第13話 試行錯誤の虚脱感

 いまの学生のように、二年か三年の段階で就職活動を始めなければ、まともなところに就職出来ないと言うほどのシビアさは僕の頃の就活にはなかった。時代はバブル経済の終焉を迎えていたのだけど、まだ残滓が残っていて、国民の浮かれっぷりは続いていたようだ。でも、僕の就活期が一年遅かったら状況は悪化していただろう。ギリギリセーフだったよ。ただそれにしても、僕自身の就活開始は出遅れ過ぎていたんだけど。その話は一旦置いとくね。


 四年になる直前から、堀晋作先生のゼミへの出席回数が激減してしまっていたのだけど、先生がある日、ふらっと図書館へ現れて「やあ、きみに頼みたいことがあるのだけどね」と相変わらず穏やかでゆっくりとした口調で話し始めた。「来年度に三年生になる諸君へのゼミ説明会があるのだよ。それに、きみが出席して話をしてくれるかな? 他に適任者がいないでしょう? 言うことはきみの好きにしていいのでね。よろしく」伝えたいことを言うと先生は去ってしまった。


 困った。実に困った。新しく三年になる学生は相当な大人数だし、会場は学内の大講堂だ。いわば壇上でのワンマンショーということ。そんな、ある意味パフォーマンス的なことが僕に出来るはずがないよなあ。故スティーブ・ジョブスのような人々を魅了するようなプレゼンテーションなどねえ。そのころは、そんなAppleさんの新商品説明会はたぶんなかったけれども。ちなみに僕は完全なMac派で、都合何台購入したかわからないよ。Appleさんはアメリカ人だから、どこか大雑把で、すぐぶっ壊れてしまうけれど、使い心地の良さはWindowsとは比べようもない。「苛政は虎よりも強し」と言うけれどパソコンの場合「使いやすさは故障のリスクよりも強し」だった。余談がすぎたね。


 もう、それから説明会までの何日か、僕の頭はいかに説明をするかでいっぱいいっぱいだった。もちろん、履修要項に書かれた文言をありのまま、淡々と語って短く終わるのが無難だけど、どうもそれではつまらない。この辺りで僕の心の中にある種の諧謔性がおもてに出てきた。「なんか、皆の心に爪痕を残したいな」そう考えて荒唐無稽なことを考え始めた。いや始めちゃったかな?


 当日、事前に図書館の上長に事情を説明しておいたので、仕事を中抜けして会場へ向かった。だが、どうも時間に遅れてしまったようで、僕の出番は大トリになっていた。

 緊張がピークに達した。もしかしたら、突き抜けていたかもしれない。そして出番が来た。堀ゼミの学習内容を要項で見れば、多くの学生にとって興味の薄いものだろう。もうここ頃すでに、共産主義などというものがまともに機能していないのは周知の事実なんだからね。


「こんにちは。堀先生のゼミはマルクスの『資本論』を読むというものなんですが……」

 ここで、僕は一拍置く。マイクを持つ手が震えてならない。

「実は現在、受講生は僕一人で、授業なんかやった試しないっすよ! 毎回先生と喫茶店でコーヒーを飲むだけっす!」

 ぶちゃけた。会場が笑いの渦に包まれた。この一瞬だけだけど、僕は聴衆を惹きつけるという快感を知ってしまったんだ。

 その後も虚実取り混ぜて、爆笑の嵐を引き起こし、終わるや否や会場を逃げ出した。楽しかったけれど、もう二度とやりたくなかった。堀先生に不義理をしたような気がして、とても申し訳なく思った。でも、僕の中の狂気が緊張の極限に達したために目を覚ましてしまったんだ。もう、自分でも止められなかったという感覚。ご病気ですか?

 ところがその会場に一つ下の経済学部の同僚がいたようで、図書館のカウンターの中で「ものすごくかっこよかったです。最初は手が震えてるんで心配したけど会場が一番、盛り上がってました」と言う。複雑な心境だったね。その後のことを書いてしまうと、ゼミ希望の学生が五人くらい来てしまい、堀先生は驚くと同時に張り切ってしまい、翌年は真面目な授業をし出して、喫茶店なんか行かなかったらしい。僕の、ある意味ではブラックジョークを真に受けて楽をしようと考えた後輩学生たちが愚かだと思うんだけどね。僕はといえば就職活動を口実にゼミになどほとんど顔を出さなかったよ。当然の帰結というところかな?


 四年生の同僚たちが、積極的に就職活動をしだしたのがわかって、僕はかなり焦った。みんな、スーツ姿で働いている。もう面接とかしているのだろうか。繊細な問題なので安易には聞けなかった。正直に言うと、この時点で僕はなお、特に何かをしたいという気持ちがなかった。あえて言うなら資格を取るべく学んでいる図書館司書もしくは付随した仕事かな? でも、図書館司書の就職口ってほとんど空いていないと大学職員の人が教えてくれた。公立の図書館で働くには公務員試験を受けなくてはならない。しかし、公務員試験を受けるんだったらもっと前から勉強していなければならなかった。生協の書店で、ちらっと公務員試験のテキストを覗いたけれど、とても太刀打ち出来るものではなかったね。退散っと。


