12月11日
石田邸
第173話 真夜中の訪問者
日付が変わってからまだ間もない。静まり返る夜道を歩く2人の体は、寒さと緊張で硬く縮まっていた。
「ここか……ヤな感じの家だぁ」
兄のシェトが見上げながらつぶやく。暗闇の中に浮かぶ家のシルエット。他の家もさすがに灯りが消え雨戸や遮光カーテンが閉められていたが、この家の暗さはそれとまた違う雰囲気を漂わせている。
玄関とカーポートは隣り合っており、外からまず家の様子を伺おうと車のなくなっているスペースへ足を踏み入れた。かさ、かさと枯れ葉を踏みしめる音にさえ気を遣う。
その時、ガチャリ、と玄関の鍵が開く音がした。2人は心臓が飛び上がるほど驚き、音源の方向へ同時に振り返る。ゆっくり、ゆっくり扉が開く。中も暗い。
呼吸が浅く速くなる。
「待ってた……早く入って……」
やつれて痩せた母親の姿。ぞっとするくらい生気がない。口元には愛想笑いが浮かんでいるものの、感情のない目だけがぎょろりとこちらを見ている。
直哉は無言で玄関へ近づいていく。大鎌は手にしていない。丸腰だ。一方シェトは用心し、剣を前に構え続く。
「このひとだれ?」
母親が睨みつける。
「兄です」
直哉が彼女の目を見据え、はっきりと答える。
「……そう、なら入って」
やけにすんなり承諾するな、とシェトは訝しんだ。しかし言われるまま母親から目をそらさずに中に進む。
玄関に入ると扉にはカギがかけられた。
「早く翔を戻して早く」
母親は一番後ろから家の中に入ってきたが、兄を押しのけ直哉の腕をがしっと掴む。
「どこに居ますか?」
直哉は動じない。
「2階の部屋、早く行って」
体を階段の方へ向かってぐいぐい押す。
しかし自分は何故か2階へあがることはしなかった。もしかしてそれだけの体力がないのだろうか。それとも来てはいけないと誰かに言われているのか。
暗くて足元がよく見えない階段を踏み外さぬよう慎重に進む。そして2階の廊下へ。
どちらの部屋かは感覚で分かった。左にある部屋のドアノブを握る。
「おい気をつけろよ、構えてけ」
「大丈夫だよ」
心配して助言するシェトを尻目に、そのまま戸をゆっくりと押し開けた。
「!?」
部屋……とは呼べない、真っ暗な空間があった。壁も見当たらない、家具も見当たらない。ただの闇。それなのに人物の姿はスポットライトが当たったようにはっきり見える。でも地面には影はない。黒い画用紙の上に写真を切り取って張り付けたような、ひどい違和感だ。
違和感はそれだけではない。この部屋、空間がおかしい。人物は 10メートルくらい離れて見えた。
よれよれのジャージのような服を着た石田が足を崩して床に座り込みうなだれている。起き上がれないはずの彼がなぜ? その後ろに、背もたれのある勉強机の椅子に腰かけている知らない男。すっと立ち上がる。
「いらっしゃい」
「誰だ」
無駄な言葉は発しなかった。ただただ、神経を張り詰めて状況を悟ろうと必死だ。
「~~~~」
なにかもにょもにょと石田が声を発しているが聞こえない。
「石田?」
呼びかけてみる。
「……から……て……」
顔をあげた石田の顔は母親同様、やせ細り、目だけがぎょろりとして生気がない。そんな彼の頭をよしよしと撫でる椅子の男。
「おいテメエ誰だ! 石田に触るな!」
直哉が大声をあげて近づく。
「からだ戻しでえ˝ぇ˝ぇ˝!!」
突然石田が叫び、すごい速さで床を這って来て直哉の足元にしがみついた。突然のことに思わず振り払おうとしてしまった。
「石田、石田、お願い離して!」
うああうああと喚きながら足首を掴まれた。どこからそんな力が湧くのかというくらい硬くズボンのすそを握る。
「会えてうれしいよ」
直哉の元へ男も近寄ってきた。直哉は何とか石田の手をはがそうと苦戦する。近寄る男は若い感じはしたが少しくたびれた感じも伺えた。
「君を待ってた」
なぜか優しく笑っている。直哉はその真意が見えず睨み返す。
「お兄さんまで連れてきてくれるなんて幸運だ」
今度はシェトがぎくりとした。自分がなぜ突然関わるのだ?
