・・・

『こっち』

 声のした方には白く煙たつ人の形のような靄(もや)が沸き立ち、手を差しのべているように見えた。

 湖はその声に引かれるように一歩足を踏み出した。

 靄の中へ吸い込まれる声。もう一歩踏み出してみるが、視界は真っ白い靄に覆われていき、先が見えない。もしかしたらここが崖の先端でまっさかさまに落ちるかもしれない。そう考えると怖い。今自分がどこにいるのかすら分からない。一歩踏み出しちゃ二歩戻るを繰り返している。


「出雲さーん」

 半泣きになりながら出雲大社の名を呼ぶ。どこへ向かえばいいのか検討もつかない。

『こっち』

 視線の先に浮かぶ白い靄の人影が手を差しのべる。

 湖はよもやそれが人じゃないとわかると怖くて進むのを躊躇した。後ろを振り返る。息を飲んだ。さっきまで白かった世界いつの間にか黒い渦に巻きこまれ始めていた。

『はやく』

 迷ってる場合じゃない。呼ばれている方へ向かって地面を蹴った。

 直後、前のめりになり、地に倒れた。誰かに右足首を捕まれている。すごい力で引っ張られる。己の足首を見て、ひぃと喉の奥から声が漏れる。足首を掴むどす黒い手が見えて身体中が針で刺されたようにチクチクした。下っ腹がむず痒くなった。

 容赦なくしがみつく手は地面から突き出ていた。左足で掴んでいる手を力一杯蹴るが、がっしり掴まれていてなかなか離せない。

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