第40話

歌戀さんから逃亡したその日の夜。

風呂から上がった俺は冷蔵庫でキンキンに冷やしていたコーラを一気に煽った。


「はぁ〜ケプッ」


ため息と共に腹の中に溜まったガスを吐き出すと、コーラを再び冷蔵庫へ戻しテレビを点けてベッドに寝転がった。


まったくあの人の相手はいつしても疲れる。

恋海さんといい歌戀さんといいどうしてああも人を疲れさせることができるのだろう。

羽科家に伝わる才能かなにかなのだろうか?


そんなことを思いながら寝返りを打った時だった。

ピンポーンと部屋の呼び鈴が何者かに鳴らされた。


正直なところわざわざ起き上がって玄関まで歩くのすら億劫だ。

それに変な勧誘だったら面倒臭い。

俺は少し考えた後に居留守を決め込んだ。


しかし来訪者はどうやら諦めの悪い質のようで、執拗に呼び鈴を連打してくるので俺は頭から布団を被り両手で耳を塞いだ。


するといよいよ痺れを切らしたのか、今度は扉をドンドンと叩き始めた。

同時になにかを言っているようだが、両耳を塞いでいる俺にはなにを言っているのかは分からない。

一体どこの誰なのか知らないけれど、ヤ◯ザの取り立てみたいな行為は近所迷惑だからもう諦めて帰って欲しい。


しかしここで俺の中に小さな好奇心が湧き上がってきた。

俺はそっとベッドから立ち上がり、息を殺して覗き穴を覗き込んだ。


だがそこに人の姿は見えない。

というか外の景色が見えない。

そこはまるで覗き穴を真っ赤な何かに塞がれているように赤い景色が広がっている。


不思議な光景に俺は首を傾げていると、扉を挟んだすぐ近くから若い女の声が聞こえた。


「…やっぱりいた!」


そんな叫ぶような声に驚いた俺は、「うわぁっ!」と情けない声を上げながら尻餅を突いた。

尾骨を思いっきり打ちつけた痛みに悶えていると、扉の向こうからさらに声が続く。


「今目が合ったんだから居るのは分かってるんだからね?早くここを開けて」


目が合った…?

っていうことはあの赤い光景はこの扉の向こう側にいる女の眼だったってことか?

なにそれ怖っ!?

ホラー映画かよ!


「ねぇお願いだから早く開けてよ。居るんでしょ?外すごく暑いの。このままじゃホントに倒れちゃうから…」


そう言う声からは先ほどまでの勇ましさはなりを潜め、弱々しい声が伝わってくる。

たしかに今日は最高で38℃まで気温が上がるとYaho◯天気に書いてあった気がする。

そして時間的には1日で最も気温の上がる時間だ。

今外はさぞかし暑いことだろう。


だからといってこんな怪しさ満点の来客を部屋に上げるのもどうなのだろうか?

彼女が一体どこの誰なのかも知らない中で部屋の中へ招き入れるなんて無用人にも程があるだろう。


しかし…。


「あつい…あぢゅいよ…」


今にも泣きそう…というか今まさに泣いているような声を上げるのを聞いていると流石に可哀想にも思えてきて、少しの葛藤の後に俺は扉を開けた。


そこには全身に汗をびっしょりと滴らせる桃色の髪色の少女がグッタリと倒れ込んでいた。


これは流石に不味いと、俺は慌てて少女を抱え上げようとしたが、俺の腕力では完全に脱力した人間を持ち上げることは叶わず、仕方がなく脇に手を入れて引き摺るように部屋に運び入れたのだった。


運び入れてベッドへ寝かせると、俺はとんでもないことに気が付いた。

少女の着ているシャツが汗で透けて下着が浮かび上がっているのだ。


目のやり場に困った俺は押し入れからブランケットを取り出して少女へ掛けてやり、極力そちらへ意識を向けないように少女へ背を向けてカーペットの上に座った。


しかし、一体全体この少女は何者なのだろう?

