手荒でナイスな戦闘隊長

第5話 お空のお猿

「一一三○にアバシリ島上空で戦闘機隊と合流、そのまま目的地である大島まで誘導を行います」

 朝食後、華香を中心に輪になって三○八号の搭乗員たちは打ち合わせをしていた。

 聞けば糖子が「幽霊退治」をしている間に戦闘機隊が小型機用の飛行場に到着したらしい。燃料の搭載次第出発するという事なので三○八号も予定どおり昼前には飛び立つ事になる。

 準備は飛行場の地上整備員がほとんどやってくれているので、糖子たちは燃料の状況などの最終点検だけを行う。特に燃料は何度も痛い目を見ているので入念に調べた。

 点検と言っても、偵察員の糖子に出来る事はほとんどない。とりあえず経路の天候を聞こうと指揮所に足を向けたところ、ぐぅーという情けない音が腹から響いた。

「お腹減った」

 空腹にぼやいてみるが、しかし抜かれた朝食が降って湧いてくるわけでもない。

 今からではギンバイをするのも難しく、こんな事ならば陸戦隊に缶詰でも分けなければ良かったと嘆くばかりである。

 とりあえず指揮所まで行き、隊付の気象予報士の所で飛行経路の天候などの確認を行う。本日は快晴。風もほとんどないという好条件らしいが、例によって積乱雲には留意せよという事であった。

「ただ雲は低いと思う」

 予報士は海図を広げながら言う。

「具体的には」

「千を下回るんじゃないかな」

 巡航高度が三千である事を考えるとエラい低い。これでは偏流を調べるのは中々難しいだろう。

 もっとも目的地の大島まで大した距離があるわけではないので無理に巡航高度で飛ぶ必要はないし、状況によっては雲の下を飛んでもらっても問題はない筈だ。糖子の得意な天測もあるわけなので雲の低さはあまり気にならなかった。

「他には何かありませんか」

「とりあえずそんな所かな」

「了解しました」

 糖子がそう返事をした時、意地の悪い事に腹がグゥーッと文句を言い出した。慌てて押さえてみるも鳴るのが収まるわけもなく、むしろ音が大きくなってしまっただけである。

「朝食まだなのか」

「いえ、実は抜かれてしまいまして」

 事情を説明すると予報士は苦笑をした後に「指揮所の廊下にあるバナナを持って行って良いよ」と言ってくれた。

「ありがとうございます!」

 敬礼をして、航路図その他を偵察鞄に突っ込む。それから廊下に山と積まれているバナナを一房ほど頂くと、その足で準備を終えたであろう三○八号へと向かって行った。

「なんですかソレ」

 バナナを脇に抱えている糖子の姿を見た琴音が呆れ顔で言う。

「バナナ」

「そんな事は見れば解ります」

「貰ったの」

 言いながら糖子は一度三○八号の機内に入る。

 何しろ朝食抜きを言い渡したのは華香だ。その張本人にバナナを積み込んでいる所を見られたら没収されるという事は目に見えている。

 機内は熱がこもっていてサウナのように蒸し暑かった。そのうえ整備員や搭乗員が砂の付いた靴で作業している物だから砂っぽい。全く最悪な環境である。飛文たちよくこの中で眠れたなと感心する事しきりだ。

 いつもの指定席である爆撃席の横にバナナを隠すと糖子は一度機内を見渡した。

 敵艦隊に夜襲を掛けた前代三○八号は完全に破損したので、この機体は新しく配備された新三〇八号である。

 新品と言っても他の隊で使用されていたのを流してもらった物なので使用感があり、またタレンザカンにいる精鋭陸攻隊の物に比べると少しばかり型も旧かった。

 もっとも作戦に支障があるわけでもなく、現状では文句もない。ただ拡充されて通常の爆撃任務が当てられるようになったにも関わらず、機材は相変らず後回しというのには些か不満を感じていた。

