第2話 空腹こそが問題なり

 ドォン、ドォンと遠くの方から地響きのような音が聞こえてくる。

 まるで打ち上げられた花火のような音であり、事実それは火薬が炸裂している音であった。

「今日は何処だろう……」

 やっつけで造られた桟橋の上から釣り糸を垂らして、糖子はぼんやりと呟いた。

 一ヶ月ほど前より、北中支軍は近くに飛行場を設営したらしく、大規模な爆撃隊を編成して糖子たちのいる三番島近隣の島にある基地などに毎夜空襲を行っていた。

 定期的にやってくるので糖子たち飛行兵は「定期便」と呼んでいたが、他の基地も反撃すれば良いのに迎撃も対空砲も撃たないので毎晩やられ放題である。今のところ三番島に来襲した事はないが喧しい爆音は安眠妨害も甚だしい。

 そんなわけで糖子は夜間定期便が来る時間帯は寝床には入らず、毎晩こうして釣り糸を垂らしてボンヤリとしていた。

 もっとも今まで何かが釣れた試しがない。ただ釣竿を持って黙々と時間が過ぎるのを待っているようなものである。それでも何もやらないで寝床に入っているよりはマシであるように思えたので、毎晩意味もなく釣り糸を垂らしていた。

「なにか釣れましたか」

 足音と一緒に綺麗な声が投げ掛けられる。

 振り返ると糖子の無二の友人である青狭間あおざま琴音ことねが歩いて来ていた。

 目付きの異様に鋭い、糖子と同じくらいの歳の女性兵である。彼女も爆音のせいで眠れないらしく、眠そうな顔をしながら最近吸い始めた煙草を咥えていた。

「なーんにも」

 欠伸をしながら糖子が言うと、琴音は「でしょうね」と面白く無さそうに糖子の隣に座った。

「他の子たちは?」

「みんな起きてますよ。やっぱり眠れないようです」

 言いながら琴音は煙草に火を点ける。

「……うちも大所帯になりましたね」

 紫煙を吐き出す琴音。

 この数ヶ月で今まで定数三機であった「ハシヤマ分遣隊」の焔雲は九機に増強され、それに伴って名称も「ハシヤマ分遣隊」から「あけぼの高撃隊こうげきたい」という厳めしいものに変わっていた。

 今まで「分遣隊」だったのが独立した航空隊へと変わったのである。

 部隊が増強されたという事は必然的に搭乗員や整備員、またそれらを支援する人員や士官も増えたという事であり、今まで小さな場末の部隊だった分遣隊改め高撃隊は今や立派な航空隊へと変貌していた。

 これで名実ともに一流の部隊に……と言いたいところであるが、どっこい物事はそう上手くいかないのが世の常だ。確かに人員と機材の補充はされたのだが、しかしこの「補充された人員」というものが厄介であった。

 何しろほとんどが大型機講習を終えたばかりで飛行経験が面白いくらいない。

 当然ながら戦闘経験がある者も皆無で、実戦経験の少ない糖子たちがベテラン扱いされるという始末である。

 そんな状態であるから華香が大喜びで猛訓練を始め出し、出撃が無い日は朝昼猛訓練、飛んでいない時は後輩たちの面倒を見なければならないので大忙しだ。おかげで毎日クタクタな上にギンバイをしている暇もない。

 それでも猛訓練の賜物か新米たちも編隊を組んでいれば夜間爆撃も難なく出来る程度には「使える」ようにはなってきた。こちらが夜間定期便を迎撃しないのと同じで、敵もほとんど迎撃をして来ないので今のところ被害もない。

 だが新入りたちが使えるようになっても疲れる事に変わりはない。

 疲れて疲れて、このままでは過労死するのではないかと思うくらい疲れ切っている。そのうえ夜間定期便のせいで夜もまともに寝られないのであるから堪らない。さっさと追っ払ってほしいものである。

