第132話 11月9日 彼女が望んだ別れ

 生死の境から一転、直哉の回復はまたもや驚異的なものがあった。病院にもさんざん取材がやってきた。ここでも相手にするなという指示は出ていた。病院関係者たちは他の患者の迷惑になるからと見つけ次第追い出した。


 真一は普通に会話や食事ができるまでに回復した。松葉杖で歩く練習もしているし、ナースステーションから少し離れた大部屋の病室に移ることもできた。

 廊下脇でリハビリのため歩いていると、ごろごろと台車の音が近づいた。そして今まで自分がいたナースステーションそばの部屋に入っていく。赤い髪が見えて思わず叫んだ。

「直哉!」

 彼が病室を移動してきたのだ。まだいろいろな管がつながれてはいたが、目を開けていた。

「大丈夫なの? もうこっちに移動してきて」

 心配そうに、一緒についてきた今井に問う。

「うん、なんだかすごい回復力。ありえないよ本当に。経過も問題ないしこっちで君と一緒の方がいいっていうから」

「そうですか……」

 真一はほっとした。実際意識が戻ったとは聞いていたが、状態をこの目で見るまでは不安で仕方がなかったのだ。聞きたいことは沢山あった。病室は違えど、すぐそばにいるから訪れることができる。


 医師の検診が一通り終わると、許可をもらって部屋に入った。

「直哉、大丈夫?」

 目線だけこちらに向け弱々しく話す。

「志保が……来た……」

「はっ?」

 思わず聞き返す。まだあまり長くは話せないようなので少しずつ聞いていくことにした。

「痛いところを、交換しようって……それで、目が覚めた」

「交換?」

 毛布がかかっているのに、思わず見えるはずのない体のあたりを見てしまう。

「俺もよくわからない。すごい痛かった。あと……」

 一つ大きく息をついた。

「俺らのおかげで、終わらせられる、ありがとうって……」

 真一もこれには何も言えなかった。何を終わらせるかは悟るのに易い。彼女の人生を終わらせる術を見つけられたのだろう

「もう、会えないってこと?」

 偽志保が出てきたときに覚悟はしていたが、改めて彼女が別れを告げに来たと聞いて胸が苦しくなり、目と鼻の奥が痛くなった。


 万が一あちらの世界に送り返されていたら、もしかしたらまた助け出せば会えたかもしれない。だがそれも完全にできなくなったと考えた方がいいだろう。彼女はようやっと望んでいた結果――死――を迎えたのだ。

 良かったなんて言えない。言えるわけがない。こちらのわがままを言うなら、この世界でもっと一緒にいたかった。せっかく手に入れた人間としての日常。こんなに早く終わるなんて。彼女の苦しんできた年月と比べたら一瞬の出来事だった。悔しさに涙が出てくる。

 いったいどんな最期を迎えたのか。姿を消した後辛い目に遭っていなかったか。彼女が迎えたのが穏やかな最期であったことを祈った。


 だが1つ疑問が残る。

「志保ちゃんは悪魔の体なのに、交換したら、直哉の体の中に印がついちゃうんじゃないの?」

 直哉は自分もそう思った、と返した。でもその後何も起こらないし、悪化することもないし、悪魔を呼び寄せているような節もない。どうなっているのか理屈がわからないが、助かってしまった。



「みんなは……大丈夫かな……」

「このまえ、石田君と泊君が来てくれたんだ。昨日は小島君と川口さん渡辺さんがきてくれた。木村君たちも、お見舞いに来たがってるって」

 それを聞いて、直哉は黙ってしまった。

「どうしたの……」

「俺、取り返しのつかないこと、しちゃったんだ。俺なんか……心配されるような身分じゃない」

 優しくされるのがつらかった。どうせなら皆自分なんか嫌いになってくれればいいのに。安藤や吉岡のことも気にかかった。彼女たちも、きっと自分など迷惑だと思っているだろう。原田と同じようにいっそ切り捨ててほしい。ぎゅっと目をつぶる。


 真一は直哉の気持ちも痛いほどわかった。自分の正体をさらけ出してしまったこと、大変な損害と不安をもたらし、彼らの日常生活を奪ってしまった。どうしたって元に戻すなどということはできない。

 そっと布団の胸のあたりに手を当て、「もう少し休んだ方がいいよ」と声をかけ、真一は病室を出ていった。

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