売買のヒント その⑥ それぞれの投資スタイル

 スマートフォンの着信音が鳴った。私と同じように株式投資をし、尚且つ20代にして起業した友人のあおいからだ。過去に私と彼女は雇用主と従業員という立場だった。事業に対する考え方の相違からその関係は解消されたが、私がその後店舗責任者や、投資を始めるに至りまた交流関係が復活したのだ。同じような立場に立たねば人は相手の気持ちを理解できないという事を痛感し、過去を懺悔したときに彼女は心底嬉しそうな、安堵したような表情を浮かべていたのを覚えている。

「分かってくれて良かった。あなた達の給与を稼ぐ為にも、経営と同時に投資を勉強して始めたのに、あの時はみんなに理解してもらえなくて、金の亡者と批判されて本当に辛かった。」

 彼女のその姿勢や考え方が決して間違えでなかったことは、今の順調な経営状態と株やFX、そしてかなり早い段階から始めた仮想通貨からの利益を見るとよくわかる。若く、そして女性として、経営者として、だいぶ苦労してきたのだろう。時々彼女は酷く疲れて見えた。

 そんな彼女からある製薬会社の銘柄についての問い合わせが来たのだ。もちろん彼女はヒロさんの事も知っている。いつも独自のスタイルを貫く彼女からの問い合わせには少々驚いたが、私もどうにか力になりたいと思った。


「葵さんって覚えてる?彼女が〇〇製薬の株を買いたいらしいんだけど、ヒロさんはどう思うか聞いて欲しいって言われたよ」

 冷蔵庫を漁る彼の背中に質問を投げかけてみる。…勝手に開けた炭酸水がバレませんようにと願いながら。

「ん…ちょっと待って。あ。アンタねえ…なんで勝手にこの炭酸水開けたの!もう…ほらコレが先に開いてるでしょうが…」

 …あら速攻バレちゃった。だってそれ炭酸抜けてたし。不味いの飲みたくないし。とりあえず聞こえないふりをしてやり過ごす私の前に、彼はやれやれとその炭酸の抜けたボトルを寄越して置いた。…ち、気が利かないな…。

「何も言わずに冷蔵庫開けるのやめてよお…」そうぼやきながら彼はソファに腰かけ一息つくと、少し唸って話し始めた。

「製薬会社か、とりあえずおれなら買わないな。まず薬の値段ってどこで決まると思う?」

「んー、わかんない、健康保険?」

「惜しい。いくつかあるんだけどね、保険が適応される医療用の薬の値段については厚生労働省…国が決めるんだよ。国に下げろと言われたら下げざる得ないし、今後の医療保険の行き先などを考えたらなあ。それに今回の暴落を拾いたいんだろうが、あんなに値下がって損している株主が大勢いて恨みつらみの詰まった株を買おうなんて思わないよ。少し上がったら損切されてなかなか値が戻らないこともあるしね」

「へえ、確かに損失をずっと抱えたくないって気持ちはわかる。損切りする人が沢山いたら少し戻してはまた下げ、それはなんとなく想像できるかも」

「それから今回の外資のM&Aもなあ…日本の企業はその辺は本当にうまく立ち回れないというか。初めに提示した額からかなり吊り上げられちゃって…ぼったくりもいいとこだよホント…外資の買収が成功したとこって正直あんまりないんだよね、いつも高値で掴まされてるイメージ。…葵さん、そのことまでちゃんと調べたかなあ」

「いや、本人は安くなってるから買いたいとしか」

「そうか、正直おすすめはしないけど、短期で持つ分にはいいんじゃないかな、投資スタイルや考えは人それぞれだから、本当に買いたいなら買えばいいと思うよ」

「…いつも思うけど、なんでそんな情報しってるの?」

「そんなん全部新聞に書いてあるよ」

「」


 その夜早速私は葵に連絡をした。かなり長文になってしまったが、彼に教えてもらった情報と、しっかりと文末に「本当に買いたいなら買えばいいと思う」と言っていた旨を伝えた。彼女が本当は購入の背中を押して欲しかったのかそれとも違うのかは定かではないが「一度検討する」とだけの返信がきた。

 彼女もヒロさんの事を得体の知れない身分不詳の移住者オジサンだと思っていただけに、彼とお付き合いしたことをしばらく話せずにいた一人だ。今回のアドバイスにより身分不詳からまともな投資家として格上げされることを願いながら私は薄暗い天井を眺めているうちに眠りに落ちた。


※M&A…Mergers合併&Acquisition買収の意味。2つ以上の会社をひとつに合併・統合するための手法。買収など。

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