絶対に必要なわけ!? アンタには、これだけ想ってくれる娘たちがいる。記憶が無かったとしても、幸せじゃない! それで安心し、満足しきるわけには行かないの!?」
「どんなに探しても、彼女たちは、俺の中にはいませんから。それに彼女たちには、誰か他に大切な人がいます。その人と何らかの繋がりがあるから、彼女たちは良くしてくれる」
「アンタはッ!」
でも、正直、下宿がいづらいのは本当だ。
「だから知りたいんです。《彼女たちがいない、別人の
「やめなさい……」
「彼女たちが見ているのは、俺じゃないんです。必要なのは俺じゃない」
「やめなさいっ!」
「そしたら、彼女たちが全員暮らしているこの下宿に、本当に俺は、必要ですか?」
「やめて……」
「そう思ったら、なんか最近、ここは居場所じゃないんじゃ……」
「一徹ぅっ!」
最後、この場を震わせる轟に、とうとう俺の目は向けさせられた。
苦しそうで、悲しそうで、辛そうな、トモカさんの表情。
「……あ……」
それを、目にした瞬間だった。
聞きたいことは一気にかき消えてしまった。
だってそうだろう?
俺は……
「あ、その……お、俺は……」
俺は……
(絶対、悲しませないと誓ったはずなのに)
胸に迫るものが強すぎる。
この場に立って、トモカさんと対峙することが、出来なくなってしまって。
「ご、ゴメンなさいっ!」
とうとう、こんどこそ、その場から走り去った。
正直、消え去りたかった。
極まる表情のトモカさんを、俺はこれ以上見ることができなくて、見たくもなくて。
残して、逃げてしまった。
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