士気、食欲ともに旺盛也

第1話 爆撃照準は精確也

 真っ黒な紙に「月」という名の白い穴が開いているような夜だった。

 晴天の多い南方の夜には珍しく、今夜は空全体を埋め尽くすような量の暗雲が星々を覆い隠している。そんな中で奇妙な事に月だけが綺麗な丸い形のまま地上から良く見えていた。

 その丸く白い穴に覆い被さるようにして、巨大な影が月光を遮る。

 飛行機――それも爆弾を胴体内部に装着した陸上攻撃機(以下、陸攻)だ。

 いずれも胴体と翼に「大天照だいてんしょう帝國」の国章を付けた「焔雲えんうん」陸攻である。

 飛んでいる数は九。尾翼に「308」と書かれた機体を先頭に三角形を構成する様な形で編隊を組み、勇ましく轟々とプラペラを唸らせていた。

 不意にその編隊目掛けて地上から数本の光線が挙げられる。サーチライトの光だ。続くようにして敵の航空隊の来襲を知らせる警報の音が鳴り響いた。

 轟々と飛行している陸攻隊の真下には帝國の敵である「北中支きたなかし」軍の前線基地が存在している。それが飛び起きたかのように一斉に警報を鳴らし、兵舎から飛び出した兵士たちが対空火器を叩き起こすかのような勢いで射撃準備を行っていた。

「急げ!」

「射撃用意ッ!」

「早くしろ! 爆弾を落とされるぞ!」

 指揮官たちが蛮声を上げ、弾薬をたっぷりと装填された対空火器が空に向けられる。

 準備が終わると同時に基地の各所に配備されている対空砲、対空機銃が鳴き声を上げ始めた。

 目標はもちろん上空を飛ぶ陸攻隊だ。

 今まで真っ暗闇だった世界が爆炎や曳光弾によって眩しく照らし出され、はっきりと見えるようになった陸攻隊目掛けてあらゆる火器が銃弾を撃ち上げる。

 爆炎、曳光弾の線のような弾跡、サーチライトの眩い光線。

 辺りは一瞬にして真昼のような明るさに変貌したが、しかし陸攻隊への命中弾は今のところない。

 砲弾の信管に設定された高度があっていないのか、それとも射手が下手なのか、砲弾は激しく爆発するばかりで肝心の陸攻隊に当たっている様子は全くなかった。

「どこを狙っているんだ! 寝惚けているのか!」

 業を煮やした指揮官が叱咤するが、しかし怒鳴ったところで弾が当たるのであれば訳はない。兵士たちとて遊びではなく必死に撃ち続けているのだ。むしろ命中弾が出ないのが不思議なくらいなのである。

 悠々と一直線に飛ぶ陸攻隊が遂に基地の直上まで来ると、胴体内部に搭載していた爆弾を一斉に投下し始めた。

 今まで大事そうに抱きかかえていたのに、いざ落とすとなると要らない物を棄てるかのような乱雑さでバラバラと爆弾を落としていく。

 一機につき六十キロ爆弾、焼夷弾合わせて十二発。それを九機が一斉にばら撒いていったのであるから堪らない。基地はあっという間に爆発に呑まれ、あるいは焼夷弾によってあらゆる物が火に包まれた。

「夜戦の連中は何やってる! 居眠りでもしてやがるのか!」

 砲兵の一人が悲鳴のような声で未だ影さえ見えぬ友軍戦闘機隊を罵ったが、しかし罵声は虚しく爆発音に掻き消され、やがては声の主さえも爆炎によってこの世から消えた。

 誘爆音、悲鳴、炎が轟々と燃え盛る音が基地を支配し、今まで人の営みがあった場所を地獄のソレへと変貌させる。

 基地は黒かった夜空が真っ赤に染まるほどの業火に包まれ、時おり爆薬や銃弾、砲弾が誘爆して何度も断末魔のような爆発音を響かせていた。

 十数分後、ようやく通報を受けた夜間戦闘機三機が基地の上空に駆け付けたが、その頃にはもう陸攻隊の姿はなく、爆撃と誘爆の炎によって基地全域が真っ赤に染まっているだけであった。


