第53話 7月4日(2) 隠蔽工作

 説明通り午前10時に2人、大きな工具箱を持って「水道工事」の者がやってきた。

 襖を開けるところは絶対に見まいとしていたが、作業員の後ろから恐る恐る覗いてしまった。

 ずっとカーテンが閉まり薄暗く、埃が積もった机。壁も黒ずんでいる。

 小声で打ち合わせる男たち。鞄から出てきたのはビニル袋だった。窓を少し開けるとしけった空気がふっと居間にまで流れてきた。娘の恨みが流れてくるような気がして、女はキッチンへ逃げた。

 作業員たちはマスクと手袋をつけとりかかる。ゴト、ゴトと音がする。押入れの襖を外しているようだ。女は顔を覆い、息を殺していた。そこには娘が……




 ぼそぼそと話している声が聞こえる。続いてガムテープをはがす音。女は耳をふさいだ。パチン、パチンとクーラーボックスのロックを外す音。体をこわばらせぎゅっと目をつぶる。娘は一体どんな姿になり果ててしまったのか。自分らがしたことなのに、目を向けたくない。


 どんなに耳を塞いでいても聞こえたくない音が入ってくる。またぼそぼそと話す声がし、何か硬いものがぶつかる音や、ぱりぱりという音がする。中にあるのは骨なんじゃないか、形なく溶けた体なんじゃないか、それを考えるだけでもう恐ろしくて、キッチンの隅で震えていた。


 再びクーラーボックスのロック音がして、粘着テープが張られる音がした。そこから先は掃除機の音にかわった。

 もう大丈夫かと恐る恐るキッチンから顔をだす。折りたたまれた布団に、黒カビと大きなシミが見えた。布団のあったところの畳も真っ黒で、気味悪いしみが広がっていた。また再び見えないよう隅にしゃがみ込む。



 ただでさえ、ゴミ捨て場のようになっていた部屋。ビニル袋にはじから物を詰めているようで、がさがさと音がする。そのうち、大きな鋏でじょきじょきと切る音もした。布団を切って小さくしているようだ。




 昼、電気工事を名乗る男が来たので部屋にあげる。彼もまた大きな工具ケースを持っていたが、中身は掃除道具と消毒剤だった。それを出すと代わりにごみを詰め始めた。



 最初に来ていた男の片方が、クーラーボックスと自分たちが持ってきた大きな工具箱に、ごみを詰められるだけ詰めて出て行った。

 残った2人で床のシミを掃除し始める。しかしこれだけのカビとしみでは元通りにはならなそうだ。

 先ほどごみを持ち帰った男が再びやってきた。手には大手メーカーの給湯器の絵の描かれた大きな段ボールを持っていた。そして女に声をかける。

「この中にいらないものを詰めてください。あとあなたがここにいれば窓開けていいでしょ」

 もうクーラーボックスも布団もない。女は意を決し部屋に足を踏み入れる。ぶくっとした畳の感触が恐ろしかった。

 女は窓とカーテンを全部開けた。何年ぶりだろう。通りから一番離れた奥まった部屋のおかげで、そうそう人目にはつかないのが幸いだった。

 もう着られない小さい服を片っ端から捨てる。少しでも形跡を残したくなかった。絵も捨てたし、絵本や人形も捨てた。中古で手に入れたランドセルも、体操着も、全部捨てた。死んだのではない。自分の子供は中学生なのだ、14歳なのだ、と言い聞かせながら。


 宅配業者を装う男がやってきた。子供のために布団を一組持ってきた。彼が帰る際、ゴミの入った大きな段ボールを引き取ってもらう。

 ここまでするとかなり部屋の中はさっぱりとしてきた。



 

 夜8時。玄関チャイムが鳴った。びくっと体が反応する2人。

「ちわー、蕎麦屋です」

 神妙な顔をして揃って玄関へ向かう。ドアを開けて蕎麦屋を中に入れる。声をひそめおかもちから荷物を出す。

「子供の荷物です。先預かっててください」

 荷物と言ってもおかもちに入るくらいのトートバッグ1つだけ。なぜか空のどんぶりも入っている。不思議な顔をしていると

「子供がどの家かわかるよう、あとでこれを目印にドアの脇へおいといてください。明日回収します」

と指示を出した。2人ともその用意周到さに感心してしまった。


 一通りのやり取りが終わると玄関を出たところで

「あざーしたー」

と大声で挨拶し、蕎麦屋は帰って行った。すぐに出すと怪しまれるので、1時間後に外に出すことにした。




 ただ座っているだけ、テレビもついているが何も内容が入ってこない。本当にばれずにすむか。いきなり子供が出入りし、近所から変に思われないか、気が付くと言い訳ごまかしばかり一生懸命考えていた。


 9時になり、番組が切り替わった事で時間を知る。人目を避けるよう腕だけをのばして、素早く玄関の脇に盆ごと空のどんぶりをだし、またドアを閉める。

 落ち着かなくなってきた男はもう何本目かわからない煙草に火をつけ、それも割と長いうちに消してしまうので灰皿が山盛りになってきた。

 女もスマホを見ながらゲームやSNSの画面をしきりに出すがすぐ閉じてを繰り返していた。

 1時になり、いよいよ落ち着かなくなってきた。部屋のカーテンはしっかり閉めた。子供部屋も無駄なものは取り払った。カモフラージュで置いていた靴や服も今はもうない。業者が持ってきた新しい布団もある。普通の子供部屋として怪しまれない空間になっているはずだ。

 いちいち物音に緊張しながら時間だけが過ぎた。1時20分、30分、40分……

「おいホントに来るのかよ。騙されたんじゃないだろな……」

「だってあれだけ部屋掃除してったじゃない……死体も……」

「バカ死体とかいうなよ」

―――カチャ―――



「!」

 お互いに体の動きも会話も止め目を合わせる。ドアが開いた音が今、確かに聞こえた。数秒の沈黙の後慌てて立ち上がり部屋を飛び出す。

 玄関で2人が目にしたのは―――

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