 くわえてまだ糖子は遭遇していないが北中支は新型戦闘機を量産し、既に実戦に配備していると聞く。そんな時に旧型機では心許ないではないか。

 少し前の糖子であればそんな事は微塵も考えず、ただひたすらご飯の事だけだったのに我が事ながら変わったものである。あるいは戦争に慣れてきているのかもしれない。

「うわッ、嫌だなぁ」

 そんな自分は嫌だ。

 糖子が「いやだなァ」と小声で繰り返しながら機外に出ると、搭乗員たちが円を組んで待っていた。糖子が出てくると華香が顔を上げる。

「何していたんですか?」

「いや、持ち場の確認を……」

「ふーん」

 疑惑の視線が向けられる。

 しかし追求するほどの事ではないし、そもそも糖子のやる事だから食糧関係だという見当は付いていると考えたのだろう。それ以上は追及をしてこなかった。

「予定より少しばかり早いですが出発します」

 前置きをしてから華香は最終打ち合わせを行う。

 飛ぶ時間こそ早くなったものの集合は予定通りの時刻に行う事や雲が低いらしいので状況によっては低空を飛行する事、二時間の飛行だから残念ながら弁当は積まないという事などである。

「質問は?」

 無し。

「よろしい。では掛かれ!」

 号令一下、順番に三○八号に搭乗する。糖子も「お願いします」といつも通り頭を下げてから続いて乗り込んだ。

 糖子が仕事場である航法机に筆記用具や六分儀その他を出している間に華香と琴音が飛行前の最終点検を行い、完了後にエンジンを始動させる。

「各部報告せよ」

 伝声管で華香が確認を取ると各部異常無し。搭整曰く「絶好調」だそうである。

「発進します」

 エンジン音で地上整備員に車輪止めチョークを外すように合図を出し、外した整備員たちが離れた事を確認してから三○八号はゆっくりと動き出した。

 副操縦員である琴音が天蓋から上半身を出し、風防を叩いて華香の操縦を補佐する。

 ノロノロと亀のように地上を動く三○八号はやがて離陸線に着くと、上半身を出したまま琴音が指揮所に発光信号を送った。

「返信。発進良しです」

 それを聞いた華香がブザーで再度問題がないか確認を取ると、各部から「異常無し」の返答。

「離陸準備良し。離陸します」

 琴音が天蓋を閉め、副操縦席に座るのを合図にするかのように三○八号は猛牛のように走り始める。

 窓の外の光景が凄い勢いで流れて行き、機速が七十ノットに達すると三○八号はフワリと浮き上がった。

 こう書いてしまうと至極簡単に飛んだようであるが、実際は物凄い力を必要とする。事実、華香は歯を食いしばるような力で操縦桿を握っていた。重量のある飛行機を離陸させるというのはそれなりの力がいるのである。

 窓の光景が茶色一色から徐々に空色に変わっていき、数分もしないうちにタレンザカンの飛行場は小さくなって四周青色だけの世界へと変わっていた。

 高度千五百メートルで水平飛行。本日はこの高度で戦闘機隊と合流するのである。

 打ち合せのとおり、空はどこまでも快晴であり、確かに雲は低かったが数は少ないので何も問題はなさそうであった。

「アバシリ島です」

 数分もすると合流予定の島上空に着いた。小さな、岩の塊のような孤島である。

 さっそく双眼鏡を取ると、糖子は周囲を見渡した。戦闘機隊がどのくらいの数なのかは聞いていないが、例え大編隊であっても大空の上では小さな点の群である。うっかり見逃して合流できませんでしたでは笑い話にもならない。

