第86話 僕が持っていないもの
突然知らない子供が現れて、事情を話したところで信じてくれるだろうか。普通の人ならまず信じないだろう。たとえあのカフェを訪れる人でも、それは変わらない気がした。
信じてもらうには、証拠を見せるのが一番だ。でもその証拠が一つもない。僕が持っているのは、この世界で過ごしてきた僕が手に入れたものだけ。それらは何一つとして、役に立たなかった。
「行かないの?」
「うん、ごめん。今日も行かないといけないところがあるから」
僕は友達の誘いを断って学院を一人歩いた。僕の記憶に残っている場所。その中で僕が行くべきところ。思いつくのはどこも意味の無さそうなところばかりで、思い出した一つの不思議な出来事を頼りに、ある場所へ行くことにした。
「鍵が、欲しい。カフェへ行くための。お願い」
僕が開いた扉の先、いつも散らかっている部屋に、物は一つも置かれていなかった。あの時と同じ状況だ。どういった条件で物を動かしているのかは分からないが、あの時は僕に必要なものを示してくれた。今回だってきっと、必要なものをくれるはずだ。
部屋をあちこち見渡した。机の下も本棚も、どこもかしこも探した。それでも何も見つからない。今の僕に必要なものはないということだろうか。それともこの部屋が必要なものをくれるという、僕の推測が間違っていただけなのだろうか。
「きゅっ」
膝をついた僕に、それは道を示すように鳴いた。姿が見えたわけではない。きっと空耳なのだろう。それでも声が聞こえたのは、僕を導くためであるような気がした。
窓辺に落ちていたオレンジ色の花。その花弁の中に、特徴のある輝きを放っているものがあった。それは僕にとってかけがえのないもの。大切な人にプレゼントして、最期の場所で預けられたもの。
「ありがとう」
僕は今から、生まれ育った世界に帰る。もうお母さんには会えなくなるけど、そこで待っている人たちがいるから。
僕は工房へ向かった。扉には鍵がかかっておらず、そこから覗いた室内にアリーさんの姿はなかった。今の僕は彼女にとって赤の他人でしかない。このまま留まっていても、不審者だと思われないだろうか。
「ふー」
入口で悩んでいた僕に、アリーさんはタイミングよく現れた。
「……どちら様でしょうか?」
「サイラス=アシュレイと申します。アリソン=スペンサーさんには、たくさんお世話になりました……。その、僕がいた場所で……ですが」
「…………」
警戒心を強めた様子で、アリーさんが近づいてくる。それも仕方がない。こんなことを急に言われても、僕がふざけているようにしか見えないはずだから。
「これが、アリーさんに教わって僕が初めて作ったエトワールです。その……カフェに行きたくて。マスターさんに会いたいんです」
アリーさんが僕のエトワールを手に取った。オレンジ色の結晶には、花火を模した彫刻が施されている。不格好で商品にはならないが、それが本物のエトワールであることは、彼女であれば分かってくれるはず。
「鍵を貸していただけませんか?」
今の僕にできることは、懸命に訴えることだけだった。彼女に頼る以外に残された方法はない。
「一回だけ連れて行ってあげる」
「本当ですか!」
「ただし、代わりにこのネックレスは貰うから。それと、これについての話も聞かせてもらうよ」
「ありがとうございます」
一回だけでも、カフェへ行くことができるのならそれでいい。たとえ信用されていなくても、これでマスターさんに相談することができる。
僕はアリーさんが開いた扉から、カフェへ足を踏み入れた。
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