(15)
岳が何かを企んでいるのは、分かっていた。
分かった上で真琴は、校舎の四階に行こうとする彼に、黙ってついていった。
そして、岳が連れてきたその男の存在を視認した瞬間に、真琴は思い出した。
ずっと忘れていた、忘れたいと思っていた大切な人。
その人の名前と顔、性格や思い出の全てが蘇ってきた。
同時に、あらゆる感情が彼女の胸の内に押し寄せてきて、せき止められなくなった結果、涙となって溢れ出す。
――芳原 樹くん……!
今にもその名前を叫び出しそうになるのを、彼女は必死に堪えていた。
それよりも先に、彼に言わなければいけない事があるだろう、と掠れる声を振り絞って、その言葉を紡ぎ出す。
「ごめんなさい」
あの時犯してしまった自分の罪に向き合えず、彼にちゃんと伝えられなかった謝罪の言葉。
自分の欲に負けてしまった自分のせいで、何の事情も知らない当時の彼を殺してしまった事をずっと後悔していた。
悪いのは全て自分だ、と彼女も分かっていた。
それなのに、彼は謝った。
「俺の方こそ、あの時逃げてごめんな……?」
彼が謝らなければならない道理が全く分からず、彼女は首を横に振って、心の中で否定し続けた。
――違う! 違うの……あなたを傷つけてしまったから、全部私が悪いのに……どうして謝るの……?
その気持ちを口に出して、彼に伝えられないほど取り乱してしまっている彼女に、彼は尚も優しく接してくれる。
謝罪の気持ちを通り越して、感謝しか思い浮かばない。
そんな時、彼女を支えている岳の手に力が入るのを感じて、彼女はこの場にいた岳の存在を思い出す。
――ツバキ、くん……?
彼のおかげで、芳原とこうして会って、芳原の事を思い出し、あの時の事を直接、謝れた。
彼がこの機会を作ってくれなければ、一生できなかったかもしれない。
――……ありがとう。
この言葉は、後日でも、自分の口から彼にきちんと伝えなければいけない、と彼女は思った。
土日の二日間の文化祭が無事に終わって、振替休日だった月曜日を経て、火曜日は午前中までは文化祭の片づけに追われていた。
午後からは通常通りの授業に戻る予定で、休む暇もないな、と岳は愚痴を零す。
そんな忙しい日々が続く中で、昼休みにある人物に呼び出されて、岳は中庭へと向かっていた。
ベンチに座って待っているツインテールの少女の姿を見つけると、声を掛ける。
「みこ……笠嶋さん!」
その声に顔を上げる彼女は、近づいてくる彼の事を睨みつける。
危うく下の名前で呼びそうになったのを、苗字で言い直した事に、腹を立てているのかと思った彼は、すかさず謝る。
「ご、ごめん」
「なんで謝るんですか? あたし今、怖い顔してました?」
どうやら彼女は、彼の事を睨んでいたわけではなく、元々そういう目つきの悪い顔をしているらしい。
ニコニコしていれば、真琴さんに似て可愛らしい顔をしているとも思うのだが、それを口には出さない。
光琴が岳を呼び出した理由は、芳原の連絡先を渡してからの経過を聞きたいからのようだった。
彼女の隣に座ると、岳の方に顔を向けながら尋ねかけてくる。
「それで、芳原先輩とはちゃんと連絡取れました?」
「うん。土曜日の文化祭にも来てもらってさ。真琴さんとのわだかまりを解消していったよ」
完全に事後報告の形になっており、彼女も彼を責めようとは思った。
しかし、浮かない顔をした彼を見てそれをやめて、心配する素振りを見せる。
「どうしたんですか? なにかありました?」
「いや、なにかあったってほどのものでもないんだけど……」
ただ、自分の目の前で真琴が彼に謝罪しただけなのに、ひどく落ち込んでしまっている自分がいる。
勿論、それを見たから落ち込んではいるのだが、どうして自分が落ち込まなければならないのかが、彼には分からなかった。