「通信入りました。予定であればあと三分ほどで合流地点に到達するそうです」

 電信席に座っていた飛文が報告をする。

 腕時計で確認をすると、なるほど、事前打ち合わせどおりの時刻だ。

「腕は知りませんが時間には正確な人達なんですね」

「時間に遅れる男は嫌われますから」

 冗談なのか本気なのか解らない事を華香が言うので糖子は愛想笑いで誤魔化し、再び双眼鏡を覗く。合流まで島の周囲をグルグル回っているので航法もほとんど必要ない。

「あ、見えました!」

 双眼鏡の中に点の群を捉え、糖子は報告をした。

 しかし凄い数である。確かに戦闘機「隊」とは聞いていたが、少なく見積もって二十機はいるのではないだろうか。

「……何機なんです?」

「一個中隊と聞いています」

 一個区隊が四機での編成であると考えた場合、一個小隊は八機程度。一個中隊はそれが三個ほどであるから単純計算で二十四機という事になる。

「随分と大所帯ですね……」

「それだけ期待されているって事ですね」

 そうなのかは解らないが、とにかく頼もしい味方が来てくれる事に変わりはない。

「しかし南領諸島からタレンザカンまで単身で来れたのに、三番島までは誘導が必要なんですね」

 わざわざ三○八号を派遣しないでも彼らだけで来れそうなものであるが、些か大袈裟なのではないだろうか。

「大島の飛行場は初めてだそうなので、念には念を入れたいというのが先方の要請ですから」

 それだけ言ってから、華香は振り返って糖子の顔を見た。

「向こうが単身で行けるからって手を抜かないでくださいよ」

「それは勿論です」

 ニコリと笑って頷いてから、糖子は改めて航路図を見た。

 もっとも大島まではほとんど真っ直ぐなので難しい事はない。偏流などに気を付けていれば問題ないだろう。

 雲が低いので上昇はせず、高度千五百メートルのまま飛行する事にし、三○八号を先頭にして二十四機の戦闘機が追従する。

 これだけの味方戦闘機に囲まれると、なんだか偉くなったような心地で悪い気分ではない。

 風の様子を見るという体で糖子は爆撃席に降りて座り、偏流が変わる事を警戒しつつも隠してあったバナナを一本取った。

 なにしろ朝食抜きであったから、いい加減空腹でどうにかなってしまいそうな頃合いである。太っちょは一食抜いただけで餓死するのだ。

 さっそく一本食べ終え、皮をそのままにしておくと後で華香にバレるので航空鞄の中に隠す。

 飛行中に食べるバナナは格別だ。これで仕事もなく、お客であったら尚最高なのにと毎回のように思う。

 二本目、と手を伸ばすと不意にガサガサとバナナが揺れた。

 バナナの房の中には毒蛇が巣を作るという話を聞いた事があったので、すわ毒蛇かと糖子は身構えたが、しかし覗き込んでみても蛇らしきものはいない。

 不思議に思いつつも二本目を平らげ、皮を航空鞄の中に突っ込むと再びにバナナが揺れ動いた。

 何事かと思って覗き込んでみたが、しかしやはり何もいない。

 首を傾げていると背後で音がしたので、慌てて振り返ると今度は航空鞄が揺れ動いていた。即座に鞄を取って中を見る。

 何もいない。

「……また幽霊じゃないよね」

 まさかタレンザカンから引っ付いてきたわけでもあるまい。

 そんな事を思いながら顔を上げると、ふと壁にぶら下がっている生命体と目があった。

「………………サル?」

 猿である。

 間違いなく猿である。

 何処からどう見ても猿である。

 それがバナナを一本持ちながら「キーッ」などと可愛い声を出して糖子の顔を眺めていた。

「ありゃ。付いて来ちゃったのかな」

 南方にはポケットモンキーという小猿がいるというのは糖子も聞いた事があったし、それをペットにしている搭乗員も見た事がある。だからこの小猿もおそらくタレンザカンに住んでいた猿だという事は容易に想像がついた。

 夜間に飛文たちが搭乗口を開放しながら寝ていたらしいので、その間に潜り込んでいたのだろう。

「危ないからおいで」

 機内で飛び回られても困る。糖子は手招きをしたが、しかし小猿はあざ笑うかのように跳ねると、そのまま機体前部の方に駆けて行ってしまった。

 途端に後ろの方から驚愕の声が聞こえてくる。

 慌てて糖子も機体前部まで行くと、航法机の上に上がったり、操縦席の間に入ったりしている小猿を飛文が捕まえようとしているところだった。

「なんだこの小猿! 糖子の親戚か?」

「もしかして私が何言っても傷つかないとか思ってない?」

 飛文と一緒になって小猿を捕まえようと追いかけたが、しかし網があるわけでもないし、小さく素早い小猿を素手で捕まえられる筈もない。

 しまいには機体後部まで駆けて行って機関席の搭整を引っ掻いたり、機銃の弾倉を転がして遊び始めたので糖子と飛文はますます躍起になって追いかけたが、しかし小猿に莫迦にされるばかりで全く捕まえられる気配はなかった。