「敵爆撃機の基地の位置も解ってるんだからさっさと爆撃させてくれればいいのに」

 膨れ面で糖子が言うと、琴音が吹きだした。

「糖子らしからぬ好戦的な意見ですね」

「こう毎日爆弾落とされていたら、たまにはやり返したくもなるよ」

 釣り糸の浮きを見る。相変らずピクリとも動いていない。

「こっちも迎撃すれば良いのに」

「迎撃する戦闘機がないらしいですよ」

「嘘こけ。タレンザカンに山ほどあるの見たよ」

 少し後方のタレンザカン基地の戦闘機の一部でも飛ばしてくれれば、それこそ鎧袖一触で蹴散らす事が出来る筈だ。何故それをやってくれないのか解らない。

「戦力の温存でしょう」

 紫煙を吐きながら琴音は言うが、しかし定期便が落とした爆弾に巻き込まれて戦死している者も出ている筈である。兵を死なせておいて何が戦力の温存だ。

「そう興奮しないでください」

 珍しく糖子がプンスコ怒っているのが面白かったらしく、口調とは裏腹に琴音が楽しそうに笑う。

「それにもう少しで戦闘機隊を寄越すという話ですし」

「え?」

 思わず糖子は素っ頓狂な声を上げた。初めて聞いた話である。

 そういえば琴音は最近になって下士官兵の人事風紀をまとめる「甲板下士」という役職に着いてからだいぶ情報通になった。普通の兵隊よりも士官に接する機会が増えたからそういった情報も耳にしやすいのだろう。

「三番島に来るの?」

 否、そんな余裕はない筈だ。

 なにしろただでさえ狭い島に莫迦デカい飛行機が九機もいるのである。とても新しい航空隊が入って来られるようなスペースはない。

「ここだけの話ですが、大島の方に中規模な野戦飛行場を造ったらしいです」

「へぇ、あんな所に」

 大島には民間の街があるが、しかし大きな飛行場が造れるような場所はない。面積こそ広いが基本的に起伏が多い島なのだ。わざわざ辺鄙な三番島に飛行場が設営されたのもそれが理由なのであるが、どうやら知らぬ間にその問題を解決したらしい。

「それでどんな部隊が……」

 糖子がそこまで言った時、急に釣竿をグワンッと強く引っ張られた。

 落としそうになるのを慌てて抑えると、これまで微動だにした事がなかった浮きが激しく上下左右に動いている。

「わわわわ、引いた!」

 歓喜の声を上げながら引っ張る。しかしそれなりにデカいらしく、獲物はなかなか水中から姿を現さない。

 釣竿が折れるのではないかというほどしなり、琴音と二人掛かりで何とか引っ張り上げると釣り針には真っ赤な色の巨大な魚が食らい付いていた。


   ※


「刺身にしました」

 宿舎の真ん中の机に、綺麗に捌かれた魚が置かれた。

 途端に「わぁっ!」という歓声が湧き、今まで拗ねたような顔で寝転がっていた飛行兵たちが集まってくる。

「これどうしたの?」

 少年のような顔の飛行兵――友人の赤銅せきどう飛文ひふみが訊ねてきたので糖子が胸を張って「私が釣った」と威張ると、飛文は「へぇ」と感心したといった声を出した。

「意味もなく釣り糸垂らしていたわけじゃなかったんだ!」

「なにおう! そんな事を言うなら食べなくて良し!」

 糖子が皿を取り上げると「ひぃい」と飛文は情けない声を出す。

「そもそもアナタ、マラリアだとか言っていませんでしたっけ」

 怪訝な顔をする琴音。

 彼女の言う通り、飛文は夕方頃に「頭が痛い」と寝転がり、マラリアに罹っただのアミーバ赤痢だの騒いでいたのだ。

「バッカ。マラリアだから栄養摂らないとダメなんだよ」

 言いながら飛文は箸を持ち出すのも面倒くさいとばかりにヒョイヒョイと素手で刺身を食べる。魚の刺身が何より好きなのだ。

「ちょっと私が釣ったんだからあんまり食べないでよ」

「ケチケチ言うなよ」

 こうなったら負けじと糖子も箸でヒョイヒョイ口に放り込んで行く。他の飛行兵の食べ分が無くなるかなどどうでも良い。なにしろ糖子が釣って来たのであるから、これは間違いなく糖子のものなのだ。

「私も手伝ったんだから残しておいてくださいよ」

 二人の間から手を伸ばして琴音も刺身を口に入れる。

 他の飛行兵達も慌てて「自分らにも分けてください」と箸を手に取って刺身争奪戦に加わる。

 毎日疲れ果て、定期便や上層部のやり方に不満も多い。しかし食欲の前では些末な事なのである。

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