放課後、わたしは二人を目撃した。

 木下は、昔から美しいものが好きだった。

 景色。絵画。建築。そして、人も。

 これらの自分が美しいと感じたものたち全てを、どうにかして記録したいと思っていた木下が、カメラという便利な道具に魅かれ出すのに、そう時間はかからなかった。


 カメラを手にした木下は、自分でも驚くくらい活発になった。

 満足のいく被写体を見つけるために、真夜中にこっそりと外に出歩いてみたり、一時間以上電車に乗って、知らない田舎の駅で降りて、自然を感じてみたり、高校に入る前までは、色んな場所に足を運んではシャッターを切っていた。

 じゃあ、高校に入ってからはどうなのかというと、そういうことは全くしなくなった。

 写真を撮るのが、嫌いになったわけではない。自分の欲を満たしてくれる被写体を、わざわざ探しにいく必要がなくなったのだ。


 高校生活が始まってすぐ、木下に衝撃が走った。

 前の席に座った女子生徒。

 髪の長い彼女に、木下が挨拶をすると、彼女は振り返って、「よろしく」と素っ気なく言った。

 さらさらと一本一本が絡みつくことなく動く綺麗な髪の毛に加えて、人形のような顔立ち。

 笑顔を向けられたが、それが作り笑いであることは、彼女の眼を見ればすぐに気が付いた。

 そんな彼女を見た木下は、生まれて初めての感覚を抱く。


 ――落ちた。


 自分の中の何が落ちたのか、最初は分からなかった。


 笠嶋真琴。


 身長一六五センチくらいで、シュっとしたモデルのような足の長い体型に加えて、綺麗な髪と顔。完璧に近い女性。

 そんな彼女の眼の奥に宿る冷たいナニカに儚い美しさを感じてしまったのか、彼女に見惚れ、そこで木下は気が付く。


 ――恋だ。


 胸がキュンとなるこの感覚は、恋に落ちたものだったと気が付いた。

 それからというものの、景色を撮っていても中学生の頃のような満足感を、木下が得ることはなかった。

 何を撮れば、あのころのように自分の心を満たすことができるのか。考えずとも、木下の中ではもう明白だった。


「おはよう!」


 教室に入って、元気よく声を掛けると、彼女は笑って返してくれる。

 木下の求めていたものは、まさにそれだった。

 男の人を寄せ付けない、どこか遠くにいるような雰囲気を醸し出している彼女の姿を、是非とも一枚の写真の中に収めたい。でも、彼女はその行為を許してはくれないだろう。

 撮らせてはくれない。が、撮りたい欲求を抑えられない。

 だから、こうするしか、自分の欲を満たせないと、彼女に気づかれないように、写真を撮った。所謂、盗撮というやつだ。

 その犯罪紛いの行為に対しての後ろめたさは感じながらも、それさえ自分の彼女への気持ちを高ぶらせる要素となって、シャッターを切る動作が止まらない。

 いつかバレて、やめさせられた時、彼女に何をするか自分でも分からないくらい、木下の頭の中は彼女のことでいっぱいになっていた。


 撮った写真の一枚一枚を調整しながら、自分が満足できる笠嶋真琴に仕上げていく。

 それらのデータを自分の部屋にあるノートPCに移して、「笠嶋真琴」と名付けられたフォルダに写真を貯めていく。

 一連の過程と、積み上がっているデータ量を目視で確認していくことで、幸福が溢れ出す。


「フフ……」


 木下は、画面を眺めながら、笑みをこぼした。


 二年生になった今でも、被写体は変わらず、笠嶋真琴のままだ。

 どれだけ貯まろうが、彼女の写真を撮って、調整して、PCに落とし込む作業に対する情熱に陰りは見えない。

 このまま、高校生活の全てを彼女に捧げるつもりだった。

 そんな自分でも満足していた生活が、夏課外の最中に突然と崩れ去るとは、木下は夢にも思っていなかった。


「え……?」


 木下が、最初にそれを目にしたときは、全く信じられず、ただただ困惑していた。

 あの笠嶋真琴が、男しかも同じクラスの男子生徒と歩いているなんてことを、想像だにしなかった。


「意味わかんないんだけど……え? なんで?」


 カメラのシャッターを押すのも忘れて、レンズに映る残酷な景色から目を逸らす。

 男子生徒の顔ははっきりと見えた。同じクラスなのだから、勿論名前も知っている。


 椿本岳。


 身長一七〇センチくらいで、眼鏡を掛けた、地味で普通な男。

 彼女とは見るからに釣り合っていない男子が、笠嶋真琴に手を引かれて、廊下を歩く様子を見た。


「いや、ないない……ありえないでしょ……あんな男と……? あるわけない」


 今さっき見たもの全てを否定しないことには、自分を保つ事はできないと、思わず口から言葉が漏れていた。

 見間違いであったなら、そうであってくれと願いながら、次にレンズを覗き込む。だが、映り込んだのは部屋に二人だけで入っていく地獄のような光景だった。

 それを見るのと同時に、木下は走り出して、トイレの個室に飛び込んだ。


「オェェェェェ……!!」


 便器に頭を突っ込む勢いで屈みこんで嘔吐する構えをとったのだが、胃の中のものは出て来ず、ただの涎だけが、口から垂れ出てくる。

 唾が便器の中の水面に落ちて、作り出された波紋を見て、少し冷静になったのか、唐突に襲い掛かってきた吐き気はどこかへ行ってしまった。

 しかし、冷静になって考えてみても、あの二人が一緒になっているということを受け入れることはできず、壊したくなるほどに美しくもなかった。


「壊す……?」


 自分の中に浮かんできた言葉に、木下は、納得する。そうしたいと思っているなら、実際にやってみればいいのではないか、と。

 邪魔なものを消し去るという方法は手っ取り早いが、リスクが大きいため、最終手段に残しておいてもいいだろう、と木下は、トイレから出て、学校から家に帰る道のりで思案する。

 焦る必要はないと、そう自分に言い聞かせながら、家に着くと、自分の部屋に入って、カメラの中のデータを一つずつ、PCに移動させていった。

 笠嶋真琴の美しい姿が並んでいるところに、一つだけ異質なものが追加される。

 彼女と眼鏡を掛けた地味な男が一緒になって映っている写真だ。


 本当は、彼女の隣は自分のはずだった。

 ただ、彼女を写真に収めるという行為だけで満足していたが為に、椿本岳という男にその最高の場所を盗られてしまった。

 こうなることが最悪の展開であると分かっていたのに、何も行動してこなかった自分を責めて、後悔する木下。

 

「でも、まだ遅くないよね?」


 そう呟きながら、木下は「笠嶋真琴」というフォルダの横に、新たな名前のフォルダを作る。

 「椿本岳」と名付けられたフォルダに、初めて、彼だけが切り取られた写真が加えられる。


 これは自分と笠嶋真琴の物語であると、信じて疑わない。


「そうだよ。“わたし”と“まーちゃん”の物語なんだよ……?」


 結末は、勿論、彼女の横にいる自分の姿だ。

 その物語には脇役も必要で、今まさにフォルダの名前として付けられた「椿本岳」が、その適役であろう。


「だから、もっと知らなくちゃ……ねえ?」

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