チラリと少女の西洋人形のように整った色白の顔へ視線を向けるが、やはり見覚えは全くない。


もしかしたら前にどこかで会っていて、単に俺が忘れているだけという可能性も考えられるが、そもそも女子と関わる機会なんてほとんどなかった俺にそんな可能性はあり得ない。


しかし俺は今の状況に妙な既視感を感じていた。

そしてひとつの仮説が頭の中に浮かび上がるが、俺はそれを即時否定する。


そうだ、そんなわけがない。

ただの思い違いだ。

そんな展開が人生に2度も訪れるはずがない…と。


その時背後から呻くような声が聞こえて、俺は振り返った。

どうやら少女が気が付いたようだ。

少女はガバッと跳ね起きると、辺りを見渡してそのルビー色の瞳で俺を捉えると、慌てて自分の身形を確かめ出した。


「へ、変なことしてないでしょうね?」


ぺたんと女の子座りをしてブランケットを胸の前で抱えながら上目遣いにこちらを睨みつける少女。

そんな少女の姿を見ていると、先ほどの汗で服の透けた姿が脳内にフラッシュバックしてきてそっと目を逸らす。


「そ、それはそれとして、そちらさんは一体どちら様で?」


「ねぇ今目逸らしたのはどういう意味?なにかしたの?さてはあなた、あたしの意識のない内になにかしたのね!?言っとくけどあたしに変なことしたら国際問題なんだからね!」


国際問題って、あんたはどこかの国のお偉いさんですか。

と内心で突っ込みながら、俺は冷静に答える。


「なにもしてない。ただ部屋に運び入れる時に汗で服が透けてて下着がチラッと見えただけ」


「したっ_____!?あ、あなた見たの!?見たのね!?あたしが意識を失ってる間に下着姿見たのね!?」


「見たんじゃなくて見えたんだ!」


「やっぱり見たんじゃない!へんたい!へんたい!へんたい!」


げしげしと少女が白いニーソックスの足で蹴ってくるのを腕でガードしながら俺は言い訳を試みる。


「事故だったんだ!本当に偶々チラッと見えただけでそれ以上は見てない!その証拠にブランケット掛けてあっただろ!」


「うるさいうるさい!結局見たってことには変わりないんじゃない!」


どうやら言い訳は逆効果でしかなかったようで、さっきまでは片足で蹴りだったのが両足でバタバタとかかと落としへと切り替わった。

その様たるやまるで玩具を買って貰えない駄々っ子のようだった。


「っていうか結局あんた誰なんだよ!文句言う前にまず名乗ったらどうなんだよ」


俺がそう言うとピタリと攻撃の雨が止んだ。

そして相も変わらず俺を睨み付けながらベッドの上に立ち上がり口上を述べた。


「あたしはオリビア!ユーティーン王国の第四王女、オリビア・エクレール・ユーティーン!あなたのフィアンセよ!」


オリビアと名乗ったその少女は心底不満そうな表情でそんな爆弾発言を落としたのだった。




さて、一体どこから突っ込めばいいのやら?

王国の第四王女だとか俺のフィアンセだとか俺の初めて知る情報ばかりだ。

ただ、王国という言葉にだけは俺も思い当たる節がある。

そう、以前父さんが言っていた『とある王国』という言葉。


何故か無性に嫌な予感がして俺はスマホを手に取った。


「ごめん、全く頭が追い付かないからちょっと待って」


とオリビアさんに一言断りを入れて俺はスマホの連絡先一覧で父さんの番号を押した。


『おう、どうした?そっちから電話かけてくるなんて久々じゃないか』


「どうしたじゃねぇよ。なんか今俺の婚約者を名乗る子がウチに来てるんだけど、どうせまたなんか知ってるんだろ?」


『あー…悪い悪い、伝え忘れてたわ。その子はオリビア様、いろいろ事情があってお前の婚約者になった』


「軽いわっ!だいたいどんな事情があればお姫様が俺みたいな一般庶民の婚約者になるんだよ!」


『いろいろはいろいろだ。全部語ると電話料金が恐ろしい事になりそうだから簡単に説明すると、俺の代わりにその子と結婚してくれってことだな』


「…はい?は?今なんつった?」


『どうせ産まれてこの方彼女なんていた事ないんだろ?だったら渡りに船ってやつじゃないか』


「いや彼女いたことくらいはあるけど、そうじゃなくて今『俺の代わりに』とか言わなかったか?」


『いやほら、俺が愛してるのは母さん____ほたるさんだけだからさ。息子よ分かってくれ。それにお前、もしも俺がオリビア様と結婚したら同い年の義理の母親ができるんだぞ?そんなの嫌だろう?』


