第4話 糖子の幽霊退治(後)

 起床してから一時間ほど後、糖子は飛行場警備の陸戦隊から兵隊を三人借りて川の上流の方へと向かっていた。

 この川は人間の下半身ほどの深さしかない浅いものなのだが、非常に長く、糖子たちの泊まっていた兵舎から山の上の湖まで続いているらしい。

「本当に幽霊退治なんて出来るんでありますか」

 小銃を担いだ陸戦隊の一等兵が訊ねる。

「出来る! たぶん!」

 自信満々で頷きながら糖子は川を辿って登って行く。

 昨晩の事である。

 琴音と抱き合って恐怖に耐え、朝方にボンヤリと微睡んでいた時に奇妙な事に川を溯っている夢を見た。まるで川の中を歩いているかのような不思議な夢である。そして水中を歩く糖子の傍には巨大な鰻のような魚が泳いでいた。夢の中の糖子と化物鰻はそのまま上流まで登っていき、山頂の湖に着いた所で目を覚ましたのである。

 何故だか解らないがこの鰻を元凶だと確信した糖子は即座に陸戦隊の兵舎まで行き、そこの指揮官に「幽霊退治をするから兵隊を貸して欲しい」と頼んだが、当たり前ながら動機が意味不明過ぎて拒否された。しかし近くで聞いていた下士官が缶詰数個と交換という条件で内密に兵隊三人を貸してくれたのだ。

 無論、缶詰欲しさの面白半分であり、貸し出された兵隊たちにとっては迷惑極まりなかったが、しかし糖子は大真面目で上流へと向かって行った。

 山と言ってもそんなに大きな物ではない。三十分も歩くと目的地であると思われる場所に到着した。

「これが湖?」

 思わず糖子は首を傾げた。

 湖を聞いていたから広大な物を想像していたが、眼前に広がっているのは池と言った方が良いようなこじんまりした物である。

「気を付けて下さいよ。深いですから」

 一等兵の注意を聞いた糖子は近くから枯れ枝を拾ってきて湖に差し込んでみると、なるほど、彼の言う通りかなり深い。糖子と同じくらいの長さがある枝が丸々沈んでしまった。

「参ったなぁ」

 これだけ深いとは思ってもいなかった。

 せめて腰が浸かる程度の場所までと思ったが、一等兵曰く湖の底は柔らかい泥のようになっており、下手をすると足が取られてそのまま沈没する事になるので止めた方が賢明だとの事である。

 見る限り船もないので湖の中央付近に行く事もできない。

「ここに幽霊がいるんですか?」

 怪訝な顔で一等兵が訊ねて来たので糖子は頷いた。

「この湖に大きな鰻がいて、そいつが正体だと思う」

「はぁ」

「何よその顔」

 明らかに「こいつ頭大丈夫か?」と疑っているような表情である。

「嘘だと思うなら泳いで探してきなさい」

 そんな無茶苦茶な、と一等兵は顔を顰める。

「でも困った。これじゃあ鰻も探せないよ」

 糖子は唸る。

 それから空を見上げ、パッと顔を明るくした。

 薄暗いとは思っていたが頭上には大量の木々の枝が伸びており、それが湖を覆い隠すような形になっている。

「あれを伝って上から見れば良いんじゃないかな」

「はぁ」

 一等兵たちはボンヤリと枝を見上げる。誰がそんな事をするんだという顔だ。

「誰が行くんです?」

「私が行くよ」

 半長靴を脱ぎながら糖子が言うと、一等兵たちは「ええ?」と困惑したような声を出した。

「いえ、それなら自分が行きますよ」

「木登り得意なの?」

「そういうわけではないですが……」

 一等兵たちが困惑するのも至極当然だ。

 屈強な陸戦隊の兵隊と違ってボンヤリした外見の糖子だが、しかし階級は圧倒的に彼らより上である。ここで上官である糖子に何かあったらお供の彼らもただでは済まないのは目に見えており、糖子に危険な事をさせたくないというのが自然な思考だろう。

 だが一等兵たちの不安を余所に糖子は木をスルスルと登って行くと、そのまま猿のような器用さで枝の間を渡っていった。

 三番島では椰子の実などを取る事が多いので自慢ではないが木登りは得意だ。よく猿だのなんだの莫迦にされるが、食べ物の為ならばどう揶揄されても構わない。

 落ちないように気を付けながら、糖子は枝の上から湖の中を凝視する。

 枝の隙間から入り込む日光に照らされて輝く湖の水は綺麗に澄んでおり、高い木々の上からでも十二分に水中の魚の動きを見る事が出来た。

「うーん。いない」

 木の上から見た限り、それらしい魚はいない。

 慎重に木の枝を渡って湖の隅から隅まで見て回ったが泳いでいるのは鯉のような魚ばかりで巨大な鰻などはいなかった。これだけ澄んでいるのだからデカい魚がいれば一目で解る筈だ。

