第3話 糖子の幽霊退治(前篇)

「あいっかわらず砂っぽい飛行場ですね」

 粉塵吹き荒れる滑走路を眺めながら、琴音が眉間に皺を寄せて呟く。

 三番島より北方に位置する帝國軍航空隊の一大拠点、タレンザカンの飛行場は今日も今日とて火山灰に埋もれていた。

 これは近隣に巨大な火山が存在するせいであり、そのせいで駐機してある飛行機は大半が火山灰に埋もれているような状態である。いちおうエンジンなどのような重要な部分には覆いを被せてあるが、それでも起動する際には一度全ての灰を払い落とさねばならない。

 そんな場所であるから搭乗員や整備員たちからの評判は悪く、糖子もあまり好ましい印象を抱くような飛行場ではなかった。しかし任務であるからには来なければならなかった。

『高撃隊はタレンザカン飛行場に所属機を派遣、後述する戦闘機隊と合流、コレを大島まで誘導せよ』

 それが今朝方司令部より受け取った命令であり、攻撃や訓練の予定もなかったので三○八号が選抜されてタレンザカンへと飛ぶ事になった。

 ベテランの搭乗員の多い三○八号が誘導に向いているという事であるが、どうも暇だと華香が突発的な訓練や座学をやり始めるからたまには若手を休ませてやろうという司令の采配らしい。

 そんなわけでいま現在、糖子たち三○八号の面々はタレンザカンの飛行場にいた。

「合流する戦闘機隊っていうのはどれなんだろう」

 飛行機が舞い上げる粉塵を避ける為、出来るだけ滑走路から離れた場所に陣取っていた飛文がボヤく。

「見た所、戦闘機隊なんていないけれど」

 飛文の言う通りザッと見渡したところ飛行場にはそれらしい機影はない。そもそも糖子たちがいる飛行場は大型機用の場所であり、戦闘機のような小型機は別の飛行場に離発着する筈である。

「これから来るんじゃないですかね」

 口元をマフラーで覆いながら琴音が答える。滑走路からだいぶ離れてはいるが、それにでも酷い粉塵であった。

「これから来るって……そうなると出発は夜になるよ?」

 腕時計を見ながら糖子は言う。

 戦闘機隊は本土から南下してくるらしいので、おそらく南領諸島を中継してハエバル飛行場から飛んで来るのだろう。しかし戦闘機の航続力ではハエバルからタレンザカンまで飛ぶのが精一杯であり、そのまま三番島に向かう事など不可能である。必然的に一度着陸して、燃料を入れる必要があるが戦闘機「隊」というくらいであるから一機や二機ではない。そんな数の燃料を入れていたらその間に文字通り日が暮れてしまうだろう。

「そうなると出発は明日かな?」

 言ってから飛文は糖子の顔を見てニヤリと笑った。

 ここにいる全員がタレンザカンの飛行場そのものは嫌いであるが、近くに軍港とそれを運用する軍属などの民間人が住む街がある。もし今晩泊まりになるとすれば、上手くいけば上陸(外出)させてもらえる可能性もなくはない。

「久しぶりに娑婆のご飯が食べられるかな?」

 軍での食事に不満があるわけではない糖子だが、それでもやはり民間のお店で出される料理に比べると軍隊飯が大味である事は否めない。くわえて軍での食事は主計科より「支給」される物であるので自分が好きな物を食べられるわけではなく、たまには娑婆で自分の食べたい物を思い切り食べたかった。

 しかしそんなささやかな希望も指揮所から戻ってきた華香によって打ち砕かれた。

「戦闘機隊は明朝に到着、昼前に合流する予定ですので今晩は兵舎に泊まります」

 兵舎に泊まる、とわざわざ述べている時点で「上陸はない」と言っているようなものである。

 それでも一縷の望みに賭けようと飛文が「上陸は駄目ですか?」と訊ねたが、華香は首を横に振った。

「駄目です」

 不服はあるが、こう断言されてしまったらもう何も言えない。

 全員でブツブツ文句を言いながら、糖子たちは現地の甲板兵に今晩泊まる兵舎まで案内してもらう事にした。

 陸軍のトラックを停めて無理やり便乗し、十分ほど揺られて兵舎まで移動する。

「へぇ、思ったより良い建物じゃん」

 トラックの荷台から降りた飛文が建物を見ながら言う。

 飛文の言う通り、洒落た建物である。どの窓にも網戸が付いており、今は水が出ないようであるがシャワーまで備えてあった。甲板兵曰く現地人の別荘を徴発した物であるらしい。

 しかし不思議な事にしばらく使用されていないのか、テーブルには埃が溜まっており、誰かが生活したという形跡は全くなかった。これだけ立派な建物を徴発しておいて使用しないというのも妙な話である。

