第121話 10月30日(2) 契約者

「なんか顔色悪いけど大丈夫?」

 帰り際、真っ白な顔をして具合の悪そうな安藤に佐々木が声をかけた。

「うん、大丈夫……」

「保健室寄ってく? 給食もあんまり食べてなかったでしょ」

「いい、本当に大丈夫だから。ちょっと急ぐから今日は帰るね」

「え、ほんとに大丈夫!?」

 朝から落ち着かず、早く帰りたい一心で、鞄をつかむと返事もせず走って教室を出ていった。



 家に着くと急いで自室に向かう。塾に行くまでの時間、どうしても確かめたいことがあったのだ。

「ねえ、ねえ出てきてよ……」

 机に座り、肘をつき、手のひらを組んで額に当てる。

「どうなってるの……何かしたの……」

 ぶつぶつとつぶやく。でもあの時のように夢のような映像はもう出てこなかった。目もぱっちり覚めており、眠れる状況ではない。



 まさかとは思うが、あれは本当のことだったんじゃないか……。吉田志保はただ単に学校を休んだのではなくて、消されたのではないか……。あのそっくりな女に……。

「どうしよう……私のせい? どうしよう……いや、単に偶然だよ、そんなことあるわけないじゃん……」

 気が動転してずっと独り言をつぶやいていた。あの日の事をもう一度思い返す。

 



――――――文化祭翌日の撤収日。

 片付が終わり次第帰ることができたため、塾の課題をするために机に向かった。しかしなんとなく気力が起こらず、問題文を目で追っているだけで猛烈に眠気が襲ってきた。

 これでは効率は良くならない。ほんの少しうたたねしようと、腕を枕代わりに机に突っ伏した。

 目を閉じるととろとろとまどろみ始め、夢なのか今日の記憶の再生なのかはっきりしない映像が脳裏に流れ始める。


 直哉と一緒にいる志保を遠くから見ていた。周りにも吉岡たち、原田たちががやがやとしている。佐々木や田子までも現れた。

「うちらのほうが先に声かけたのに、何なのあいつ。横取りだよね」

「大丈夫だよ美咲のほうが全然かわいいもん。それにあの子小学校の時いじめられてたし」

「ろくに勉強もできない奴が、藤沢君のそばにいたって彼の役に立たないよね。いる意味なし」

 安藤もそれに同調していた。

「そうだよね。迷惑だよね。本当邪魔なんだけど……」

「ならさ、消しちゃおうよ」

 友達の声ではない。でも聞き覚えのある声。周囲から人が消えた。

 

 ガクッと体が落ちるような感覚がして飛び起きる。寝ぼけていて部屋を見渡す。

「……?」

「ほんと、あなた可哀そう。あの女が目障りで、消えてほしいんだね……。あんな汚くて下品で男好きな女より、あなたみたいに可愛くて純粋な女の子の方がいいに決まってるじゃない。あなたのほうが先に仲良くなったんだから、ホント図々しいね。その女」

 声がする。それも部屋のドアの外から聞こえてくる。



「私は貴方の願いを叶えに来たの。同時に私の願いでもあるんだけどね。目障りなあの子を消してあげる」

 安藤はえっと聞き返した。

「安心して。殺すとか物騒なことじゃないの。ただ、あの子には自分が本来いなきゃいけない所に帰ってもらうだけ。あの子は人間じゃなくて悪魔なの。だからこの世界にいたら周りの人間が不幸になっちゃうでしょ。私たちで取り除かなきゃ」

 安藤は椅子から立ち上がり、声の聞こえるドアに恐る恐る近づいた。しかし意味が解らない、一体喋っているのは誰なのか。家に勝手に入ってきたのか。吉田志保にそっくりな声だが。



「安心して。私がその女消してあげる。ただその代わり約束してほしいことがあるの。あたしと契約してくれない? あなたの願いを叶えれば私が自由の身になれるの」

 何も考えず「彼女が消えてくれるなら何でもいい」ととっさに思った。

「わかった、契約する。だからあの子をその……元の世界? に戻しちゃって。藤沢君から離して欲しい」

とすぐに答えた。

 とびきりの喜びの声が帰ってきた。

「ほんとに! ありがとう! じゃあ契約するからこのドア開けてくれる?」


 安藤は恐る恐る、そのドアを開けた。そこに居たのは制服姿ではない、黒のワンピースに黒いロングのカーディガンを羽織った吉田志保。それに加え、自宅の廊下とは明らかに違う背景のない真っ暗な空間が彼女の後ろに広がっていた。


 ドアの敷居をまたぎ部屋に入ってくると、彼女は自分でドアを閉めた。にっこりと笑う顔は吉田志保そっくりだったが、どこか不気味さが加わっていた。

「契約の印にこれを飲んでくれる?」

 あまり見たことのない、すごく小さなガラスの小瓶だ。幅も高さも栄養ドリンクの半分くらいで、蓋はもう開けられている。

「怪しい毒じゃないから大丈夫だよ」

 受け取ると意を決して一気に飲んだ。味はよく分からない。




 再び、体が落下するような、がくっとする衝撃で目を覚ました。腕がしびれてなかなか伸ばせない。ふと周りを見回す。あれ、いない……。瓶もない。

「なんだ、夢だったんだ、変な夢……」

 大変目覚めの悪い夢だった。一度完全に起きたような気がするくらい内容が強烈で、はっきり覚えていた。自身が嫌になるくらいの「黒い自分」の目線だった。それにあの吉田志保にそっくりな女も、なぜだか本当にいるようにしばらく勘違いしてしまい、少々時間を引きずった―――――



 どう記憶をたどっても、たかが夢だ。夢が現実になるようなことがあってたまるものか。それに人を消すというまるで犯罪じみたような契約なんて、下手をすればこっちも犯罪者になることくらい自分だってわかっている。

 これはきっと、あの日あまりに自分が吉田志保の事を考えすぎていたから、少々過激になって夢に現れただけだ。

 不思議な少女と契約をしたところで夢の中の契約が現実になるなど、それこそどこかのファンタジー小説か映画の中の話だけ。ありえない。絶対にありえない。

「出てきて」などと祈ったところで、一体誰を呼び何を聞くつもりだったのか。よくよく考えてみれば馬鹿げた行動だ。


「違う、違う、関係ない……」

 安藤は自分で自分に言い聞かせ、冷静にならなければ、と椅子から立ち上がる。

 必死で別のことに意識をそらせようと、参考書は持ったか、宿題はいれたかなどわざと独り言を言いながら塾に行く支度をし、脳内から不安を消そうとした。

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