第46話 歪

 シーサイトまであと一週間となった。僕の作る結晶の形も整い、出店の準備も進んでいる。


「今年は仕事を休めそうにない」


 お父さんは疲れ切った様子でそう言った。夏休みの間にどこか家族旅行へ行こうと約束していたのだが、お父さんの予定が合わずに今日まで来ていた。


「珍しいのね。仕事、忙しいの?」


「ああ」


 力のない返事。お母さんの声はちゃんと届いていないように見えた。顔を覆った手の隙間から見えるお父さんの顔色は悪く、その場にいるだけで体力が奪われているように感じた。


「それなら、今年は二人でシーサイトに行こうかしら」


 お母さんはこれ以上お父さんの様子を気にかける様子もなくこちらを向いた。


「ごめんなさい。僕、シーサイトでお手伝いすることになってて……」


「…………」


 僕の言葉にお母さんは黙り込んだ。眉間にしわが刻まれ、その言葉を疑っているようだった。


「店を出すのか?」


 お父さんはいつの間にか顔を上げて、こちらをじっと見つめていた。


「うん。お世話になっている人のお手伝いをするの」


「そうか」


 それからお父さんは特に返事をすることなく黙り込んだ。


「それなら挨拶をしないと」


「それは大丈夫だから」


 ぎこちないお母さんの言葉に対して、反射的に出た言葉だった。どうしてかカフェの人たちと両親を会わせたくなかった。カフェの人たちの時とは違って、両親と話しているともやもやとした何かが心を覆ってしまう。


「僕……部屋に戻るね」


 このもやもやは良いものではない。居たたまれなくなった僕は、会話のなくなったリビングから逃げ出した。二人がどんな表情をしているのか、確認する余裕はなかった。


 その後はずっと部屋にこもっていた。あんな空気を残してきて、また顔を合わせる勇気はなかった。


「きゅん!」


 僕たちが話している間、リビングで気持ちよさそうに眠っていたスミは部屋に戻るとすぐに遊び始めた。あのぎこちない空気を感じ取って、面倒事に巻き込まれないように立ち回っていたのだろう。僕としては一声鳴いて、その無邪気さを振りまいて欲しかったのだけど。


「きゅん! きゅん!」


 エトワールを転がして遊ぶ楽しそうな様子に、僕は少し元気をもらった。


 コンコン


「サイラス。ちょっといいか?」


 それはお父さんの声だった。これまで僕の部屋に両親が訪ねてくることなど一度もなかった。先ほどの言葉が悪かったのだろうか。いつもと同じように振舞おうとしたのだけれど、そのいつもが分からなくなってしまったからだろうか。


「サイラス?」


「ちょっと待って」


 何かいつもと違うものは置いていないだろうか。結晶作りの道具もカフェでもらった鍵も鞄にしまったまま。それ以外に何かないかと見渡したとき、目の前を結晶が転がっていった。


「きゅっ?」


 結晶を追いかけるようにスミが駆け、その勢いで結晶が飛ばされる。


「待って、スミ!」


 ベッドの下に潜り込もうとしたスミを捕まえて、僕はその先にあるはずの結晶を探した。ベッドの下は暗く、光の届かない場所では結晶も輝けない。一先ず片腕を伸ばして探ってみたが、届く範囲には何もなかった。


「きゅー」


 僕の腕の中で居心地の悪そうなスミが暴れた。お父さんは黙っていたが、もうずいぶんと時間が経っているような気がした。


「もう大丈夫か?」


「うん」


 僕は結晶を探すのを諦めて扉を開いた。部屋に入ったお父さんは、僕が抱えていたスミの頭を撫でた。


「座って話そう」


 特に部屋を見まわすこともなく、お父さんはまっすぐベッドに向かって歩いた。そこに腰をかけると、僕を促すようにその隣をポンポンと叩く。僕はスミを抱えたままその隣に座った。


「学院は楽しいか?」


「うん」


「……友達はできたか?」


「えっと……」


「……何か……困っていることはないか?」


「ないと思う」


「そうか……」


 お父さんはゆっくりと尋ねた。質問は簡単なものばかりだったが、その一つ一つを確認するように奇妙な間をあけてから口を開いていた。昔の僕だったらすぐに答えられたことなのだろう。今の僕では、本当のことを言いたくないのに嘘をつきたくもなくて、その答えが口ごもってしまった。


「お世話になっている人は……どんな人なんだ?」


「…………」


 これがお父さんが本当に聞きたかったこと。その前にいくつか質問をしたのは、僕が少しでも気軽に答えられるようにするため。


「その人とはよく会っているのか?」


「……うん」


「サイラスはその人を信頼しているのか?」


「うん」


「…………」


 お父さんはそれからしばらく何も言わなかった。スミも僕の腕の中で寝ている。僕から何か話しかけることもできなくて、ただただ時間が流れていった。


「俺たちには会わせたくない……ってことでよかったか?」


「…………」


 その言葉に返事をすることはできなかった。会わせたくないことは事実だったが、それを伝えてしまうと何かが壊れてしまうような気がした。


「サイラスの判断を尊重するよ」


 その言葉に、どれほどの思いが込められていただろうか。


「ただし……。危険だと思ったら、すぐ家に帰ってくること。……お父さんに連絡をすること」


「分かった」


 お父さんは少し寂しげな顔をした。また僕が迷惑をかけた。昔はこんなにも心が痛くなかったのに、僕はその表情を見たくはなかった。


「でもお世話にはなっているから、手土産は持っていこうか。何がいいか選んでくれるか?」


「うん」


 お父さんはずっと僕を見てくれていた。ずっと僕を気にかけてくれていた。それはすぐ隣というわけではなかったけれど、僕が手を伸ばせば気づいてくれる距離で待っている。


 見上げたお父さんの顔は青白かったが、とても優しげな笑みを浮かべていた。

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