第92話 次に繋がる最後の話

 青空は高く、羊みたいなモコモコの雲が移動する。心地よい風が髪の毛をもてあそぶ。全てが平和に戻っていた。いつも通り、あって当たり前の日常。その日常に僕たちはまたお別れをしなければならない。


「そろそろ行こうか」


 空っぽになった家を後にして、僕たちは街を歩いた。



「お父さん」


「謝るのはなしだよ」


「…………」


 街の郊外の大きな湖。あちら側の世界へつながるゲート。


「サイラスは何も悪いことをしていない」


「うん」


「なら、胸を張っていればいい」


 もやのかかった湖の上に、僕たちは立っていた。明るい顔色のお父さん。お父さんの肩の上で、元気に暴れているスミ。僕たち家族を見送るために、炎の賢者と風の賢者、そして命の賢者と呼ばれるようになったアスさんが来てくれていた。


「もう迷惑をかけるんじゃないよ」


 何度も迷惑をかけた風の賢者は、フードの下で笑っている気がした。

 

「サイラス!」


 その声に振り返れば、見慣れた顔が揃っていた。


「忘れ物だよ」


 アリーさんから渡されたのはオレンジ色の結晶でできたネックレス。不器用なりに思いを込めて作ったそれは、僕が目を覚まして以来失くしてしまっていたものだった。


「これはお昼にどうぞ」


 マスターさんから貰ったかごには、みんなと食べた様々なパンが詰まっていた。


「お前さんが解決したんだってな。よくやった!」


 頭を乱暴に撫でまわす手は大きくて、それは何度も僕を支えてくれたものだ。


「ノーマンさん、こっちに来て!」


 僕はその大きな手をとって、影を薄くしていたアスさんの元へ向かった。もう隠れられないことを悟った様子で、彼は本心を隠すように笑った。


 二人の手を取って重ねる。何ともないように装っているこの二人は、互いに嘘をつくことが上手らしい。その手の温かさに驚いた二人の、気まずそうな表情を無視して、僕は重ねた手が離れないように両手でしっかりと握った。


「ちゃんと話し合ってください。言葉にしないと何も伝わらないから」


 夢の世界でのアスさんとの約束。


「この手は離しちゃだめですよ。遠くに行ってしまわないように、しっかりと握っておいてください」


 アスさんにはまだこの世界にいてほしいから、彼をこの世界に留めておく唯一の存在であるノーマンさんと仲直りしてもらいたい。


「分かりました。ちゃんとお話ししますね」


 アスさんは少し呆れたように笑って言った。未だノーマンさんは恥ずかしそうだったけど、この様子だったら大丈夫そうだ。


「そろそろか」


 炎の賢者の言葉で、僕は家族のところに戻った。


「もし向こうでラヴィと会うことがあったら、よろしく伝えて」


「はい!」


 リアンさんに元気よく返事して、僕はみんなを振り返った。


「あとは私が連れていく」


「あなたも戻る気はないのですね」


「もう充分だろ?」


 二人の賢者が、互いに皮肉のこもった笑みを浮かべる。その理由は知らないが、炎の賢者もあちらの世界へと渡るらしい。魔力の無くなった僕と共に。


「日本に君の母方の親戚がいる。彼女が是非と言うのでね。これからのことはそこで考えればいい」


 靄が濃くなっていく中、炎の賢者がこっそり耳打ちをした。どうしてそんなことを知っているのだろう。その疑問を尋ねる暇もなく、僕たちの視界は白くなった。


 この世界を後にした。醜くて哀れで美しくて、それでいて僕の大切なこの世界を。

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