「追うのは任せて、黄里さんは航法をしてください」

 華香に言われ、慌てて糖子は航法机にまで戻った。よくよく考えれば猿を追いかけている暇はない。糖子には仕事があるのだ。

 天測をしようと糖子は六分儀に手を伸ばすとサッと小猿が航法机に飛び乗る。

 慌てて払い除けようとしたら筆記用具がバラバラと机から落ちたので、慌ててそれを拾おうと頭を下げると、その糖子の頭目掛けて小猿が跳び乗った。

「こん畜生!」

 その小猿を捕まえようと飛文が航空鞄を網代わりに被せたが、寸前で小猿が逃げたので単に糖子の視界を零にするだけに終わった。

「なになになに?」

 糖子からしてみればいきなり航空鞄を頭に被せられて視界零になったのだから堪らない。状況が解らずに右往左往していると、鞄を被せられた頭に猿が跳び付いたのでますます混乱してその場に転倒をした。

 その際に跳んだ小猿を捕まえようと飛文が跳びかかったが、しかし手が空を切っただけで終わり、しかも足元の糖子にぶつかったせいで飛文まで転倒をする。

 その二人のあまりにも無様な姿が面白かったのだろう。

 小猿はキャッキャッと嬉しそうな声を上げて飛び跳ねた。

「畜生……嘗めやがって」

 怒り心頭で飛文は跳びかかったが、しかしまたもや空を切っただけであり、しかもそのままの勢いで壁に思いきり突っ込んだのだから堪らない。顔面を強打して床で悶え苦しんだ。

 小猿はそのまま糖子の方に跳んできたかと思うと、まるでバスケットボールのゴールにシュートするかのような自然さで飛行服の首元から中に入り込んできた。

「ギャーッ!」

 思わず悲鳴を上げて糖子は取り出そうとしたが、飛行服はツナギ型なので一度深くまで入り込まれると取り出しようがない。糖子が慌てている間に尻の方まで降りて行ったので、飛文が思いきり引っ叩いたが小猿は器用にも避けたので思いきり糖子が殴打されただけだった。

「なんで私を殴るの!」

「そこに猿がいるからだよ!」

「良いからさっさと取って……イタタタタタッ! お尻噛まれた!」

 さっさと飛行服を脱いでしまえば良いのだろうが直ぐ傍を戦闘機隊が飛んでいるので糖子の姿は丸見えだ。下手に機体前部で飛行服を脱げばそれこそ高度一五〇〇メートルでのストリップショーになりかねない。

「二人とも猿みたいに煩いですね」

 今まで傍観していた琴音が溜息を吐く。

「他人事みたいに言ってないで手伝えよ!」

 半ば八つ当たり気味に飛文が怒鳴ると、琴音は再度溜息を吐いてから「仕方ないですね」と副操縦席を降りた。

「いま何処にいるんです」

「せ、背中! 早く取って!」

 糖子が背を向けると、琴音はガッと服の上から猿を掴んだ。まるで壁に置いてある物を取るかのような自然さである。

 そのまま服の襟元まで引っ張っていくと、ようやく中から小猿が現れた。

 掴まれている小猿は当然ながら逃げようと暴れるが、それをガッシリと掴んだまま琴音は「少し大人しくしていてください」と子供でも言うかのように小猿に言い聞かせる。

 無論、人間の言葉が通じるわけでもないので小猿は暴れていたが、琴音が眉間に皺を寄せながら「ね?」と睨み付けると、小猿は見ている糖子たちが哀れなに思うほどに縮こまってしまった。

 それを琴音は無造作に航空鞄の中に放り込んで蓋をする。まるでぬいぐるみでも扱うかのような乱雑さだ。少しばかり小猿に同情する。

 あまりの呆気無さに糖子と飛文はポカンと口を空けて眺めていた。なんだか二人して騒いでいたのが莫迦みたいである。

 茫然としつつ、しかしこれ以上仕事を放棄しているわけにもいかないので糖子は天測を行ってから爆撃席に戻った。

 とりあえず疲れたのでバナナを手に取って頬張る。

 一時間後、三〇八号は無事に大島の飛行場に到着した。

 戦闘機隊に脱落はなく、全機健在での到着である。

 その折に戦闘機隊の搭乗員から「一切の乱れのない航法であった」と褒められたが、その実は乱れまくっていたので糖子たちはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

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続、陸攻乙女のギンバイ戦記 矢舷陸宏 @jagen

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