第65話 7月30日 女子の思惑 2
吉田志保が気になるのは安藤たちに限ったことではなかった。
同じD組で、クラスの中心になっている女子グループがあった。流行に敏感で大人びた格好をし、自分たちの我儘を通し周りから嫌な顔をされても周囲の生徒は誰も逆らえなかった。
大野たちのグループとも仲が良く、D組の中でかなりの影響力と権力を持っており、3年のギャル予備軍と呼ばれる先輩とも仲が良い。
目をつけられたら学校へ来られなくなるというのを誰もが感じていた。
彼女たちにとっても、志保の登場は想定外だった。同じクラスのアイドル的な安藤も目障りだったがそれ以上。授業時間とはいえ、直哉を独占している状況が腹立たしい。
「恵夢、今日来てるよあいつ」
バレー部の
「もし1人で帰ったらちょっと絞めに行くか」
「ほんとなんでいきなり学校来るかね、一生登校拒否してりゃいいのに」
「ほら喋ってんな!」
コーチから注意を受け仕方なしに動く。
体育館を使う部活は限られているので、午前の部活は9時から12時まで、午後の部活は1時から4時までと決められていた。午前の部活にあたれば彼女を捕まえられる。月曜はそのチャンスの日だ。あとは1人で帰ってくれればの話。
12時10分のチャイムが鳴り、午前の部活が一斉に終了する。同時に、特集クラスの補習も終了する。
授業後、志保は2人に聞いた。
「今日は部活にいくの?」
「うん。僕は行く。直哉は?」
「俺もいく。そろそろ動きたいし」
「そっかぁ……」
少し残念そうにして見せる。荷物を片付けたり着替えを取りだしたり、お昼を食べているいる間もそばを離れず、怪我の具合を聞き、別れるのが惜しそうだ。着替える時になってようやく教室を出て行く。
「じゃあ、また今度一緒に帰ろうね」
にっこりと笑って手を振り1人で帰っていく。じゃあな、といって見送る2人。
今日部活の活動場所を真一に訪ねる。もう気持ちは部活の方へ移っており、志保のことは気にしていなかった。
志保が廊下を歩いていると、部活を終え帰宅する女子生徒3人とすれ違った。飯田、大治、吉永だ。
「ねえちょっと、吉田さんだよね」
すれ違いざまに腕を掴まれた。そのわりには愛想のない、敵意の笑顔だ。志保が「何?」と聞き返す。
「ちょっといいかな。よかったら一緒に帰らない?」
どういうつもりか知らないが、危険を察知した志保は
「ごめんなさい。急ぐから」
と去ろうとした。すると余計に腕をつかんできた。
「ちょっとつきあえって言ってんの」
明らかに表情が変わった。そのまま彼女たちの教室―2年D組―へ連れて行かれる。
「あんたさあ、藤沢や杉村君と一緒に授業受けてんだって?」
「そうだけど」
「今まで登校拒否してたくせに男にぶりっこ使うのうまいね、なんかヤってたんじゃないの休んでる間」
「なんで夏休みから来ようとか思ったの? そんなに他の生徒に会うのが怖いの? 小学校のときバイ菌扱いされてたっけ。だから堂々と来れないんでしょ」
「それでわざと特殊クラスに入ったんだ。超卑怯じゃない?」
この子自分を知ってる……志保はわずかに受け継いだ記憶を辿る。小さい女の子、男の子数人が自分のことを臭い汚い触るな寄るなと言うくせに、蹴ったり箒の柄で殴りつけたりする映像が浮かんできた。
この子は両親だけでなく周りからも痛めつけられていたのか。思わず右手で左腕をそっと握った。彼女の悔しさ恥ずかしさが自分に乗り移ってきた気がした。
「だったら何なの、あんたらみたいに人傷つけて楽しむようなことしてないだけましだよ」
直哉たちの前では出さない、低い落ち着いた声で言い返す。
「はあ、ウチ何にもしてませんけどー? 何こいつ超生意気なんだけど」
「嫌がらせだけ言いたいなら帰るよ」
