第42話 夏休みの約束

 あの日以降、僕が作る結晶は不格好でエトワールと呼ぶには程遠いものだったが、魔術としては成功していた。毎日いくつかの結晶を作りアリーさんに送り続けて、そんなある日、転移袋に手紙が入っているのに気がついた。


 僕がカフェで送った手紙の返事だろうか。拾い上げたその手紙の内容は、アリーさんからの招待状だった。




「お邪魔します……」


 夕方の授業を終えて、僕はアリーさん工房を訪れた。部屋の中を見渡してもアリーさんの姿はなく、彼女からの返事もなかった。


「ちょっと早かったかな……」


 耳をすませば、静まり返った部屋に微かな物音が伝わる。それはお店につながる扉からで、誰かが話しているようだった。きゃっきゃと騒ぐ男女の声に、何かを説明するような男の人の声が混じる。閉店時間を過ぎているはずだけど、まだお客さんが帰っていないのだろう。きっとアリーさんもこの扉の向こうにいるはず。


 僕はアリーさんの仕事が終わるまで、工房で待つことにした。工房はまだ作業の途中のようで、机の上には作りかけの結晶が置かれたまま、器具の近くにもあちこちに砂や小石が散らばっていた。


 前回触れないようにと注意された、大きな球体を連ねたような透明な器具。その中には様々な色の砂が流れて分岐し、ある場所では水が溜まっていた。その流れの終着点で、結晶の材料と思われる白い粉が大きなボウルへと注がれていた。


 砂時計のようなその流れを、僕は遠くから眺めた。止まることがないのに変化がないその様子は、見ていて飽きることがなかった。




「ふー」


 それは聞きなれない男の人の声だった。疲れた様子で扉から出てきたその人は、僕に気づいたのかこちらへと歩いてくる。束ねた長髪は編み込まれ、整えられた身なりに鋭い目つき。その瞳に捕らえられた僕の背筋は一瞬で凍りついた。


「もう来ていたんだね。待たせちゃってごめんよ!」


 躊躇いのない足取りで近づいてくる男の人。目の前に立った大きな影から、手がまっすぐ伸びてきた。


「大丈夫?」


 びくりと肩を震わせた僕を、その人は心配そうな表情で見つめた。その様子はどこか見覚えがあったが、僕に考える余裕なんてない。ただ固まって、荒れ狂った思考から身を守るので精一杯だった。


「何かあったの? 話、できるかな?」


 その人はじっと待っていた。動かず、話さず。僕を見つめるだけで、何もしようとしなかった。


 その姿を見て、僕はゆっくりと息を吸った。空気が肺全体に届く。静まり返った思考の中に、その姿や仕草、言葉遣いが一つずつ取り込まれた。


「……アリー……さん?」


 その表情に、アリーさんの姿が重なった。男の人の行動や仕草は、どこか彼女を思い出させる。


「うん、どうしたのかな?」


「……本当にアリーさんですか?」


 違和感なく答えるその顔にどこか面影はあるものの、やはり別人でしかない。


「そっか! ごめん。お店に出るときはできる限り男の人の格好をしてるんだ。ほとんど変えてないつもりだったけど、そんなに違って見えるかな?」


 くるりと回ったその人は、楽しそうに微笑んだ。どこからどう見ても男の人にしか見えないのに、仕草はアリーさんのまま。


「えっ……、あっ、はい……。ごめんなさい……」


「いや、気づかないように変装してるわけだから何も問題はないよ。それより驚かせちゃってごめんね」


「でも……どうして?」


 アリーさんは僕のように、人から疎まれるような見た目をしているわけではない。その功績だって、今では多くの人に認められているはずだ。そんなアリーさんが、わざわざ姿を変える理由なんて思いつかなかった。


「女の人が一人って、色々大変なんだよね。しかも一応高級店だから、そういった問題も起こりやすくてね」


「そういった問題?」


「まだ分からないか。昔のことだけどね、女の人は男の人より劣っているっていう考えがあったの。今ではほとんど薄れているけどね、いなくなったわけではない。特にこんな有名なお店だと、そういった人の目にも止まりやすいから……」


 それはアリーさんの問題ではなかった。この世界における、アリーさんの立場で生じる問題だった。


「問題は起こる前に対処できれば、それが一番でしょ? その人の中身を見てくれる人なんて、ほとんどいないんだから」


 彼女はそう楽しそうに答えた。それは僕がまだ越えられない壁の先の、その景色を見た人の表情だった。


「それに、案外この格好も気に入ってるんだ。結構キマってない?」


「僕はいつもの方が安心します」


「それはまだ慣れてないからだね。この姿で会うことも増えるだろうから、慣れてね」


「……はい」


 正直この場所で会えば、その度に驚く自信がある。それでも彼女は許してくれると思うけど。


「そうそう! それで本題だけど……」


「提案……ですよね」


 それはアリーさんからの手紙に書かれていたことだった。


「夏の終わりにあるお祭り、学院主催のシーサイトって知ってるかな?」


「はい。もしかして……」


「そのもしかして。アリソン工房も出店しようかと考えているんだ。そしてサイラスにお手伝いを頼みたい」


 学院と呼ばれる建物のあらゆる場所で開催されるお祭り。僕も一度だけ、家族に連れて行ってもらったことがある。


「シーサイトはあくまでも子供が中心のお祭り。高級品は扱うことができない。だから子供にも手の届くもので、かつ何かしらの楽しみがあるお店にする必要があるんだけど……」


 アリーさんは少し悩むように押し黙った。


「具体的にはどんなことをするんですか?」


「それはまだ考えてない! でも一つ考えているのは、サイラスが作った結晶を景品として使おうかなーと。価値的に考えれば、もっと小さいものを作ってもらうことにはなるけど」


「もっと小さく……」


「材料を少なくすれば、できる結晶は小さくなる。とは言え、より細かい魔力のコントロールが求められるから、魔術は当然難しくなる」


 ようやくまともな結晶を作ることができるようになったところなのに、もう次の段階を求められる。それは僕に期待しているからだと思うが、僕がそれに応えられるかは分からない。


「まだシーサイトまでには時間があるし、サイラスはこれから夏休みでしょ? じっくり考えてもらっていいよ。このお祭りは子供が主役。つまりサイラスも主役なんだから!」


 そう言ってアリーさんは立ち上がった。


「私はお店を片付けてくるね。ここにはいつでも遊びに来てくれていいから。器具にさえ触らなければだけど」


 楽しそうに歩みを弾ませながら、彼女はお店へと姿を消した。彼女の頭の中には今、いくつの計画が進んでいるのだろうか。それは僕には想像できないほど広く、喜びで満ちているような気がした。


 僕もそこにいるのなら……。それは楽しい未来に違いなかった。

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