 とりあえず、僕は自分が就職試験などに、どの程度通用するかを知りたかった。そのため、少々姑息な手を使った。実姉のかつての勤め先で、いまもその旦那さんが勤めている製薬会社に練習応募という記念受験のようなことをしてみたんだ。もちろん実姉には内緒でね。そうしたら、そこの人事担当者が実姉の同期で「おおっ!」ということになり、すぐに面接に呼ばれちゃった。東京に不慣れな僕は、初めて赤坂見附という駅につき、近くにホテルニュージャパンの燃え跡が放置された道を行き、面接に望んだ。結果から言うとまったく練習にならなかった。面接には実姉を知るおエライさんが出てきて、ロクに話も聞かずに、はい内定みたいなことになってしまったの。

 しかし、そのことが実姉にバレてしまった。電話をかけて来た実姉は激昂した声で「絶対に、辞退しろ!」と言った。おそらくは、旦那さんの立場を考えたのだろう。エリートみたいだからさ。もちろん言われなくても製薬会社のプロパーなんか出来るわけないから辞退する気だったが、実姉の薄情ぶりに少しがっかりした。まあ、肉親の情というものが、実母以外はごく薄い家族だったので予想はしていたけれどね。なので、同社の懇親会に赴いて、散々飲み食いし、同期には決してならない同志とゲラゲラ談笑してから数日後に辞退の電話をした。特になにも言われなかった。実姉か旦那さんがそれとなくほのめかしていたのだと思うよ。


 まあ、そのあとは企業の開催する就職説明会にいくつか行ってみた。でも、自分の頭が混乱しちゃって、コンピューター言語も知らないのにSEの会社の話を聞きに行くなどの血迷った行動をしていた。ところで、SEってなに? 出版社の高橋書店にも行ったんだけど、入社後数年は必ず営業と言われてパス。お土産だけ貰って帰った。日販には応募して最終面接に進んだけど、どうも最終面接日の僕のバイオリズムが悪くて、着席と同時に不合格を確信したらその通りだった。その辺りが僕のメンタルの限界で、ついに図書館の仕事中にダウンしちゃった。頭がぐるぐる回る中、かなり危機感を感じていた。

 幸い不調は一日で戻ったが、僕はヤケになって、受かるはずもない講談社の説明会に行って、書類審査の用紙を貰ってきた。最初のうち、職種は校正を選択していたんだけど、どうせ落ちるからって、編集に変えた。で、見事書類落ち。「いつか、たけし師匠のように殴り込みに行くぞ」と思ったが、今だに行ってない。あそこは護国寺だっけ? 大徳寺だっけ?

 もう東京に行くのが面倒になって来たので、地元でお仕事探し。リクルートが勝手に送って来た、会社情報で横浜市の企業を眺めた。しかし、なんでリクルートは僕の住所を知ってたんだろうね。個人情報保護法施行前でよかったね。

 検討の結果、京浜急行系列の書籍取次会社か老舗のバカ書店の二つに絞った。まあ、いまだったらどっちもパスだけど、書籍業界のことなど知らないので、ブランドイメージでバカ書店を選んだ。


 その一方で大学職員に応募し、出来ることならこの図書館で働き続けたかった。僕にとってはとても居心地がよかったんだね。で、職員にいろいろリサーチしたら「ここの学生職員で正規職員になった人はいないし、仮に採用されても必ず図書館の職員になれるという保証もない。でも、チャレンジしてもいいんじゃないかな」と言われたので、張り切って応募して、説明会に出席した。僕はスーツを来て行ったんだけど、ほとんどの人が私服だった。「うわあ、場違い?」と冷や汗をタオルで拭いていたら、担当教授がやって来て「君たちは企業の説明会に行くときも私服なのですか? 彼のようにきちんとした服の人もいますよ。甘えた考えはもうよしなさい」と言いつつ僕を指差した。心でガッツポーズ。そんな感じスイスイと最終面接まで進んだ。あとで知ったんだけど、人事課で僕の勤怠を内々に調査してたんだって。印象はよかったってさ。


 一方のバカ書店も社員面接、店長面接、そして役員面接。なんの嫌がらせか、一番目の被面接者。何事も、一番目って落ちる確率が高いみたいだよ。各種コンテストなどで、基準点にされがちなんだって。最近知った無意味な知識。


 しばらくすると、バカ書店の人事課長が電話して来て「テニスとソフトボールのどちらがやりたいですか?」と聞いて来た。どちらも捨てがたいが、ああ、これはどういう意味だ? 「テニス」と取りあえず答えた。人事課長は「では、○月△日から二泊三日の内定者懇親旅行がありますのでお越しください」と言って電話を切った。「ああ、これが噂の拘束旅行だ」とやっと気づく。


 一方、大学職員最終教授面接。ライバルは学生課の学生職員の女子だった。「あれ? 学生職員は正規職員になったことないのでは?」どちらが受かってもブレイクスルーじゃん。


 まあ、結果はね。どこかで誰かが散々吹聴しているから言わない。

 ただね、人生の要所要所では余計なことを言わないに限るね。もう、人生の終末が近いから、いまさら気がつかなくてもよかったんだけど。

 挫折感と虚脱感のツインタワーがさあ……

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