第13話🌸チャンス

 待ち合わせは、森下が通った中学の側にある喫茶店だった。ひかりの家からは歩いても10分掛からない場所にあった。すぐにひかりは喫茶店に向かった。かなり急いで出たつもりだったが、森下は既に到着していた。店内からひかりを見つけ無邪気に手を振っている。ひかりは少々気恥ずかしかったが、そのままつられて手を振り返した。

 店内に入ると、ちょうど客足も一段落したように静まり返っていた。店のマスターは一瞬ひかりを見て、

「いらっしゃいませ。」

と言うと、そのまま作業に戻った。どうやらひかりが【音無レイカ】だと言う事は知らない素振りだった。ひかりはゆっくりと森下が座っているテーブルに向かった。

「早かったな。」

満面の笑みで森下は言った。

「森下君こそ早かったね。」

ひかりは席に座りながら答えた。

「俺、ここから電話してたから♪」

「なんだぁ!そうなんだ。じゃあ、いくら私がダッシュしても負けるわけだ。」

「ダッシュしてきてくれたの?」

「えっ?アハハ・・・」

「嬉しいなぁ♪」

森下からは相変わらず、自分の気持ちに正直な言葉が次から次へと飛び出してくる。その言葉を心地良く感じながらひかりは、いつになく幸せな気持ちでいっぱいになっていた。

 ひかりは、レモンティーとチョコレートケーキを注文すると森下が、

「あ、俺も同じもの♪」

と、マスターに追加注文した。その後、

「ここのマスターって俺の父ちゃんの親友なんだ。」

とひかりに教えた。

「そうなんだ。」

ひかりにとっては、ハッキリ言ってどうでも良かったのだが、森下があまりに嬉しそうに言うのでついつられて笑顔で驚いて見せた。


 ゆっくりした時間が流れていた。ひかりは森下に事の経緯を説明すると、森下もそれに対して労いの言葉をくれた。一時間ほど経った時、ひかりのスマホが鳴った。

「誰だ?」

ひかりは見覚えのない番号に疑問を感じた。

「出なくちゃ!」

森下に急かされ、電話に出た。

「もしもし?」

「音無さんの電話ですか?」

「え?・・・」

「音無レイカさんの電話ですよね?」

「どなたですか?」

「リーだよ!」

「えっ?リー?」

「『マリア』をこよなく愛す『リー』役の高田だよ!」

「え?高田さん?」

ひかりは、何故か相手が男性と言うだけで森下に申し訳なくなった。そして、何故かそのまま森下にゴメンのポーズを取って喫茶店の外に出た。森下も了解!と親指を上に立てたポーズでひかりを見送った。その行動に疑いの仕草は微塵もなかった。

「あ、すみません。どうしたんですか?」

「事務所を辞めたって聞いたけどホント?」

「はい。あんな辞め方になっちゃって事務所にも迷惑掛けたし。」

「あれは、マリアのせいじゃないじゃないか!」

この高田という声優ももちろん真実は知っているのだ。

「まぁ・・・でも一応私のせいってことですから。」

「これからどうするの?」

「え?これから?」

「事務所辞めちゃったら仕事、どうするの?」

「あぁ・・・何も考えてないです。アハハ。」

「ウチの事務所、来ればいいのに。」

高田から予想もしていない言葉が飛び出した。高田の事務所は、オールジャンルのタレントたちが所属する事務所だった。高田自身、声優が本職と言うわけではなくマルチに活躍中の俳優だった。その事務所に所属など今のひかりの立場では絶対に無理だと分かっていたひかりは、

「またまたぁ~。本気にしますよ。」

とお茶らけて言った。

「社長には、話してあるんだけど。あとはレイカちゃんの意思次第。」

どうやら高田は本気でスカウトしてくれている様子だった。せっかく森下とゆっくりと過ごせると思っていたのに、高田の電話はひかりを動揺させた。

「あ・・・あの・・・今、東京にいないんです。家も取られちゃったし。実家に帰って来ているので即答は出来ないんですが・・・」

「実家って何処なの?東京から遠いの?」

「あ、あの・・・静岡なんですが・・・」

「じゃあ、高速使えばすぐだな。今から行くよ!」

「えっ???ちょっと・・・それは・・・」

「レイカちゃんにとっては悪い話じゃないと思うよ。こういうのは悩んでるうちにチャンスを逃すものだ。悩んでるなら悩ませない!拉致しに行くから住所教えて!」

仕事中も割りと強引だった高田だが、まさかこんなに強引だとは知らなかったひかりだった。しかし高田の言うことは正論だった。悩んでいてはチャンスの方が逃げていくのだ。ひかりは、高田に最寄り駅を告げ電話を切った。


 電話を済ませ、再び喫茶店に戻ってきたひかりに、森下は

「どした?顔色悪いよ」

と心配した様子だった。ひかりは、森下との時間よりチャンスを取ってしまった自分が嫌になったが、正直に森下に電話の内容を伝えた。一瞬寂しげな表情を見せたが、すぐに

「チャンスなんだろ?俺、事務所の規模とかチャンスとか良く分からないけど、その人に任せてみたらどうかな?話が済めばまたこっちに戻って来るんだろ?その時また教えてくれよ。」

と、明るく森下は言った。

「いつも励まされてばっかだね。」

ひかりは、複雑な表情をした。森下はニッコリ笑って、

「俺、星野に告られたからな♪彼女の事を励ますのは彼氏として当然だろ?」

と言った。ひかりは思わず涙が溢れてしまった。慌てた森下は、

「おいおい・・・これから『リー』に拉致されるんだろ?しっかりしなくちゃ!アハハ。」

とお茶らけて言いながらひかりの涙をテーブルにあったナフキンで拭いた。その狙っていない行動にひかりは思わず、

「ハンカチじゃないのぉ?!んもぉー!」

と笑いながら言った。

「その調子♪」

森下は安心したように言った。そして、

「チョコレートケーキ、食べよう♪まだ時間は大丈夫だろ?」

とフォークを上に上げながら言った。ひかりも席に座り、食べ始めた。

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