第79話 8月8日(5) 家族の心配事
真一と直哉が志保の家についたときは、2人とも汗だくだった。
「203……2階かな」
「ええ、階段……」
ふう、と気合を入れ直しゆっくり上っていく。奥の方のドアで立ち止まった。
「ここかな、吉田って書いてある」
真一が呼び鈴を押す。
しばらくすると、カチャと音がして数センチ空いた。
「あっ、あの、志保ちゃんの友達です、こんにちは」
緊張で上ずった声で真一が挨拶した。するとさらにドアが開き、女性が出てきた。
「あ、どうも……」
「志保ちゃん、具合が悪くなって、送って来たんです。寝かせてあげてもらえませんか」
女性の表情が明らかに驚いているのに気づいた。いきなり男子2人が、しかも髪の毛の真っ赤な子が背負って「娘」を運んできた。あまりに突然の展開に慌てて中に通す。
彼女の部屋に運ぶよう言われ、ついていくと布団を慌てて母親が広げだした。真一も手伝う。直哉は志保を下ろしながら、あまり物がない部屋だな、と部屋を見回して思った。美穂らの部屋のほうが狭いなりにも何やかんやごちゃごちゃある。
この部屋は制服だけがかかっていて他の服が見当たらない。机の上もきれいさっぱり、学校のドリルや教科書以外、本や漫画は(読めないというのもあるのだろうが)一冊もない。
志保を横に寝かせると、母親に告げた。
「ジャージ僕のなので、そのうち返すよう伝えてください。それとこれ、鞄です」
「自分で起きるまで起こさないでやってください」
母親は眉をハの字にして「病院に行かなくていいのか」と聞いた。
「多分、大丈夫です。夜になっても起きないかもしれないですけど、今日はそのまま寝かせてあげてください」
「本当に、大丈夫なの? 意識がないみたいに見えるけど、すごい顔色悪いし」
内心2人も、本当に大丈夫なのか不安でいっぱいだった。保健室でみてもらったし暑くて倒れただけから、疲れもあるのだろうなどと嘘言い訳をし、絶対に無理に起こさないであげてください、と念押しした。その場はなんとかしのげた。
2人が帰った後、母親は不安のあまり呼吸が浅くなり、落ち着きがなくなった。
暑くて倒れたということは、熱中症……意識がなくなるなんて重篤なのではないか。でも自分では病院に連れていくこともできない。車も持っていないし、何よりも怖かった。病院に言って何か聞かれてばれるのではないか。でももしこのまま放っておいて目を覚まさなかったら、それこそ「放置」と思われてペナルティを食らってしまうのではないか。せっかく隠すことのできたあの過去を、ようやっと外へ出ていくことも叶うようになってきた今の生活を、全部ひっくり返されるのではないか……
あまりに不安材料が大きくなってきて、無理に起こすなと言われたが、志保の肩をゆすって反応を見ようと試みた。酷い顔色だ。
「ねえ、ねえ、おきてよ」
返事はなかった。ますます不安が増大していく。本当にこのまま寝かせておいていいのか。額を触ると少しひんやりしていた。
「あんたが起きてくれなかったら、あたしたち終わっちゃうんだよ……」
彼女には、代替の娘の容態よりも自分たちの身のほうが重要になってしまっていた。
何をするにも手がつかず、台所へ行っては戻り、スマートフォンをいじっては戻り、うろうろと時間をつぶすだけだった。
夕食の支度すらしていない午後8時半。夫が帰ってきた。
「ねえ、ねえ、あの子学校で倒れて、意識無くなって友達が運んで来たんだけど、全然起きないの」
「え、なに寝てんの?」
「起こすなって言われたんだけど、あまりに起きないから心配なんだけど、顔色もすごい悪いし、病院に行った方がいいのかなって」
作業着から着替える夫に後ろから不安の種をつぎつぎと吐き出す。
「起こすなって言われたんならそのままでいいんじゃね?」
「でもなんか様子がおかしいんだよ、見てみてよ」
「じゃあ後で見るよ」
「 今見てよ! もしなんかあったらあたしたち捕まっちゃうよ!」
それを言われてしまうと父親の方も返す言葉がなく、志保の寝ている部屋を覗きに行く。電気をつけてみる。
「……そんなに言うほど顔色悪くないけど」
「……え、あ、あれ……?」
母親が恐る恐る覗き込むと、帰って来た時よりは唇の色も赤く血色がよくなっていた。頬の色も真っ青がやや黄味がかるほどに戻っていた。
「なんだよ大げさなんだよ、もう少し休んでりゃよくなんだろうよ」
再び電気を消して部屋を出ていく。母親は少しだけ安心したものの、気になって気になって何度ものぞいた。
「飯は?」
「作ってない」
「はぁ? 何してんの? この時間まで何やってたわけ?」
「気になっちゃって……」
呆れた父親はこんな事なら飲んで来ればよかったとぶつぶつ文句をいい、近所の居酒屋へ出かけてしまった。
母親は食欲もなく、戸棚の中のカップラーメンを1人少しずつ食べていた。
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