奇跡

第150話 11月24日 夜明けの語らい(1)

 昨晩、真一と美穂は福島と一度風の子園に戻り、中学生組と自分らの荷物をまとめて祥願寺に送られた。孝太郎は黙ったままだし、優二も聞き辛かったのか、車内は誰も口を開かなかった。


 夜は遅くなりながらも寝つけたものの、まだ心の中では引きずっているのか眠りが浅く、真一は5時半少し前に目が覚めた。二度寝の気分にもなれずそのまま起きた。

 皆を起こさないよう、そろりそろりと自分の荷物のある部屋の隅に移動する。


 11月末の朝はさすがに寒い。靴下と上着と、その上にまた大きめのジャンパーを羽織る。たらたらした薄手のパジャマ代わりのスウェットの上に持参したズボンを重ね履きした。

 ハンドタオルを手にそおっと襖を開け部屋の外へ出る。廊下を進んで洗面台に向かうと、そこに美穂がいた。

「アレッ、おはよう」

 お互いびっくりした。美穂もきっと同じ心境なのだろうと察した。ひそひそと会話をする。

「なんか目が覚めちゃってね」

「僕も。そのまま起きちゃった」

 顔を洗い終わると、美穂が真一を誘った。

「ねえ、朝の散歩行かない?」

 真一は誘いに乗り、そっと玄関から出ていった。寺の住職たちはもう起きて活動しているようで本堂の方から物音がする。



「うわ~さーむぃぃ」

 うす暗さがまだ残っている。冬は目前。さすがに身を縮めた。東の空が黄色く光り始め、平たく分散する雲の輪郭が金色に光っていた。一方西の方はまだ星が少し取り残されている。朝と夜の境目はとても静かだった。

 寺所有の小さな山は墓地として使われているが、墓地と反対斜面の方は開けており、ちょっとした公園と散歩コースがあった。

 枯葉や小枝をぱきぱきと踏みながら進むと、ほぼ頂上に小さな屋根のついたベンチがあった。

 一番上から見下ろすと犬の散歩をしている人や、ジョギングをする人。小さな広場で体操をする人。こんな早くても活動している人間はいる。


「ふう。やっぱ寒かったな」

 美穂が座って手をさすった。

「見て。朝日が見える」

 言われるまま視線を若干右に向けると、光り輝く金色の円弧。少ししか顔を出していないのに直視できないほどのまばゆさで、にょきっと地上に生えようとしているように見えた。思わず「きれーい」と間延びした声を出す。

「朝って、こんなに静かなんだね」

 車もそんなに走っていないし、遠くの電車の音やバイクの音がエコーがかかってよく聞こえる。

「みんなまだ寝てるんだもんね。夜更かしした人はさっき寝たところ。朝早い人は今頃起きる頃か……。ずっとこの時間だったらいいのに」

 雲がどかないのを待ちきれず、無理やりかき分けるように空に伸びる朝日の筋を見ながら美穂が呟く。

「どうして?」

「嫌がらせしてくる奴も、つきまとう記者も、みんな今寝てるでしょ。こんな風に静かで自由に外に出られる時間なんて、きっと今ぐらいしかないんだよ」


 真一は美穂の言葉に切なくなった。彼女も気丈に振る舞っているが、心の奥底では安らげる場所を探している。誰にも邪魔されずに文字通り静かに過ごせる場所を望んでいるのだ。本当は1人になりたかったのではないだろうか、ついてきて邪魔だったのでは……。心配して尋ねると、そんな事はないと否定された。

「1人じゃつまらないからね。こんな綺麗な景色見ても共感する相手いないと」

「それもそうだね」

 暫く無言で、高い建物や屋根がオレンジ色に光りだす街の景色を見ていた。



「ねえ」

 美穂は真一の顔を見ず切り出した。

「昨日、私が部屋に入ったとき、何があったの?」

 真一はあのとき無我夢中だったので、ゆっくり思い出しながら話す。

「……僕が一瞬、自分を抑えられなくなって、本気で先生を殺しそうになったの。でも直哉が止めてくれたんだよ」

 そうなんだ、と美穂は小さい声でつぶやいた。

「真一も、殺してやるって思うことがあるんだ」

「今思えば自分でも不思議なくらい、我を忘れたと思う。それはきっと先生も同じだったんだよ」

「先生はなんであんなやり過ぎなくらい直哉を殴ったんだろう。そんな人に見えないのに」

「悪魔にそそのかされた、って言った方がいいかな」

「え?」

 美穂が意外な答えに驚きの声を漏らす。

「先生だって人間だもの、誰かのせいにしたり、自分は悪くないって思うのは間違ってないよ。だけどあんな形で憂さ晴らしするのは、悪魔が先生と契約しようとしてたからかもしれない」

 ケイヤク……なんだか怖くなった。

「直哉が何で先生のところに行ったかわかる? 僕のや偽者の志保ちゃんのや、他のどんな悪魔の血でも、たった少し身体に入っただけで悪魔に目を付けられるんだ。印をつけるって言ってるけど」

「え……何それ、怖いよ」

 美穂が腕をギュっと組んだ。

「直哉は、先生が精神的に参って悪魔に取り付かれてないかってすごい心配してたんだ。もし取りつかれてたら追い出すために、直哉は1人で行ったんだよ。悪魔が取り付くと人間の心に門を作って、自由にこの世界とあっちの世界を行き来できるようにしちゃうんだよ。一度門ができたらどんどん悪魔がその人の心に入り込んできちゃうんだ。先生がそんなカモにされていないか確かめに行ったんだと思う。誰かが先生の住所を教えたんだろうけど」

 美穂はまさか、と口を覆った。一緒にお見舞いに言ったあの日。

「カスミが……教えたんじゃない?……」

「そうだとしてもカスミちゃんだって、悪気があって教えたわけじゃないよ。直哉に教えてって言われたから教えたんだろうし。もしカスミちゃんであっても責めないで。何の関係もないんだから」

 美穂はうん、と頷いたが悲しそうな顔のままだった。こんなことになるなら連れていくんじゃなかった、と後悔し始めていた。それを察したのか真一は美穂に声をかけた。

「直哉の事だからカスミちゃんが教えてくれてなくても、他の方法で知ろうとしてたよ。そういう性格だもの。美穂ちゃんが悪いと思う事なんかないからね」

 これには美穂も見透かされたかと観念した。わかったよ、と少しだけ笑顔で返した。


 真一は話を続ける。

「先生の恨みを直哉は見たんだろうね、悪魔の門は、それを持つ人間自身にしか壊せない。どういう話をしてあんなことになったかは分からないけど、自分を差し出したら先生はどうするか、賭けに出たのかなあって思った。僕を騙して体の痛みを取ってまで……」

 そこまでして、と美穂は思った。呆れるというか立派と言うか、自分の体だってまだボロボロなのに。他人の状況を優先するなどどんな精神をしているんだろうか。

「心の弱い奴は人を攻撃することしか考えない。その後自分がどれだけ不利になることなんか考えもしない。あんな状況じゃなおさらだよ」

 美穂が話を整理するように聞いた。

「先生は、その門を壊せなかったってことなの? 悪魔の言いなりになっちゃったから直哉を殴ったの?」

「その時はそうだったかもしれない。だけど僕が入った時、我に返ったようにすっごく焦って怯えてた。だから今警察に捕まって、自分のしたことを考え直してくれていたとしたら、もしかしたら悔い改めて壊せているかもしれないよ。それは僕も推測だけどね。本当のとこは直哉に聞いてみないと」

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