 やはり夢は夢だったのだろうか。退治すると豪語して出てきたわりには残念な結果である。

「二飛曹ー! 幽霊はおりましたかー!」

 心配そうに一等兵が呼んできたので、糖子はもう一度湖を凝視してから「いなーい!」と返事をした。

 残念な結果であるが、いないのであれば諦めるしかない。

 糖子は器用に枝を渡り、これまた器用にスルスルと木を降りて行った。

「いると思ったんだけどなー」

 バツが悪そうに糖子が後頭部を掻くと、一等兵は「そういう時もあります」と慰めているのか、莫迦にしているのかよく解らない表情で言ってきた。

「うーん」

 糖子はもう一度唸り、名残惜しそうに湖を見た。

 いないものはいないのだから仕方がない。些か間の抜けた結果であるが、よく考えれば夢の話しなのであるから当然である。

「帰ろうか」

 残念そうに言って糖子が半長靴を履いた時、湖を見ていた兵隊の一人が「あれはなんだ!」と指を差す。

 釣られるように指差す先を追ってみれば、先ほどまで影も形もなかった湖に巨大で長い魚影がユラリと不気味に蠢いている。

 そういえば鰻は泥底などに潜むと聞くから、糖子が木の上にいた時は隠れていたのかもしれない。

 大慌てで糖子が「あれを撃って!」と言うと、動揺しながら一等兵は小銃を構えたが遊泳している魚を小銃で撃ち抜ける筈がない。

「銃じゃ無理だよ!」

 遠回しに手榴弾を使え、と糖子は言ったつもりだったのであるが、しかし何をトチ狂ったのか一人の二等兵が榴弾を取り出し、擲弾筒に突っ込むと糖子が制止する間もなく派手にぶっ放した。

 ちゃちな花火筒のような擲弾筒から発射された榴弾は放物線を描いて飛んでいくと、そのまま冗談のように湖に落着する。

 爆発音。

 何しろ「重砲のような爆音」と称されるほどの炸裂音を発する榴弾である。凄まじい爆音が木々の間を通り抜け、全く予想もしてなかった糖子などはその場にひっくり返ってしまった。

 雨のように水飛沫が降り注ぎ、一緒に小さな魚もバタバタと落ちてくる。

「お莫迦!」

 耳を押さえながら糖子が怒鳴ると、擲弾筒を撃った二等兵は「も、申し訳なくあります!」と縮こまった。

 爆音で耳は痛いし、全身ずぶ濡れだし、くわえて命中しなかったのか鰻も浮いてこないしで散々である。

 かくなる上はもう一度探し出して……と糖子は再び木を登ろうとしたところ、麓の方で集合喇叭が鳴り響いているのが耳に届いた。どうやら爆音を聞いた陸戦隊が非常呼集を掛けたらしい。正体不明の爆音が聞こえたのであるから当たり前である。

 こうなってしまうと幽霊退治などしている場合ではない。

 このまま放置しておけば大事になるのは目に見えているので、糖子と三人の兵隊は大慌てで山を下っていく。もはや鰻など構っている暇はない。

 山を転がるようにして降りると、完全武装の陸戦隊と軍刀を片手にした華香が駆けあがって来ているのが見えた。どうやら陸戦隊から糖子が山に登って行った話しを聞いたらしい。

「大丈夫ですか」

 爆音を聞いて心配したのだろう。華香が糖子の無事を知って、今まで険しかった表情を和らげる。

「はぁ」

「なにかあったんですか」

 三人の兵隊と糖子を見比べながら陸戦隊の少尉が訊ねて来る。どうやら三人の兵隊の上官であるらしい。

「えーっと……」

 流石に鰻に向かって擲弾筒をぶっ放したなんて莫迦な事は言えない。

 さりとて適当な言い訳も思い付かず、なんと誤魔化そうと迷っていたところ、あろう事か擲弾筒を撃った二等兵が「自分が擲弾筒を撃ちました」と正直に答えてしまった。

 糖子と他二名が「要らん事を言うな」という表情を浮かべたが、気付いているのかいないのか二等兵はベラベラと喋っていく。

「あまりにも巨大な鰻でしたので驚いて」

「鰻?」

「はぁ。飛行兵の方が鰻の化物が出るというので」

 少尉は意味が解らないという表情をしている。当然だろう。何も知らずにそれだけ聞かされて意味が解る筈がない。

 しかし糖子が事の発端だという事だけは解ったようで、少尉は疑惑の視線を糖子に向けてきた。当然ながら今まで心配していた華香も同様である。

「どういうことですか?」

 ニコニコしてこそいるが華香の目は笑っていない。

 こうなると誤魔化せる筈もなく、仕方がなく正直に一から全部話していく。

 兵舎に幽霊が出たこと。鰻の夢を見たこと。山頂の湖にソレを捕まえに行ったこと。あまつさえその鰻に擲弾筒をブチ込んだこと。

 我が事ながら莫迦らしい事この上ない話である。

「黄里さん」

「はぁ」

「前支え」

「ですよね」

 言われたとおり前支え――腕立ての姿勢をとる。

 そしてこの体勢のまま説教タイムである。

 なにしろ体罰は全くしないが説教の時間は異様に長いと評判の華香である。陸戦隊の前での事なので恥ずかしい事この上なく、しかも時おり「私はなんて言いました」と聞いているかを確認してくるのでキチンと傾聴していなければならないので尚更性質が悪い。

 結局、一時間ほど説教をされた後に久方ぶりの精神注入棒を頂き、何よりツラい事に罰直として朝食を抜きにされてしまった。

「幽霊のせいでエラい目に遭った」

 朝食を食べている皆を見ながら糖子はボヤく。

 何が遭っても、もう絶対に「幽霊退治」などやらない。そう心に誓い、幽霊屋敷もとい兵舎を後にした。


 余談であるが。

 数日後に下流で巨大な鰻の死体が上がり、それ以降は件の兵舎に幽霊は出なくなったという話であるが、当然ながらそんな後日談は糖子が知る由もなかった。

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