――真琴さんは、芳原にちゃんと謝れて、自分の過去を清算できたはずだ。それでいい……そのはずなのになんで、僕は……
彼女にとって良い事を素直に喜べない自分がいる。
その事に腹が立ってしょうがなかった。
芳原への純粋な嫉妬が邪魔をしてくる。
「真琴さん……まだ、芳原のことが好きなんだろうか……?」
光琴に聞いたところで分からない事なのに、そんな質問が口をついて出てしまう。
そして、岳の予想通り、彼女はため息を吐きながら応える。
「姉が芳原先輩のことをまだ好きかどうかなんて、あたしが知るわけないじゃないですか。仮に好きじゃないとして、先輩のことが好きだとも限らないんでしょう? そんなくだらないこと考える暇があったら、好かれる努力をしたほうがよほど懸命だとあたしは思いますけどね!」
弾丸のように飛んでくる彼女の発言を、全て頭で受け止めて消化していくが、反論などは一切思い浮かばなかった。
彼女の言うように、真琴に好かれる努力をした方がいい事は分かっている。
そして、彼女の眼中に自分は存在していない事も分かってはいたが、それを目の前でまざまざと見せつけられては、気が滅入ってもしょうがない事ではあった。
これ以上、話をしていても光琴から慰めの言葉が聞けるとは岳も思っておらず、これで切り上げようと立ち上がる。
「ホントそのとおり。僕はダメダメで、芳原の方が真琴さんには合ってると思うよ……」
それでも心配ないと彼女に告げるように愛想笑いを浮かべて、岳はその場から離れようとする。
そんな彼の事を無言で見送るのも、自分が悪者みたいで嫌だと感じた光琴は、一抹の慈悲を込めて彼に声を掛ける。
「二人がなにやってるかはあたしにはわかんないですけど……まあ今更知りたいとももう思いませんが、先輩は頑張ってると思いますよ。姉もたぶん、先輩のことをちゃんと見てますよ」
振り返るとベンチに座ったまま、顔を横に向けて目を合わせようとしない光琴がいた。
彼女の事をじっと見つめていると、恥ずかしくなったのか段々と顔を赤らめていく彼女に、岳は、含み笑いをしてみせる。
今度は頬を膨らませて、岳の事を睨みつけた彼女は、口を大きく開けた。
「なんですか! そんなにあたしが言ったこと、おかしかったですか!」
「いやあ、夕方から雪でも降りだすんじゃないかと思って」
「……死んでください!」
そう言い残して、ベンチから立ち上がった彼女は、ツインテールをぐるんと振り回しながら背中を見せて歩き出す。
その後ろ姿はなんとなく、真琴と似ているようにも思えた。
放課後。
いつものように数学科準備室へと足を踏み入れると、先に部屋にいた真琴が彼の事を棒立ちで待っていた。
ナイフは手にはなく、今すぐにでも彼を殺したいというわけではなさそうだが、油断していると刺されかねないので、岳も反射的に身構える。
すると、思いもよらない行動に出た真琴に、岳は自らの目を大きく見開かせる。
「真琴……さん?」
急に自分に抱き着いてきた彼女に声を掛けるが、反応はない。
岳はこの光景に既視感を覚えて、考えていると、彼女と契約を結んだ日にも同じように抱き締められた事を思い出す。
――でもあの日はたしか……
記憶を辿っていくと、抱き締められた後に、腹部を刺されて殺された事も思い出して、岳は自らの両目を閉じて、その痛みに備えた。
しかし、一向に彼女にナイフで刺される気配はなく、彼が目を開けようとした時、耳元で彼女の吐息と共にその言葉が聞こえた。
「私、ツバキくんのこと――――――――好きだよ」
それは彼にとって、一番聞きたかった、望んでいた言葉ではあったが、頭が真っ白になった後に、ぽつりと黒い液体が垂れる感覚を覚える。
――放課後、僕は彼女に告白される。
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