四.訪問


 サルディス家を訪問するのは、いつぶりでしょうか。お隣の都市同士ですのに、ここ一年ほど伺っていない気がします。


 千年王国は、ほぼ円形に近い形をしています。中心には王都アララトがあり、その周りに七つの都市が円を描くように並んで。フィラデルフィアの領地は第一都市オーシムで、王都の南東に位置します。その西隣がサルディス家の領地、第二都市アルザ……というように、第一都市から第七都市まで順番に並んでいるので、地理はとても覚えやすいのです。



「アラン。今日はオスカーも一緒なのでお留守番していても大丈夫ですよ。カール様のこと、アランは苦手でしょう?」



 サルディス家の次期当主、カール様は、アランを見かける度に嫌味を言ってくるのです。それはアランが拾われた身の上ということと、顔に傷があること、主人であるお父様や私と、使用人らしからぬ砕けた調子で接すること……思い当たる理由はたくさんありますが、一番はきっとこれです。〝裏切り〟を出したフィラデルフィアが、聖騎士家を名乗っているのが気に入らないのです。アランはきっと、カール様にとって丁度よい不満の捌け口なのでしよう。



「いえ、大丈夫ですよ。僕もちゃんとお供します。一応、シシィ様の付き人ですからね」



 アランはにっと歯を見せて笑いました。けれど、私にはわかります。アランの笑顔が強ばっていることが。

 さっき私が言ったことを、怒っているのでしょうか。散々付き合わせておいて、今さら何を言うのかと。そのことを差し引いたとしても、何だかアランの様子がおかしい気がします。



「……わかりました。なら、一緒に行きましょう」



 アラン。ちゃんと私が守りますからね。例えエーファとディートリヒのお父上であっても、アランをいじめる人は私が許しません。




***




 アルザまでは歩くと半日ほどかかりますから、〝転送台〟を使います。

行き帰りは一瞬です。昔はこの距離を歩いたり乗り物に乗ったりして、自力で行き来をこなしていたと言います。それを思うと、やはり神様が御座おわす天界の技術というものは素晴らしいものですね。



「そういえばシシィ様。今日のお昼頃に裏庭の近くでお見かけしたのですが、何をしていらっしゃったのですか?」



 やってしまいました。オスカーに見られていたとは、とんだ失態です。普段なら裏手の方にオスカーがいない時間だったのですが、サルディス家訪問のために仕事を繰り上げたのでしょう。



「ちょっとした気分転換です。秘密基地を作ろうとしていたのですが、木の上に作ろうとしたので失敗しちゃって。ね? アラン」


「そうなんです。全く、シシィ様はいつまで経ってもお転婆で困ったもんですよ」



 ちらとアランの方を見ると、涼しい顔をしていました。どこか得意気で、さっきのおかしな様子が少し和らいだようでした。

 ありがとうございます、アラン。後でアランの好きな、お酒入りのチョコケーキを作っていただきましょうね。



「それよりオスカー、ディアナさんとお会いするのも久しぶりですね。おふたりは以前ティアティラの……ブリジッタ様のところで一緒に働いてたのですよね?」



 こうして私は、巧みに話題を逸らすことに成功しました。こういうことばかり上手になってしまうのです。



「ええ。久しぶりに会ってこいと、旦那様が今回の仕事を任せてくださったのです。シシィ様もご存知だったとは、お恥ずかしい」



 いえいえ、バレバレですよ。よくあれで隠せていると思えたものですね。などと和やかな話をしているうちに、転送台は動いていました。強い光が辺りを包んだかと思うと、瞬きする間もなく私たちはサルディス家のお屋敷の前にいました。この転送台の仕組みもいつか解明したいと思うのですが、これも神様がもたらした技術です。触れてはいけないものですので、我慢することにしましょう……




***




「やあやあ、フィラデルフィアのご一行。遠いところからようこそ」



 使用人の方に出迎えられて、私たちはヨルン様のお部屋へ案内されていました。その途中に出会ったのが、運の悪いことにカール様だったのです。



「お久しぶりですカール様。この度は当主ご就任、おめでとうございます」


「ああ、ありがとう。シシィ嬢ちゃんは今度の就任パーティーには来てくださるんですかな」


「ええ、もちろんです。今日は父の代理で、ヨルン様に出席のお返事を渡しに参りましたの」



 するとカール様は眉を顰め、嫌いな食べ物を飲み込んだ直後のような声で言いました。



「いくら忙しいとは言え代理を寄越すとは、さすがフィラデルフィア。その上汚らわしい傷ガキも同伴ときた。我がサルディス家も舐められてしまったものですなあ」



 カール様は何というか、フィラデルフィアへの嫌味を探してくるのが本当にお上手だと思います。一応目上の方ですから、私はにっこりと笑って失礼のないように振る舞います。



「申し訳ございません。父はきっと、お使いくらいなら私にもできると思われたのでしょう。次期当主として、私はまだまだ不出来なものですから」



 お父様は、フィラデルフィアに婿として入った方です。お母様が亡くなってから、私が成人するまではと当主のお仕事をされています。そのあたりの事情も、カール様のお気に召さないのかもしれません。



「それにカール様。アランみたいな人って他にはいませんから、フィラデルフィアにはもったいないくらいだと言うこと、重々承知しております。なので私、これからもアランを大切にしていきますね」



