(8)
傍から見ると、普通かそれ以上のとても仲の良いのカップルにしか見えない二人だが、先ほどまで殺し殺されの悲劇をともに演じていた。
現実にはもう既にその出来事は存在しないが、岳の中には腹をナイフで抉られた痛み、真琴の中には指を噛み千切られた痛みの記憶が残留している。
真琴は彼を殺す前、彼女としての役割を果たしたいと話していたが、それが本心だったのではないかと、岳は思い始めていた。
学校のない日に出かけようと誘ってくれたのは彼女で、彼の為に弁当まで用意してくれていた。
普通ならそんなことまでする義理はない。
何故なら、二人は相思相愛で付き合っているわけではないのだから。
一週間、殺してきた結果、彼女の心境に多少の変化があったのだろうか。
今の彼女なら答えてくれそうな気がした岳は、手始めに弁当のことを聞いてみる。
「どうしてお弁当作ってくれたの……? 僕なんかの為に……朝から大変だったでしょ?」
「うん。大変だった。でも、ツバキくんがどうしてそんな質問をしてくるのか、私が聞きたいくらい。私たち付き合ってるんでしょう? それだけで十分じゃない?」
彼女の言葉は、それ以降に考えていた彼の質問に対する回答でもあった。
付き合っているから、オープンキャンパスに誘った。
付き合っているから、弁当を用意した。
付き合っているから、今日だけは彼を殺さないようにしようと思った。
岳は、彼女に気づかされた。
――そうか。僕が彼女を好きになったのは……
もう誰かを好きになることなどないと思っていた岳が、話したこともない真琴のことを何故、好きなったのか、その理由が見えた気がした。
――とても魅力的だったからか……
嫌な人には話さないし、近づかない。自分を好いてくれる人には、自分なりの愛情を示そうと努力する。
単純で真っ直ぐなところもあるが、複雑で面倒くさい。人間らしい彼女の魅力。
男性を殺す彼女の行為が異常なことに変わりはないが、それ以外は普通の可愛らしい女子高生であることを再認識した。
すると岳は、当初の彼女の目的が上手くいっているのか気になり、尋ねてみる。
「午前は色々聞いたけど、興味のあるもの何かあった?」
「そうね……途中からツバキくんを殺したくなって、あんまりよく聞いてなかったんだけど、バードストライク? の話は、ちょっと面白かったかもしれないわ」
学生の話をつまらなさそうに聞いているようにみえた真琴だったが、本当のところは「岳を殺したい」という感情を必死に抑えている状態だったらしい。
真面目な彼女のことだから、きちんと学部や学科を見た上で、志望するところを決めたかったのだろう。
ならば、今日はとことん彼女に付き合ってあげようと彼は思い、綺麗に完食した空の弁当箱を布で包んで返す。
「ごちそうさま! 本当に美味しかった! 作ってくれてありがとう!」
「どういたしまして。今度はツバキくんが作ったお弁当食べたいな……?」
それは無理なんじゃないかと彼はそう思いながらも、それを素直に彼女に伝えると、やってみなければわからないと言われそうだったので、苦笑いで対応する。
「機会があればやってみるよ。さて、午後からはどこの学科を見に行こうか?」
そんな言葉が漏れるとは岳自身も思っていなかった。
いつもの自分なら、苦笑いと「やってみる」という言葉で終わって、彼女との会話も終了する。
心境の変化から来るものなのか、岳は午後からの見学に向かおうと、彼女を誘った。
「急にやる気になってどうしたの?」
「そりゃあ、まあ、真琴さん手作りのお弁当も食べたしね!」
答えはすんなりと自分の中から出てきた。
彼女の手作り弁当を食べて、気分の上がらない男もそうそういないだろうと岳は納得した。
しかも、その彼女が笠嶋真琴とあっては、同じ高校の男子生徒に知られれば、吊し上げられて、拷問され、最後には打ち首になってもおかしくはない。
それくらい校内男子からの真琴の人気は、すごかった。
男性を寄せ付けない雰囲気を醸し出していても人気なので、もしそうでなかったら、自分は今頃どうなっていただろうと彼は思う。