「ここは石田君の精神の中。彼を元に戻さない限り、外へは出られないよ」
嵌められたと知ると舌打ちをし剣を構える。
直哉に指をはがされてしまうと、石田はごろごろ転がりながらありったけの声で叫んだ。
「何で! なんで俺だけこんな目に逢うんだ! おかしいだろ! 俺が何したんだよ!」
いきなりの行動に直哉もシェトも驚いて見ているしかできない。
「ちきしょお! ちきしょおおおお! アイツのせいだ! 全部アイツのせいだ! アイツが俺を引きこんだから!」
口ぶりからして誰かを相当恨んでいるようだ。
「死んだ! 死んだ! ざまみろ! 俺をこんなにしたからだ!」
呼吸が止まるかと思うくらい、直哉の心臓がビクンと跳ねた。こいつ真一のこと言ってるのか? まさか真一を呪い殺したのは……。
「おい! お前こいつと何を契約した!」
今までの態度とは一転、直哉は石田に対し攻撃的に怒鳴った。今度はこっちから前のめりに這うように近寄る。乱暴に胸ぐらをつかみ起こすと揺さぶりながら答えろと迫る。
「真一を殺したのはお前か!」
「だってぇ! あいつが俺をこんなにしたぁぁぁ!」
どうやったらそんな思考回路になるのか。悔しいし悲しいし理解できない。親友になったと思っていたのに、一緒に遊びにも行って、文化祭も一緒にやって、なんでこんな仕打ち……! 脇に立つ男を睨みつける。相手は無表情でただ見下ろすだけだ。
この男が彼に何らかの嫉妬をけしかけたに違いない。
「翔君とはその体を元に戻す代わりに、僕が君を頂く。そう契約した。だから君は殺さなかったんだよ、フェル」
突然男が答え始めた。直哉はそれに反応して男を見た。やはり自分がターゲットだったのか。
その一方、男の話は聞かずにシェトは辺りを見回し独り言をつぶやく。
「こいつ……『負』か」
先程から彼には、どこからか声が聞こえていた。何かに遮られているようでもあった。そちらの方に神経を集中させるが、音源の方向に目をやるも天井から床まで闇に溶けている空間では見当もつかない。
断続的に呻くような様子だ。絶対声の正体は「正」の石田だ、この空間のどこかにいるはずの。正と負は2人揃わないと人間ではない。今こいつはどういう訳か無理やり分離され、人間として成り立っていないからこんな捻じ曲がった空間ができてしまっているのだ。
彼を見つけてこの場へ戻せば、このおかしな空間だけは戻るかもしれない。
「フェルが翔君を彼の望む状態に戻してくれないと、僕らの契約は果たされないんだ。契約が守られれば元通り、現実に戻る」
彼の体を治す。それは生命力を分けるか、体を入れ替えるか、どちらかやれということだ。
「そんなことできない! やるわけねぇだろ!」
「じゃあ、2人とも永遠にここで閉じ込められることになるよ。それでいいなら」
とんでもない罠にはめられた。
「……てめえ、ぶっ殺す!」
直哉の掌に赤い光が散らばる。
「やめたほうがいいよ。契約者である僕が死んだら、この空間が元に戻らなくなるかもしれないのに」
うすら笑いで答える。直哉は悔しくて、歯を食いしばったまま大鎌を握りしめるだけだった。
「お前ホント誰だ! 志保をだまして連れてきた杉元か!」
相手がふふッと笑う。
「正解。あの姉妹もやっと灰にできたよ」
志保の言っていた、細胞一つ残らないよう燃やすと生き返らないという言葉が脳裏によみがえる。覚悟はしていてもやはり実際に聞かされると言葉も出ない。
「フェル。頼みがある」
なんだかやけに声色を変えてきた。相手が近寄る。殺したい。今すぐこの大鎌の刃を、こいつの首筋に叩き込んでやりたい……
