第161話 12月9日(1) 訪問者

 日曜日。朝から中学生組は複数に分かれて福島や直子と買い出しに出かけた。小学生組は掃除や洗濯のお手伝いだ。

 一同動き出して間もなく、風の子園の門の呼び鈴を誰かが鳴らした。

「はあい」

「どちら様でしょう」

「藤沢君に会わせてもらえませんか……」

 低い女性の声だった。抑揚のない声。名乗らないなんて誰だ、またマスコミか?

「申し訳ありませんどなたでしょう」

 もう一度訪ねた。

「石田翔の……母です」

 真子も中学校の事件は聞いていた。一瞬答えに詰まった。居るは居るが会わせていいものか。

「あ、あの……ちょっとお待ちください」

 真子はそばにいた沙織に、直哉を呼んできてくれないかと頼んだ。沙織はひとつ頷いてたたっと走って階段を上がって行った。


 部屋をノックする。最初に出てきたのは真一だ。

「あ、あのね、真子さんが直哉君を呼んでるの。誰かお客さんが来たみたいなんだけど……」

 真一は分かった、というと直哉を連れて一緒に下へ降りた。

 真子が階段の下で待っている。降りてくる姿を見ると話しかけ始めた。

「あ……あの、石田くんのお母さんて人が来てんだけど……直哉に会いたいってさ、どうする?」

 2人の顔つきが変わる。顔を見合わせること数秒。お互いに不安げな表情だ。

「俺に何の用だろう……」

「本当に取り憑かれたのかもしれないよ」

 真一がさらりと恐ろしいことを言った。

「今門の外にいるの。どうする? 会う?」

 ここまで来られているのだ。断るに断れずハイと答えた。真一も同席することを申し出た。

「真子さんは中に居て。僕らが出ます」

 直哉は何かあったらいけないと、真一と2人で外へ出た。

 


 閉まった門の外に女性がいる。

「こんにちは」

 にこりともせず真一が門越しに挨拶する。

「俺に何か御用ですか」

 直哉も警戒心を解かずに聞く。ここで話しているとまたマスコミに目を付けられそうなので、ひとまず目立たないよう中に招き入れた。何も言わない。挨拶もしない。

 深くかぶったニット帽から覗く目は鬼気迫るものがあった。以前のはつらつとした明るい笑顔は影も形もない。同一人物とは思い難い変わりようだった。


 直哉は正直悩んだ。この女性を果たして家に上げていいものかどうか。外で話した方が良いか……。

 そのとき玄関のドアが開いた。真子が出てきた。心配で様子を見るのもかねて戸を開けたようだ。仕方なく家に向かい案内するように歩いた。

「こんにちは……」

 真子が挨拶をする。やはり何も答えない。加奈子は真子の臨月のため大きく出ている腹部に目をやると忌々しそうに睨んだ。

「中へどうぞ」

 目は合わせず案内する。正直後悔した。外で話した方が良かったかもしれない。

「真子さん、僕らだけで話するからいいよ」

「でも……」

「大丈夫」

 真子は申し訳ないと思いながらも台所の方へ引っ込んでいた。

 

 お客様が来るといつも食堂の奥の方へ案内する。特に応接室はない。直哉と加奈子が向かい合って座る。真一は一応、温かいお茶を用意しに台所へ一度下がる。

「どんな用件で、会いに来たんですか?」

 もういちど、単刀直入に直哉が尋ねる。母親は帽子もとらずに相変わらず固定されたように見据える。

「知ってるの……あなたは、翔の体を治せるんでしょ?」

「治すことはできません」

「嘘!」

 言い終わるか終わらないかのうちに悲鳴のように叫ぶ。真一はびっくりして台所から覗いた。

「死神なんでしょ……? 寿命を延ばすだけじゃなくて、体を入れ替えたり、元気にしたりできるって……全部聞いてるの……だから今すぐ一緒に来て」

 やはり悪魔が入れ知恵したんだ、陰で聞きながら真一は警戒心を強める。

「誰に聞いたんですか、そんなでたらめ」

 直哉が視線を外さずにしらばっくれた。

「でたらめじゃない!」

 今度は机を叩き立ち上がった。

「ねえ、できるんでしょ……? 本当は……治せるんでしょ……?」

 震えるような声で、君の悪い笑みを浮かべどんどん直哉の方へ体を乗り出してくる。

「はやくうちに来てよ、翔があんなになったのも、あんたたちのせいなんだから!」

 直哉の頭に手を伸ばし、髪と肩を掴んで叫び始めた。

「い、いてっ、離して!」

 抵抗し、メガネが外れて机の上に落ちた。台所から真一も飛んできて相手の腕をつかみ、離そうと挑んだ。しかし相手の力は思いのほか強くなかなか剥がせない。挙句真一に向かっても怒鳴る。

「アンタのことも知ってる! この悪魔! あんたが翔をあんなにしたんだ!!!」

「ちょっと! やめてくださいよ!」

 見かねた真子が止めに入った。

「真子さん来ちゃダメ!」

 真一は静止したが、この状況で大人が見ているだけとはいかない。なんだなんだと他の場所にいたスタッフもやってきて、慌てて囲んだ。

「警察を呼びますよ!!」

 スタッフの一人が叫ぶ。引きはがされた加奈子はうつむいて抵抗をやめた。自分をつかむ腕を振り払い、くるりと背を向けた。

「帰ります……」

「ちょ、何ですか! 子供に乱暴しといて……」

 直哉は身を乗り出したスタッフを静止した。

「ふ……いいわね……」

 ゆらり、と加奈子が真子に顔だけ向けた。

「アンタの子供も、同じ目に逢えばいいのに……」

 一瞬息が止まる。思わず腹に手をやる。その場にいた全員、呪いをかけられたように固まった。いや、本当にかけられたのかもしれない。人と思えぬ無機質な顔を向けられ、恐怖に体が支配された。

「おい、あんた失礼だろ!」

 もう一度先ほどのスタッフが食って掛かろうとしたが、真一が引っ張った。

 加奈子は勝手に出て行ってしまった。誰も見送ろうとはしなかった。


「なんなんだあのばばあ!」

 スタッフたちは2人に怪我がないか聞き、乱暴されたんだから通報しようと言ったが断わった。警察だってどうにもできない。

 一方では物陰から様子を見ていた子供たちが一斉に真子を取り囲む。真子さん大丈夫? もう怖くないよ、と慰め優しくお腹をさする子、背中をさする子。でも彼女の手からは震えが止まらない。それは直哉も真一も同じだった。

「あんな人の言う事気にしないで。あの人も自分の子供の事だけで精一杯なんだよ」

 直哉はそうは言ったものの、焦燥感は増すばかりだった…

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