   ※


 通信機の電鍵キーを打つ音が耳に届く。

 トン、トトンと小気味よく聞こえるその音は、爆撃が成功し、今から帰途に着く事を基地に知らせている。

 飛行中の焔雲――新生「三○八号」の機内は静かだった。

 もちろん直ぐ傍で轟々と唸るエンジン音は聞こえているが、この音に慣れた者にとっては静寂そのものなのである。

「爆撃終了。基地全域炎上、火の海と化す。爆撃照準は精確也」

 電文打ちました、と電信員が報告すると、それを聞いた美人な機長が満足そうに頷いた。

「なんだかこそばゆいみたいですね」

 近くで一緒に聞いていた偵察員の女性兵が口をへの字に曲げる。

 とても海軍の搭乗員には見えないような女性兵である。太めの身体に女学生のような顔立ちは逆立ちしても軍人であるとは思えない。

 しかし頬に付いている戦傷が彼女が「一日体験の女学生」ではない事を物語っていた。

 彼女の名前は黄里きざと糖子とうこ。立派な帝國海軍軍人であり、同時に優秀な陸攻搭乗員である。

「事実だから良いじゃないですか」

 クスリと機長が悪戯っぽく笑う。ただ微笑んだだけであるが、何処か蠱惑的な印象を抱かせる艶やかな笑みであった。

 彼女は巖渓いわたに華香はなか。大学出の予備士官であり、糖子が信頼している上官である。

「でも言い方というものがですね……」

 ぶちぶち言いながら糖子は照れ隠しをするように双眼鏡を覗く。

 爆弾投下から一時間。爆撃した場所からはだいぶ離れている筈だが、爆撃で炎上した基地が明け始めた空を赤く染め上げているのがまだ見える。確かに予想していた以上の大戦果ではあった。

「しかしうちも立派な部隊になりましたね」

 双眼鏡から目を離した糖子は周囲を飛ぶ八機の焔雲を見渡す。


 六か月前に敵艦隊への夜間攻撃を行ってから少しばかり歴史は動いていた。

 レゼン島に上陸した敵軍を撃破し、島の防衛に成功した帝國軍ではあったが、遁走する敵機動部隊の追撃を計った秘匿名「MI」と呼ばれる作戦に失敗、南進作戦初の大敗北を味わった。

 この敗北によって虎の子の精鋭機動艦隊を喪い、制海権の確保をするのが難しくなってよりは次第に伸び切った補給線を維持する事ができなくなり、遂には北中支軍の反撃を許すまでに至っていた。

 この事態を重く受け止めた帝國軍大本営は今まで北方の大陸での決戦の為に温存していた戦力を矢次早に南方の戦線に投入、事態の打開を図ったが、しかし戦局は好転せず、むしろ圧倒的な数の北中支軍に各戦線は苦戦を強いられていた。

 北中支軍もまた、今まで温存していた兵力を投入してきたのだ。

 もっとも先にも述べたように帝國軍の前線基地には戦力の増強が図られ、北中支の反撃も未だ散発的なものであったので各戦線には楽観視できるだけの余裕が残されていた。

 例え敵が幾万押し寄せようとも、帝國軍にはそれを押し返せるだけの力がある。

 前線で戦う将兵たちはそう信じて疑わなかったのだ。


「機長、そろそろ朝食にしませんか」

 周囲の焔雲から視線を腕時計に移した糖子が言うと、華香も時計を確認してから「そうしますか」と頷いた。

 もう待てない、とばかりに糖子が振り返ると、万事を了解していた搭乗整備員(以下、搭整)が小走りで華香と糖子の分の弁当箱を持ってくる。

「今日はサンドウィッチです」

「あら、ハイカラね」

 笑顔で受け取って弁当箱の蓋を開ける。

 中には小さい四角に切られた六個のサンドウィッチが詰め込まれており、魔法瓶の中には熱い紅茶が入れられていた。

 六つに切られたサンドウィッチはそれぞれ挟んでいる物が異なっており、ハムやオイルサーデンだけでなく、杏子のジャムなどを挟んだ物も入っている。

 ジャムなんて物は糖子たちの駐屯している「三番島」では貴重品であり、ご馳走とまではいかないまでもなかなか口に出来るような物ではない。

 糖子はまず紅茶を飲んで口の中を潤すと、ジャムの挟んでいる物から食べ始めた。なにか問題があった場合は食事を中断する必要があるので、好物から先に食べるのは糖子の習慣の一つである。

 美味しい物はいつまでも食べていたいが、しかし食べたら無くなるのが当たり前で、一つ食べ、二つ食べ……とあっという間に無くなってしまった。

 まだ足りないが無くなった者は仕方がない。糖子は名残惜しそうに弁当箱の蓋を閉めると両手を合わせた。

「ご馳走さまでした」

 戦況必ずしも好転せず。しかし糖子の士気も食欲もまだまだ旺盛であった。

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