「もしかして何かあるの?」

 糖子が訊ねると、甲板兵は言い難そうに「はぁ」と頷いた。

「ここだけの話しですが幽霊が出るという噂がありまして……」

「幽霊?」

 糖子が訊き返すと甲板兵は「はぁ」と再び頷く。

「なんでも夜中になると足を引っ張られたりするとか……それで気味悪くて誰もここを使っていないんです」

「なんだ、帝國軍人ともあろう者が情けない」

 聞いていた飛文がわざとらしく笑う。

「幽霊なんているわけがないだろ」

「自分もそう思いますが、しかしみんな気味悪がっているのは事実です」

 それだけ言うと甲板兵は「では失礼します」と頭を下げて逃げるように出て行ってしまった。口先では強がっていたようだが、やはり彼も怖かったらしい。

「幽霊ねぇ」

 怪訝な顔をしながら糖子は一つ一つの部屋を見て回る。

 どの部屋も西邦風の造りであり、二階の角の部屋には洒落た寝台まで置かれていた。今は電気が通っていないので使えないようだがキチンと傘の付いた電灯もぶら下がっており、風通しも良い素晴らしい建物である。

「私の実家より良い造りだね」

 部屋を回りながら糖子は独り言を呟く。

 しかし先ほど怪談じみた話しを聞いたせいか、確かに不気味な雰囲気は何処となく漂っているように感じる。特に子供部屋と思しき場所に置いてある西邦製の人形は気味が悪く、自分は絶対にこの部屋では寝ないと心に決めた。

「なかなか悪くない建物じゃないですか」

 糖子同様に建物の中を見て回ってきた琴音が上機嫌で言う。

「戦争でなければ住みたいような場所だね」

「街から遠いから車を所有していないと不便そうではありますね」

 まるで物件を見に来たかのような口調で琴音が言ったので、思わず糖子は吹き出した。

「なにかおかしいですか」

「いや、なんでも」

 夕飯は現地の兵隊が持って来てくれるというので各々自分の寝床を確保し、その後は居間にあったソファーに腰を掛けて久しぶりに飛行機の爆音が聞こえない場所での雑談会と相成った。

 気を利かせてくれたのか麦酒とサイダー、缶詰なども甲板兵が持って来てくれたので皆上機嫌で休暇気分を味わう。

 勝手知ったる我が部隊ではないのでギンバイ行為などは出来ないが、夕飯もキチンと配られたので不満はなく、みんなでワイワイ騒いでいる間に夜も更けていった。

「そろそろ寝ようかな」

 大きな欠伸をして、飛文が自分の寝床と定めた部屋に入っていく。それを合図にするように他の面々も自分の寝床に向かったので、糖子も灯りに使っていた蝋燭の火を消して自分の寝床に向かった。

 糖子が自分の寝床と定めたのは二階の角の寝台がある部屋である。

 カーテンがないので部屋は月明りでボンヤリと明るい。周囲をヤシ林で囲まれているのに、ここだけ月光が入って来るのは不思議な感じがしたが眠い頭で何か考えるのは面倒臭いのでそのまま寝台に寝転がった。

 上手い具合に毛布と布団があり、昼間の間に埃を片付けて干していたので久しぶりにフカフカの寝具での就寝である。ウトウトしている間もなく夢の世界へと旅立っていた。


 …………


 不意にバンッという大きな音で目を覚ました。

 窓を見てみれば未だ真っ暗だ。どうやら寝てから左程時間も経っていないらしい。

「……?」

 何事かと寝台から降りて廊下に出てみると、ちょうど真っ青な顔をした飛文が部屋から飛び出してきたのと同じタイミングであった。

「ぼ、ボクは飛行機の中で寝るよ!」

 それだけ言うと止める間もなく、飛文は転がる様に宿舎から出て行った。

「どうしたんだろ……?」

 首を傾げて寝台に戻り、ウトウトしていると再びバンッという大きな音が響き渡る。

 何事かと扉を開けると搭整が「自分も飛行機で寝ます!」と悲鳴のような声を出しながら逃げて行ってしまった。

 しばらくすると同じようにもう一人出て行ってしまったので、残されたのは糖子と琴音だけである。

 さっぱり意味が解らずに首を傾げていると、今度は隣の琴音の部屋からバンッという大きな音が聞こえてきた。直ぐに廊下に出てみたが他と違って琴音は出てこない。やはり胆力が違うんだなぁと感心をしながら糖子は寝台に戻った。