「君とシェトの細胞を、僕にくれないか」
真面目な顔をしてとんでもないことを言い出した。
「はあ? 何言ってんだ」
「アトリアを生き返らせたい」
「アト……」
またしても直哉は動きを止められた。アトリア、母親の名前だ。なんでこいつが知ってる……。
「君は、僕の息子だ」
相手は真っ直ぐ、真剣な顔で見つめる。
「は!?」
兄も突然母親の名前がでてきて、注意を引き戻された。
「……うそだ」
直哉は首を振りながら後ずさる。目の前の悪魔が、自分の父親……
「嘘だ、嘘だ! 嘘だ!! うそだあああー!」
直哉の動揺する姿と絶叫にシェトは戸惑った。こんな姿見るのはあの日以来だ……
「嫌だああ!」
このやり取りには、さすがにシェトも我関せずというわけにいかなかった。
崩れて頭を抱えて喚くばかりの弟を抱きかかえ相手を睨みつける。
「だから君が来てくれて嬉しかったんだよ。アトリアの体を少しでも正確に蘇らせる」
これはシェトに向けられた言葉だ。呻く直哉の体をさらに強く抱きかかえ叫ぶ。
「ふ、ふざっ……ふざけんな! お前にはやんねぇよ!」
動揺は隠せなかった。こいつが本当の血のつながった父親だと? ……母親をたぶらかして弟を孕ませた……そのせいでこいつはどんな人生を送ってきたか……!
「僕は腕を切り落とされてるからもう力は使えない。今ついてるのは他人の腕だよ。フェルは僕の息子だから僕がもらって当然だろ? 僕の能力を受け継いだ唯一の親族だもの。それに君の細胞も持って帰れば、高い確率でアトリアも僕の元に戻る。ほんのちょっとでいいんだよ」
腕をまくり、継ぎ目を見せる。両腕肘の下に、色の異なる傷跡が一周ついている。
「僕らは愛し合ってた。これは本当。フェルが生まれた時もアトリアはとても嬉しそうだったよ。僕の名前はシズィータ。その一部もこの子の名前に入れてくれた」
シェトも何をどこから整理していけばいいのか混乱してきた。
「そんなのでたらめだ!」
「でたらめじゃないよ。全部彼女が僕に嬉しそうに話してくれたんだ。覚えてないだろうけどシェトも僕に数回あっているんだよ」
彼の思い出話を聞くと母親がどんどん冒涜されているように感じて、もうやめろ!と叫んだ。
でもシェトが後々聞いた母の姿は、残念ながらその話を否定できないほど彼を必要としていたらしい。牢獄の中でも彼とフェルの名前をずっと口にしていたと聞く。それだけじゃない、自分もこいつに会っていたって? どんな顔して会ってたんだ!
「僕はもう一度、死神の復権と僕の大事な人たちと一緒に暮らしたいだけ」
「勝手なこと言うな! さんざん周り引っ掻き回してめちゃくちゃにして、こいつも不幸にして……」
「こんな世界より僕らの世界に来た方がずっといい」
あまりのショックに苦しそうにあえぐ直哉をいとおしそうに見つめる。
「こいつは渡さねえ! 俺の細胞だって、血一滴だって渡すか!」
フウと一息つくと淡々と説得を再開する。
「僕は、フェルは自分らしく生きられる世界にいるべきだと思う。自分の力を使って誰かを幸せにする方が彼も幸せだ。こんなしょうもない人間しかいない世界に居続けるか、僕らの元へきて僕ら本来の働きを全うするか。よく考えて」
シェトには目もくれず、直哉だけを見つめて優しく声をかける。
「戻してええ!」
石田が床でごろごろしながら叫ぶ。どうすりゃいい? ただ直哉をぎゅっと抱きかかえるだけだ。
――お前は本当、独りで色んなもん抱え込んでんな。少しでも手伝えたらいいのに――
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