第11話 行きては帰る日々

 僕のキャンパスライフは前半と後半で大きく異なる。まずは前半戦について語ろうか。記念だからさ、入学式に出席し、“梅干先生”こと樋口清之名誉教授をナマで見られたことに興奮したよ。なにせ小学生の頃にNHKでやっていた『600こちら情報部』に出ていたからね。ただ、なんの先生なのかは、いまひとつわかっていなかったな。とりあえず、有名人発見という感じ。有名人といえば山下大輔氏を通学途中の道にデンと構えた豪邸の前庭でついに見つけた。大ちゃんは休日だったのか、白の着古したようなTシャツと短パン姿で子どもさんの遊び道具を片付けていた。マイフォームおパパだね。野球選手の中では小さい方だった印象だけど、本物はゴツかった。引退太りかな。大ちゃんはトレードマークのつるっ禿げを隠しもせずに堂々とした男っぷりだった。中学の頃、僕は彼の大ファンだったので興奮したね。彼のえらいところはさあ、大金を積まれてカツラメーカーのCM出演を依頼されても、頑として受け付けず、ありのままの姿を見せ続けたこと。ただもっとも、現役中は常時、帽子をかぶっていたし、ヒーローインタビューの時も絶対に帽子を脱がなかったという都市伝説があるけど、真偽のほどはどうだったんだろう? 若い人は彼が慶應ボーイかつ静岡の有名企業の御曹司で貴公子とかプリンスだのと言われていたなんて思いもしないだろうね。そもそも、山下大輔って誰だか知ってる?


 大学にもクラスがあるってことを入学してから初めて知った。語学などの必修科目の時のものらしい。新しいクラスって言う言葉からして、僕にはかなりの苦痛だった。なんと言っても、いまが人嫌いのピークだからさ。仕方ないね。とりあえずは、冷静な視点でクラスメートの状況分析をしてみた。その結果、國學院高等学校と國學院久我山高等学校からの繰り上がりが結構いて、すでに大きなグループを形成していた。僕はそこに絶対に加われないよね。そして、意外にも、一浪して入学した年上の学生が過半数を占めていて、たった一歳の違いなんだけど、想像以上に高い壁だった。しかも、地方出身者の比率がなぜか高くて、横浜の人などいない。言葉や風土の違いって案外大きくて、そこにも近寄りがたい。当然、女子学生など僕が話せるはずがない。孤立決定。僕は諦観の境地に近づいた。


 必修の英語の最初の授業で、いけ好かない女性講師が「みんな、隣の子と交流しましょう」って言ったの。これは友人作りのきっかけになるかな? と横を向いたら女子でした。ほとんど女子なんていなかったのになあ。通り一遍の挨拶をしたところ、宮崎県出身、一つ年上、メークバッチリ、試合終了。いきなりこれはムリだよ。その後、一回だけノートを貸してくれと言われて快く応じたけど、特に距離感に変動はなく、その内、彼女の姿をキャンパスで見ることはなくなった。卒業アルバムにも写っていなかったから、途中で、どこかへフェードアウトしちゃったんだろう。別にって感じ。


 友人出来ない問題より、この、女性英語講師の取り扱いがたいへんで、単位をいきなり落とすかとかなりビビった。なんか、完全にU.S.A.かぶれで、日本語の発音が下手くそ。この女を軽蔑したのはこいつが授業中に「福島県民は田舎者でキライ」と全く根拠のない県民差別をしたこと。マトモじゃないよ。さらにブサイクババアなのに、自分ではそのことに気づいていないらしくて、ケバケバしいお化粧まみれ。ちゃんと鏡を見ているのかなと思った。世界が歪んじゃってる魔法の鏡だったのかな? もし現在だったら「アレクサ、私キレイ?」て聞けばアレクサが煙をあげて故障するか、密かに内部に搭載された迎撃ミサイルで駆逐されてたろうね。


 そんなある日、英語の教室に入ったんだけど、急に具合が悪くなって、とりあえず教室の外に出てみたけど、よくなるどころか、どんどん悪化して来て、目の前が真っ暗になっちゃったんだ。「うわあ、僕死ぬ」と思いながら、その辺にいた学生に保健室の場所を聞いて、なんとかたどり着いたんだ。保健室の先生がいうには「大貧血」だって。僕は女子だったのか? とかいう訳のわからないことを考えた。

 問題はここから。目が見えるようになったので、僕は保健室の先生の制止も聞かずに教室へ戻ったの。置きっ放しのカバンも心配だし、授業を休むのもイヤだったんだ。始業時間はすでにすぎていた。で、教室のドアを開け、一言告げようと思ったら「あなたはなんでワタシの授業を邪魔するの。そういうの一番キライ!」てヒステリックに叫ばれた。正直「この女、キチガイだわ」と思い、単位をあきられようかと思ったけど、あえて恥辱に耐えた。来年再履修するのは面倒だからね。以後はおとなしく授業に出席をし続けたんだけど、最終授業の日の前の週に、クソババアが唐突に「最後の日はみんなでパーティーをやりましょう」とか言いだした。まさに「欧米か!」と突っ込みたくなるね。僕は絶対に出たくなかった。でも、出なかったら単位はアウトだ。僕はねえ、意味もない苦行の時間を歯噛みをしながら耐え抜いた。上っ面だけの交流。我慢。そして、なんとか勝ったよ。これで単位ゲットだぜ!