教室を出ようとした時、吉永が飛んできて腕をつかんだ。払いのけようとしたが突然ビンタを食らった。乾いた音が響き一瞬時がとまる。
「いったいな何すんの!」
志保が一歩吉永に近づく。すると脇から飯田や大治がつかみかかってきた。そして壁に押さえつけた。
「目障りなのあんた」
飯田が顔を近づけて淡々と言い放つ。髪をつかんで押し倒す。キャッと悲鳴をあげて倒れ込む志保。腹を蹴られた。体を丸くしてうずくまる。
「いい気になって気安く藤沢と喋ったらその顔潰すよ?」
つま先で顎をつつかれ脅された。きゃははと笑い声をあげる周囲。鞄を肩にかけ教室を去っていく間際にも、誰かの足が志保の背中を蹴った。痛みに全身に力が入ってしまう。
鞄も誰かに蹴り飛ばされ中身が散っていた。痛みが治まるまでしばらくうずくまるしかなく、じっと耐えていた。
数分程してゆっくりと立ち上がる。うっと時折声を絞り出しながら、散乱した荷物を拾い集める。
拾い漏らしているものがないのを確認すると、よろよろと教室を出て行った。
この国は比較的治安も良くて安全な国だと聞いていたが、こんな子供がこれだけの仕打ちを受ける国なのか。安心安全と言われて光が強いほど、影の部分が濃いのだろう。見えない部分では叩くものを完膚なきまでに叩く。
勝手にうすら笑いがでてくる。
―――――よく簡単に引っかかってくれたね。探す手間が省けたよ―――――
腹に響くので、ゆっくりとした足取りで帰り道を歩く。きっとあの女の中の誰かが自分のターゲットにちがいない。嫉妬から自分を襲った。
その時彼女の記憶がまたよぎった。映像ではなくて名前だ。
「えむちゃん……えむちゃんて誰だ、あの3人の誰かか?」
もう吉田志保本人と話はできないし、当時の感情を読み取るのもやっとだ。しかも大分抜けて薄れている。問いに正答が返ってくる事もない。
本物の彼女を見たことがある人間が自分を目の前にし、偽物と気付かないということは、記憶にとどめられない程にしか学校に通っていなかったのだろう。それなのにこんなに鮮明にいじめられた記憶が残るなんて。
きっと先程のような、他人の痛みの分からぬ奴らにこの子は虐められ続けたんだろう。普通の人間なら確かに学校に行きたくなくなる。
再び彼女の断片的な記憶の景色が広がる。外を歩いているのに、右足はどろどろの靴下。靴は左だけしか履いていない。泣きじゃくりながらアスファルトの上だけ見つめて歩いていく。まるで今の自分だ。痛くて体をまっすぐにできないから下を見ている。
「あ、あれ?」
まばたきした瞬間、ほろりと目から何か落ちた。
「なんで……泣いてる……」
志保の頬を涙が伝った。悲しい? 痛い? 辛い? 今まで自分が生きてきて受けたどんな虐待よりも耐えられる程度のものなのに、何で泣いているのだろう。
……ああ、これも分けてもらった感情の記憶か。
帰宅して鏡で背中を見ると、頬が赤く腫れ、蹴られた腰のあたり、背骨の少し右がうすら紫になっていた。腹は相変わらず鈍痛だが、この程度1日ですぐ治る。
母親の帰宅する音がした。最近スーパーのパートを見つけ、週3回なんとか稼いでいる。
その瞬間、急いで傷を隠した。この痣が1日で治ってしまうのを見つけられたら厄介だ。と同時に、怪我をした事実を絶対秘密にしておかなければという焦燥感が湧いた。悪いことはしていない、どちらかと言えばされた方なのに。
「おかえりなさい」
何食わぬ顔をして出迎え、一緒に夕飯の支度を手伝った。父親の男も最近あまり深酒しなくなり、自分たちの罪を今の生活の下に塗り込めてしまう方に必死なようだった。
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