第149話 自分の弱さ

 警察に連れていかれた黒崎は落ち着きはしたが、聴取には声の震えが止まらなかった。


「僕が、弱かったんです。立て続けに事件が起きて、もう全部、何もかも嫌になっちゃって……学校からも生徒の親からも、全然知らない奴からも責められて、お前は教師失格だって言われたとき、もうどうなってもいいって思ったんです。何でこんな苦しい思いしないといけないのか、どんなに考えたって納得いかない。その時に藤沢君が全ての元凶だって自分で思い込むことで、自分を納得させてたんです」

 刑事も黙って聞いている。調書を書きとる音だけがする。

「いつのまにか……殺してやりたいくらいまで膨れてきました。まずいとは思いました。だけど止まらないんです。夢にうなされるようになって、自制が効かないんです。気づいたら、自分が被害者だって考えしか頭にありませんでした……」


 声が震えるたび、少し間を置いて話を続ける。

「誰かに助けて欲しかった。だけど誰にも言えなかった。子供は大人に守ってもらえるけど、大人は誰にも守ってもらえない。俺は周囲のサンドバッグじゃないんだと完全にふてくされてました。そこに突然、あの子が家に来たんです」

 信じてもらえないだろ言うという事もあえて話した。今更隠したりごまかしたりすることの方が難しい。


 直哉が家を訪ねてきた時、本当は部屋にあげるつもりなどなかった。感情にまかせ彼にひどいことを言いかねない。だが彼は帰らなかった。もっと強く断っていればよかったと後悔している。

 直哉は自分のせいで苦しんでいるのではないか、少し話をさせてくれと、額に手を当てた。その後はぼんやりした記憶……。




 自分の中に彼への恨みと憎しみの爆弾が入った函があった。必死で開けちゃだめだと言い聞かせてていると、どこからか声がした。

 その相手は、いつからあったのか開きっぱなしの黒い安っぽいドアの敷居を跨いだ場所で立ち止まり、穏やかな顔で話しかけてきた。

 もし、藤沢直哉をこちら側に渡してくれたら、自分をいつもの生活にも教員職にも戻してあげる……そんなようなことを言われた。

 必死で直哉が「言う事聞いちゃだめだ」と叫んでいた。すると見知らぬ声はさらに「この子がいるから他の人間が苦しむ、ならばこちらが引き取る」とまで言ってきた。

 それはてっきり「あの世に送る」という意味かととらえた。確かに恨んでいるし嫌いだ。殺してやりたいと思う。だがなぜか、はいそうですかと渡してたまるかと反抗意識が湧いた。

  そして正直、もう教職なんか戻らなくていいと思った。熱意は完全に冷めた。職場の奴らにも会いたくない。どうでもいい。自分に指図するな……。

 相手はなおもこちらに有利になりそうなことを条件に出してきた。心は揺れた。この苦しい毎日から抜けられるなら……

 そこに直哉が叫んだ。あんなのの言う事聞くくらいなら、俺を先生の好きにしていい、だから相手にするな、と。


 それを聞いた瞬間自分の欲望が抑えられなくなった。見知らぬ声に向かって、お前の言う事は聞かない、だけど藤沢直哉も許さない、と叫んだ。

 直後、爆弾の入った函が大爆発した。見知らぬ誰かが慌ててドアの向こうに飛び出すと、ドアに火が移った。

 


 夢から覚めたような感覚だった。しかし心を覆う負の感情はそのまま残っていた。

 もう自身を抑えられなかった。こいつのせいだ、こいつがいたから、自分の人生滅茶苦茶だ。こいつさえいなけりゃ、せめて自分のクラスにいなけりゃ……!


 最初は平手で叩いたり体を押し倒したり、タラレバばかりの恨み節や酷い言葉を投げつけていた。普段イライラしたことがあっても、ある程度感情を爆発させると発散できて収まってくるのに、今回はいつまで経っても癇癪は収まらなかった。それどころか逆に膨らむ一方だった。

 学校生活に慣れない直哉を教師として支えなければと、今まで必死で考えて交わしてきたやり取りが全部馬鹿げたことに思えた。きっとこいつは、俺が教師と言う立場に酔いしれて偉そうなことを言ってるとか、大した人間じゃないくせにとか……心中蔑んでいたに違いない。畜生、俺はなんてみじめなんだ……。



「全部自分の妄想です。彼は僕を馬鹿にするようなことなんて言ったことがない。逆に最近いないくらいの生徒だったのに。僕は自分で自分をバカにしてるのに気づけないんです。勝手な思い込みで、あの子は僕を心の中で笑っていると一方的に決めつけて、1人で勝手に怒っていました」

 自分の口から直哉に対して発した恨み言葉が、さらに負の感情に油を注ぎ一気にエスカレートする暴行。教師であることも、大人であることも、全部頭から飛んだ。目の前にいるのは人間のふりをした化け物だ。だったら何してもいいはずだ。俺の苦しみをそのまま返してやる。


 あとは彼の体が物語る通り、インターフォンが鳴るまでの十数分、自分の手や足の出るままに直哉を痛め続けた。

 チャイムと共に「うるさいんですけど!」と咎める声に手が止まった。自分は何を騒いでいたっけ……?

 一瞬頭が真っ白になった。あっと我に返った時にはもう、直哉の顔は腫れあがり、血があちこちについていた。自分の服にも、手にも、床にも、その瞬間怒りがすっと引いて恐怖に変わった。やってしまった。自分がしたことなのに、なんでこんな惨状になっているのか理解できずにいた。


 思わず助けてと繰り返した。その一方で今ならクローゼットに隠してしまえば……見つからなければこの場はしのげると考える自分がいた。

 その時、直哉の手が動いた。意識があってほっとしたと同時に、騒がれたりしたら厄介だどうしよう、という焦りがでてきた。隠す……いや何を言ってるダメだ! でも見つかったら……それこそ本当の終わり……

「おい! いるだろ! 迷惑なんですけど!」

 扉の外の声が自分をさらに攻め立てる。


「せんせ……だめだ……」

 頭の中でせめぎあう意識がパッと止まった。声の出所は直哉。必死で体を起こそうとしている。

「あけちゃ……ダメ……だよ……」

 痛みに顔をしかめながら、直哉が必死で体を起こそうとしている。ドア越しに自分を責める声とチャイム。

 直哉が黙ると、再び頭の中に勝手に再生される隠蔽の誘惑。混乱して大声で叫んだ。そして頭を抱えてうずくまり大声で泣きわめいた。


 それから数分後。真一がやってきた。ドアを叩きまくり開けろと命令する。もうだめだと思った時、直哉が黒崎の上にもたれかかってきた。

 わぁっと声を上げたが、直哉は囁くような音量で黒崎の耳元に言葉を発した。





「あの子『先生、ごめんね』って確かに言ったんです。聞き返してももう力がなかったのか黙ってしまいました。俺が謝らなきゃいけないのに、この状況でどうしてと思いました。今ここで彼に謝ったところで怪我が治るわけじゃない。なら自分のすることは、ドアを開けて罪を受け入れることだとやっと決心できたんです」


 黒崎は大きく息を吐くと、胸のつかえがとれたような不思議な安堵感を覚えた。地位も信頼もこれでなくしたのに。部屋の中で1人負の感情を膨らませて怯えているより、自分の犯した罪を認めた後のほうが、穏やかな心持ちだった。

「後悔したって謝ったってもう無理です。本当に僕は終わりです。もとは僕の……意志の弱さがいけないんです。逆恨みもいいところでしょ。僕はやっぱり教師失格なんです」

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