「…むしろ有りだろ。同い年の義理の母親とか最高のシチュエーションじゃね?」


『あ?なんだお前そういう趣味か?引くわ〜我が息子ながらマジ引くわ〜。義理の母親は綺麗な歳上のお姉さんに限るだろ。全く同い年が最高とか変態かよ』


「はぁ?綺麗な歳上のお姉さんだぁ?バカか自分の歳考えろよ。あんたの場合歳上のお姉さんなんて言ったら、もうおばさん一択じゃねぇか」


『うるせぇバカ!俺は心は少年のままだからいいんだよ!』


「なぁにが心は少年のままだよクソ親父!いい歳したおっさんがなにバカ言ってんだよ!だいたい親の性癖なんて知りたくなかったわバカ!」


『おいおいおい、さっきから聞いてれば親に向かってバカとはなんだバカとは。バカって言う方がバカなんだぞ』


「そっちだってさっきからバカバカ言ってるじゃねぇか!」


『なんだと!?』


「本当のこと言っただけだろ。…っていうかそろそろ本題に戻らせてくれよ」


思わず熱くなってしまったが、こんな親子喧嘩をするためにわざわざ電話したわけではないのだ。


『あん?本題?…あぁ〜そういや歳上お姉さんか同級生かで揉めたのが始まりだっけか?』


「それについては今度納得いくまで話し合いたいところだけど違う、オリビアさんについての話だ」


『オリビア様について?それはさっき終わっただろ』


「なにも終わっちゃいねぇよ。勝手に終わらせるな」


『そう言われてもなぁ、さっき言ったこと以上に話すこともないし』


「じゃあひとつだけ教えてくれ。この婚約云々の話で俺に拒否権はないのか?」


『え、なにお前嫌なの?あんな可愛い子がフィアンセでお前なにか不満なの?俺だったら喜んで頷くぞ』


「嫌とか不満とかそれ以前の問題だろ。お互いのこともロクに知らないのにいきなり婚約者だとか言われても困るだけだろ」


『そうか?一昔前はお見合い婚とか普通にあってそんなことはしょっちゅうだったんだけどな。これが時代の流れってやつか』


「しみじみと言ってないで質問に答えろよ」


『拒否権だっけか?もちろんあるさ。なにせこっちは乞われる側だからな』


それを聞いて俺は少しだけホッとした。

そもそもいきなり過ぎる話だし、結婚だとか恋愛だとかは今は全く興味もない。

だから相手方には申し訳ないけれど、今回の話は無かったことにしてもらおう。


『ま、よっぽどのことがない限りは断っても構わないぞ。例えばオリビア様の下着姿を目撃したとかな。ま、そんな漫画みたいな展開早々起こってたまるかってんだけど』


「…」


あ、終わったわ。


『どうした?急に黙って』


「あのさ、もし例えば、オリビアさんの下着姿を事故で見てしまったとして、その上で婚約破棄なんてしたらどうなっちゃう?」


『そうだな…まあそれがオリビア様にバレていないのを前提に生涯隠し通せば問題ないだろ』


「じゃ、じゃあもしバレてたら…?」


『まあ順当にいけば婚約破棄と同時に国際問題勃発。そのあとお前はユーティーン王国で形式だけの裁判、そして問答無用で極刑ってところだな』


はっはっはっ、と軽快に笑う父さんだったが、気付けば俺の全身からは脂汗が噴き出していた。

おかしいな、クーラーガンガンに効いてるはずなんだけど。

横目にオリビアさんの様子を伺うと、先程と特に変わらない様子で俺を睨んでいる。

え、なに?じゃあもしここで婚約解消なんてことになったら俺詰むの?


「まあどうしても嫌だってなら断っても全然構わないが、それはもうしばらくお互いをよく知ってから決めても遅くはないだろう。そういうわけでくれぐれもオリビア様をよろしくな』


「えっ!?ちょっ!」


ブツッと無慈悲にも通話が切れる。

そして俺は無意識に伸ばした手を下ろすのも忘れて、しばらくその場に立ち尽くしたのだった。

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