 カール様はまだ何か言いたげでしたが、私たちがこれ以上カール様の嫌味に曝されることはありませんでした。



「シシィじゃないの。いらっしゃい、久しぶりね!」


「エーファ!」



 階段の上の方から、エーファが身を乗り出していました。かと思うと階段を駆け下りてきて、私を抱き締めてくれました。エーファは本当に素敵なお友達です。長いこと会っていなくても、会わないでいた時間をすぐに飛び越えられてしまうのです。



「お父様、シシィたちの邪魔をしないでくださる? シシィはお父様じゃなくてお祖父様に会いに来たんですからね」



 カール様も〝お父様〟ですから、多くの世の中のお父様と同様、娘から怒られてしまうと何も言い返せなくなるみたいです。この時のエーファは、千年王国をもたらした時の神様のように思えました。



「さ、行きましょシシィ」



 エーファはがるる、と動物が威嚇するみたいにカール様を追い払い、私たちはようやく先に進むことが出来たのです。エーファにありがとうございます、と小声で感謝を伝えました。



「まったく。お父様ったら本当に嫌んなっちゃう」


「まあまあ、人には相性というものがありますし」



 エーファはカール様のことが嫌いなのです。反抗期という側面もあるのでしょう。しかしそれだけが理由ではないような気がして、なんだか嬉しいと思ってしまう私はいけない子ですね。反省はしませんが。



「お父様があんなのだから、いつまで経ってもお祖父様は当主を譲らなかったのに……それをわかってないんだから」


「ヨルン様は、お元気でいらっしゃいますか?」


「ええ。もうすぐ寿命だけど、様子はいつもと変わらないわ。だからお祖父様の退任パーティーも思いっきり盛り上げられそうよ」



 そうこうしている間に、ヨルン様のお部屋の前までやって来ました。



「じゃあ、私は外で待ってるわ。用事が終わってから、少しお喋りする時間はある?」



 オスカーを振り返ると、大丈夫ですよ、と頷いてくれました。



「やった。もうすぐディートリヒも帰ってくるから、お菓子でもつまみながらお喋りしましょうよ」




***




 サルディス家のご当主ヨルン様は、御歳八十近く。豊かな白髪と口ひげをたくわえていらっしゃり、鋭い眼光に射貫かれると、いかなる嘘をも見抜かれてしまう気になってしまいます。お顔つきは厳格そうですが、ヨルン様は本当にお優しい方で、お母様の〝お見送り〟の時にずっと頭を撫でてくださったことを覚えています。

 その大好きなヨルン様も、いよいよ寿命を迎えられて天の門をくぐって行ってしまわれるのです。



「いらっしゃい、セシリー様。出迎えに行けなくて申し訳ないね」


「お久しゅうございます、ヨルン様。父からこちらを預かって参りました」



 封筒を差し出すと、ヨルン様はわざわざ立ち上がって受け取ってくださりました。立つのもお辛そうなのに。背筋をまっすぐ伸ばした凛としたお姿には、ただただ敬服することしかできません。



「長きに渡るご公務、お疲れ様でした。あと少ししかこちらにいらっしゃらないのは寂しいですが、お別れの会が楽しい思い出となりますよう祈っております」


「ありがとう、セシリー様。向こうでお母上に会ったら、素敵な娘さんに育たれたとお伝えしておきましょう」



 ふと、ヨルン様の机の後ろに置かれた大きな鏡に目が行きました。その鏡は〝サルディス家の鏡〟ではないと思いますが、大きな姿見を見て、私はあの夢を思い出してしまいました。ぎゅっと目を閉じて、不安な気持ちを追い払います。あれは夢、ただの夢なのだから……




***




 ヨルン様のお部屋を辞すと、オスカーはひっそりと姿を消してしまいました。おそらくディアナさんのところに行ったのでしょう。オスカーが迎えに来るまでは、エーファとディートリヒとお喋りができます。



「シシィ、久しぶり」



 一年ぶりに見たディートリヒは、だいぶ背が伸びていました。もう私よりも大きいのではないでしょうか。けれどもエーファは背が高いので、ディートリヒはお姉さんにはまだまだ追いつけそうにありません。



「ねえ、シシィはラオディキヤ家の遺物展に行く?」


「ラオディキヤの……ああ、お父様が前仰っていたような」



 聖騎士家では、先史時代の遺物をひとつ、各家で保管しています。そしてラオディキヤ家で今度遺物展が開催されるというお話を、お父様から聞いた覚えがあります。



「ねえ、行こうよシシィ。こういうの好きでしょ?」


「アンタは好きよね、そういうの。私はあんまり興味ないけど、シシィが行くなら一緒に行こうかな」



 物静かで本が好きなディートリヒとは、興味を持つ方向性が同じなので気が合うのです。もちろん、彼は道を踏み外してはいませんが。そしてエーファとは好きなものはあまり一致しませんが、彼女の奔放な性格には惹かれるものがあります。

 この姉弟は、私にとって本当に大切な親友なのです。



「私も行きたいです。お父様に確認してからお返事しますね」


「やったー、じゃあ私も行こーっと。ねえシシィ、ラオディキヤと言えば、リンファは大きくなったかしら。前に会った時はまだ赤ちゃんだったもの……」




***




 久しぶりに親友とお喋りして、その日はとても幸せな気持ちで眠りに就いたことを覚えています。

 ですがその数日後に、まさかあんなことが起きようとは。その時の私は、夢にも思っていませんでした……

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