午後からもオープンキャンパスを彼女と一緒に回ろうとやる気も出てきた岳は、やはり、彼女がここに来た理由が気になっていた。
「将来、なにかなりたいものとかあるの?」
理由に繋がってくるだろうと彼が尋ねると、隣に座っている彼女は、自らの目線を上げながら答える。
「さあ、どうだろう……? 可愛いお嫁さんになることかな?」
オープンキャンパスとは全く関係のないことだった。
もう少し深く掘り下げようとした岳が口を開く前に、彼女は立ち上がる。
「あれ? 『じゃあ、真琴さんの将来の夢は僕のお嫁さんってことだね』くらいのこと言ってくれないの?」
「いや、そこまで言う勇気は……」
「ツバキくんなら言ってくれると思ったんだけどなー……でも、本当に言われたら面白くないから、ついでに殺してたかもしれないね。言わないで良かったね」
フフフと笑う真琴は、先に建物の外へと出ようと歩みを進める。
岳も立ち上がって、彼女の背を追いかける。
建物を出てすぐに、女子高生とすれ違った。
女子高生と判断できたのは、この大学がオープンキャンパスの真っ最中であることと、彼女が制服を着ていたから。
それに加えて、一瞬だけ目に映った彼女の顔が、岳の記憶の中にある人物ととても似ていると思ったからだった。
――見間違い……だよな……?
たとえ偶然だったとしても、彼女がこの場所に来ている可能性は低く、来ていたとしてもこの広い大学の構内で出会う確率も相当低いだろう。
偶然ではないのなら、誰かに言われてここに来たのか。
そもそも、岳の見知った人物ではないかもしれないのに、自然と歩く足は速くなる。
嫌な予感がしていた。思い出されるのは、木下の言葉だ。
「明日、行かない方が良いと思うよ?」
先ほどまですっかり忘れていたのに、頭の中でそれが繰り返されるたびに、心臓の鼓動も速くなる。
振り返って確認することはなく、岳は真琴の後を追いかける。
早くこの場を通り過ぎようとしていたら、彼女に追いついて、横並びになった時、誰かに声を掛けられる。
「がっくん――――?」
そう呼ばれた瞬間、岳の背筋は凍りつき、その場で立ち止まった。
この時点で、全速力で逃げればよかったのだろうが、それ以上彼の足は動いてくれなかった。
そんな彼の普通ではない様子に、真琴は振り返って、彼を親しげに呼んだ女子高生を一瞥する。
大きな目に丸くて可愛らしい顔立ち。
胸元まで伸びた髪の毛は、先の方だけ綺麗に巻かれていた。校則が緩いのか、もしくは学校ではないからおしゃれをしてきたのだろう。
身長は一五五センチより少し大きいくらいだが、真琴の方が明らかに背丈は大きかった。
一向に振りむこうとしない岳にしびれを切らしたのか、彼女は彼の手を握って、此方を向くように促した。
「どうしたの? こっち向いてよ、がっくん。もしかして人違い……だったかな……? それとも
彼はゆっくりと恐る恐る振り返る。
彼女の姿がその目に映った瞬間、反射的に握られていた彼女の手を払いのけた。
それは精一杯の彼女に対する拒絶の意思だったのだが、そんなことよりも彼の顔を見られたことを彼女は喜んでいた。
「やっぱり! がっくんだー! 久しぶりだね! 憶えてる……よね? だって、がっくんとみのり――――付き合ってたんだもんね」
真琴は、彼女の言葉に目を見開かせた後、じっと彼女の方を見つめていた。
岳は、彼女の言葉に何も反応することなく、じっと彼女の方を睨みつけていた。
「“た”は違うかな……って、ん? あれれ? がっくん、隣にいる人はだあれ? クラスメイト? がっくんの彼女……なわけないよね? だって、みのりたちって……――――」
真琴を一瞥した後、すぐに彼女は岳の方へと視線を戻す。
自分との間に何事もなかったかのように話す彼女のその姿に、岳は顔を歪める。
せっかく作ってくれた弁当の中身を口から吐き出してしまわないように必死に耐えていた。
「――――まだ付き合ってるよね?」
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