 さて、流石に幽霊を信じていない糖子ではあるが、他の面子が逃げ出してしまった事を考えるとやはり怖くなってくる。

 毛布に頭まで包まって耳を澄ましていると、風のせいか時おりキィっと窓が鳴り、屋根の上を猿でも走っているのかガタガタガタという気味の悪い足音が聞こえてきた。

 近くに鳥でもいるのだろうか。烏のような鳴き声が外から聞こえてきて、続くように羽ばたく音がする。

 ヤシ林が風で揺られるザーッという音が時おり部屋に届き、その度に窓がキィっと気味の悪い音を立てた。

 いっそのこと糖子も飛行機まで逃げようかと一瞬思ったが、飛行場まで走ったら結構な距離があるし、何よりこの暑い中を砂まみれの飛行機の中で寝たくはない。そもそも寝床から出るのが億劫である。

 寝るまでの我慢、寝るまでの我慢と言い聞かせ、糖子は毛布に包まっていた。

 不意に。

 ガチャリ、と部屋の扉を開ける音がした。

 続くようにしてギィギィという足音。しかも明らかに糖子の寝ている寝台に近付いてきている。

 足音は四、五秒続き、糖子の寝台の傍まで来るとピタッと止まった。

 少し毛布から顔を出して床を見ると、月光に照らされて人影が長く伸びている。

 思わず悲鳴を上げそうになるのを堪え、震えながら恐る恐る見上げると、そこには険しい顔つきをした女性が恨めしそうに糖子を見下ろしていた。

 顔色は真っ青で、髪を垂らし、鋭い目で糖子の事を見ている。

 素早く全身に悪寒が奔るのを感じ、糖子は思わず悲鳴を上げると寝台から転がり降りた。

「あばばばば」

 自分でも意味の解らない言葉を発しながら、糖子は部屋の隅まで逃げるとそのまま丸く縮こまった。

「糖子」

 ガタガタと震えて怯える糖子に聞き慣れた声が投げ掛けられ、そこでようやく糖子は我に還った。

「……琴音?」

 なんの事はない。立っている人物は琴音だった。

 見慣れたつもりであったが、やはりこういった状況では彼女の鋭い目つきは恐ろしい。

「どうしたの?」

「……一緒に寝ても良いですか?」

 顔色を真っ青にしながら琴音は言う。

 糖子は一瞬戸惑ったが、外から聞こえてくる不気味な鳥の声を聞いて即座に了承した。

「うん、一緒に寝よう」

 二人揃って寝台に寝転び、一つの毛布を掛ける。

 涼しい夜であったが流石に二人引っ付いて寝ると暑い事この上ない。くわえて余程怖いのか琴音が抱き付いてくるので汗がダラダラと垂れてくる。

「……暑い」

「我慢してください」

 それはこっちの台詞だ、と言いたいが琴音が離れる様子はない。おかげで恐怖は薄れたが眠れない事に変わりはなかった。

「琴音」

「なんですか」

「なんで足引っ張るの」

 先ほどからグイグイと糖子の足は引っ張られている。妙に冷たくて気持ちが悪い。

「あの……」

「なに」

「言い難いんですが、私の両手はいま貴女を抱いてます」

「…………………………」

 互いに沈黙。

 その間にも何かが糖子の足をグイグイと引っ張っている。

「糖子」

「なに」

「鳥肌凄いですよ」

「仕方ないじゃん……」

「ですよね」

 お互い顔色を真っ青にして、冷や汗をダラダラ掻きながら抱き合う。

 恐怖で二人ともガタガタ震えていたがもうこうなると意地である。けっきょく寝ているのか、寝ていないのか解らない間に外が白んでいき、気付けば二人とも抱き合ったまま気絶するように寝入っていた。

「よく暑くないな」

 その一言で糖子と琴音は目を覚ました。

 瞼を開ければ呆れたような顔をした飛文が立っている。

「そんなに怖かったのか」

 からかうように言う飛文に対して琴音は「何を偉そうに」と言い返した。

「逃げ出した負け犬のくせに」

「いや、あれは仕方がないだろ」

 二人が何やら言い合っているので糖子もようやくボンヤリとしていた意識が覚醒して来た。

「鰻だ」

 糖子がボンヤリと言うと、今まで言い合っていた琴音と飛文が「はい?」と素っ頓狂な声を出した。

「鰻」

 再び糖子が言うと琴音と飛文は顔を見合わせた。

「遂にマラリアで頭が……」

「だから道端に落ちている物を食べるなとあれほど……」

「二人とも酷くない?」

 文句を言いながら糖子は寝台から降りる。

「よし」

 乱れていた服を直すと、糖子は「ちょっと行ってくる」と二人に振り返った。

「行くって何処に?」

 飛文の質問に「幽霊退治!」とだけ答えて糖子は大股で部屋から出て行く。その姿を見送ってから、琴音と飛文は顔を見合わせた。

「やっぱり頭が……」

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