 経済の授業はつまらなかったけど、一年生のためのプレゼミがあって、自分で物事を考える授業で面白かった。たしか、夏休みの宿題だったかな? 時事問題を突き詰めていくとかいうお題だったと思うんだけど、あんまり経済と関係ないパレスチナとイスラエルの問題を毎日、新聞から切り取って読んでた。あとは岩波新書の『エビと日本人』を読んで、東南アジアでの日本企業の横暴さを知り、続けて『バナナと日本人』を読んだら、横暴というか非人間的な日本人商社への憎悪が膨らんだ。やっぱり、過分な金儲けは大嫌いだし、僕には出来ないと思った。


 なんかずっと僕が一人でいることに気がついたのかどうだかわからないんだけど、一人の地方出身の男子が僕に声をかけて来た。まあ、それはそれでありがたいね。でも、友人までには言ってなかったな。たまに出会えばちょっと話す程度。


 僕は基本的に授業には真面目に出席し、黙々とノートに板書の文字を書き入れ、授業が終わったら、すぐにウチに帰る生活をしていた。外に着る服を家でも着ているのはとても窮屈なので、帰ったら即、パジャマに着替えて、ゲームばっかりやっていた。たまたま夕方にムグルマくんがウチに来て、僕のパジャマ姿を見て「早っ!」ってびっくりしてた。きっかけは覚えていないんだけど、高校の時の友人たちがしばしば、ウチに遊びに来るようになった。みんなゲームをやりに来たのね。僕は他人のウチに行くより自宅に友人を招いた方が楽なんでちょうどよかった。でも、みんなアポなしで来ていた。よほど、僕がウチに居たがっていることを熟知していたんだろうね。さらにさ、みんな絶対に鉢合わせしないの。不思議だ。裏でローテーションとか決めていたのかな?


 そのうち、ジンボくんがKoeiの歴史シミュレーションゲーム『三国志』を持って来た。ところが僕は「三国志」のことを全く知らなかったの。かなり、恥ずかしいね。しかも劉備と関羽のことを項羽と劉邦だと勘違いしていて「そのうち劉備が関羽を殺すんだな」という無知をさらけ出した。でもね「無知は恥じ入ることじゃない。無知であることを隠すのが恥じ入るべき行為だ」と東大の教授が言ってたの。僕は実父に「三国志ってなに?」と教えを請うた。そしたら実父は吉川英治先生の吉川英治文庫版「三国志」全八巻をどーんと買って来てくれた。なんか実父は僕が本が欲しいと言うと、ほぼ無条件で買ってくれた。なら、文学部入試を認めてくれったってよかったのにね。


 吉川英治先生のことだって、正直ピンと来なかった。本を読む前は「古い文体なのかなあ?」と不安も感じた。でも杞憂だったね。まさに「一読巻を置くをあたわず」だね。英雄豪傑、大軍師たちのてんこ盛り。僕は前半の方の群雄割拠時代が好きだな。最凶の極悪人の董卓とか、最強の武人だけど、頭の足りない呂布とかね。後半は諸葛孔明が現れて来て、劉備やら曹操たちから主役の座を奪っちゃったな。彼の知力、計略、劉備への忠誠心の深さの素晴らしさに感服した。しかも諸葛孔明の名前の中の一文字が僕の本名と一緒だったの。僕はもう自分が大軍師の生まれ変わりだと思い込んじゃった。でも、ゲームはジンボくんに連戦連敗。大軍師でもなんでもない。僕は将棋とか、オセロとかがすごく弱くてね。全く先が読めないんだ。人生と一緒だね。それにしても、すぐに物事に感化されるのは僕の宿痾みたいなもので、一体、これまでにどれくらいの歴史上の人物の生まれ変わりになったのかな? たぶん角川春樹より多いな。


 学校ではようやく友人らしき男子が一人で来たのだけど、彼はいつも松葉杖を片方だけ使っていた。僕はあえてその理由を聞かなかった。無礼な言動は慎んだのさ。彼は山下大輔と同じ、静岡出身で、恵比寿のワンルームマンションに独居していた。当時で家賃月七万円だったよ。セレブリティーだね。そこにしょっちゅう行っては、やっぱりゲームをやってた。ゲームなしのコミュニケーションが出来なかったんだろうね。のちの事だけど、社会に出たらゲームを全くしなくなった。今時のアニメも気色悪くて観られない。要は自分の人生そのものがかなり危険なゲームで荒唐無稽なアニメみたいだったんだよ。そのあと、もう一人、軽い友人関係を保てた男子も現れたけど、これがやっぱり静岡県民。僕は今度は自分を清水次郎長の生まれ変わりかと考えた。バカだねえ。


 まあ、状況は二年になっても変わらず。ただ図書館司書講座を受けるための選抜テストに受かってうれしかったな。これに落ちていたら、他に面白いことがなにもなくなる。

 あと、ゼミにも入ろうと思ったけど、第一希望だった「農作業を通じて経済を知るゼミ」の面接に行ったら、そこに教授の姿はなくて、大勢の先輩たちに囲まれてのネガティヴ面接で、一気に引いた。たかだか一つ学年が上のガキどもに僕のよさがわかるかよ! と憤慨した。もちろん不合格だよ。バーカって感じ。で、やけになって絶対に合格すると思われたゼミの面接を受けた。「マルクス『資本論』を通読する」担当・堀晋作先生。その当時、まだベルリンの壁は存在してて、ドイツは東西の分断国家だったと思うんだけど、記憶が曖昧。でも調べない。ゴルバチョフ氏はもうソ連のトップで「ペレストロイカ」改革は始まってたのかなあ? まあ、その頃はまだ「マルクス経済学」は存在こそしていたけれど『資本論』など、マトモに勉強する学生なんかいなくて、一種の古典文学を読むような感覚だった。当然のごとく、ゼミには合格した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます