第88話「3月スピーチ③」

「どうか、どうか、満水ハウスに今一度力を貸して下さい。社員一人ひとりが力を発揮できればライバルとの競争にも生き残れます。少子高齢化も乗り切るのです。我々は住宅メーカーです。お客様の財産を、人生を守り、育んでいく家を作っているのです。ご承知のように一生に一度の買い物である家を売るのは大変です。私も本当に苦労してきました。でも、だからこそ言えます。我々に売れないものはないと。我々の販売力さえあれば、世の中のどんなモノも売れます。我々に限界はありません。社員皆さん一人ひとりと厳しい競争に勝っていきたいと私は考えています。心配はしなくて良いのです。満水ハウスはもっと良い会社になります。」


 平野は一気にしゃべった。口を閉じた時、静寂がホールを包む。もう一押しが必要だ。ここで腹を割って話を出来るか。従業員は難しい話を聞きたいばかりではないのだ。平野が信頼できる人間かを値踏みしているはずだ。


「私自身の話もしておきます。一部の方々が私のことを何と呼んでいるかご存知でしょうか。私はヒラメと言われています。魚のヒラメです。私の名前は、ヒラノメグミです。奥平前会長にぴったりと付いてきたから、私の名前を縮めてヒラメです。上ばかりを見て出世ばかりを考える、奥平前会長の腰ぎんちゃくという意味でしょう。」


 誰もが一言も発しない。皆、じっと平野を見ている。驚いた目をしている従業員も多数いる。誰もが息を殺している感じだ。今までつまらなそうにしていた若手の男性従業員までが眉間にシワを寄せながら平野を見ている。


「良いあだ名ですよね。私は噂を聞いた時に、このネーミングを考えた人は天才だと思いました。今、この場を借りて御礼申し上げます。名乗ってくれたら会長賞を差し上げるんですがね。とにかく、ヒラメである私は木村新社長に寄り添い、もちろん皆さんに寄り添い、この会社を良くしていきたいと考えています。当社は役員に70歳定年制を導入します。よって、私の任期は最長でもあと4年です。居座ろうなんて考えてません。ただ、満水ハウスを素晴らしい会社にしたいのです。皆さんには役員同士の権力争いなんてどうでも良いはずです。ご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。それでも、もう一度言います。どうか、満水ハウスに今一度力を貸して下さい。これが私の会長就任のあいさつです。」


 平野は一息ついた後に、向かって右からゆっくりと人だかりに目を移していった。右端から徐々に拍手が起こりだす。最初はパラパラと。その後は万雷の拍手となった。眉間にシワを寄せていた若手社員までが笑顔で拍手をしていた。


 伝わったのかもしれない。自分の思いが従業員に少しは届いたのかもしれない。細かいところまでは無理だろう。しかし、全体の方向感が共有出来れば良いのだ。


 満水ハウスは変わるのだ。自分達で変えるのだ。カリスマに依存しない、永く続く企業に。


(続く)

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