第7話 麗しの長身の少女

 ごめんね。待った?


 僕は中学入学まで、生きのびてしまったよ。そうだ、言ってなかったっけ? 実はさ、小五の夏に、ヘルニアなんてかっこいい名前のついた、ただの脱腸の手術をしたんだ。しかも、太平元首相が現職中に死んじゃった、名門虎ノ門病院だよ。不安になるよね。なんで、こんな名門病院に入院出来ちゃったかというと、実姉の親友のお父さまがお医者さんで、わざわざ、彼の経営する東京のクリニックまで行き、ヘルニアと判明して、なんだかわからないけれど、虎ノ門病院を紹介されたの。でもさあ、出来たら近場でちゃっちゃとやって欲しかったよ。どうしてかは知らないけれど、一ヶ月半くらい入院させられて、あまりにも、さみしくて泣いちゃった。もしかしたら、さみしさや悲しみの涙って、これが人生最後かも。悔し涙はたくさん流したけどね。今後も流す予定はぎっしり、つまってるよ。

 ただね、この手術を境にして、僕の虚弱な体が割合と良くなって来たの。


 もう一つ、書き忘れてた。僕の頃の私立中学入試って二月一日の一発勝負だったんだ。もちろん僕に私立中学受験の選択肢はないよ。家計もそうだし、毎日、電車に乗った通学なんてあり得ない。僕は三半規管がものすごく弱いから、すぐに乗り物酔いをしてしまう。だから、東海道線の湘南カラーとか、最近は見かけない、アイボリーに赤の特急の色は見るだけで気持ち悪くなった。京浜急行なんて地獄の局地で、ごく幼児の頃、実父の仕事について行って、京急に乗ったら、金沢八景あたりで、車内にて豪快にゲロゲロバー。シーパラダイスなんて構想すらなかったから、金沢八景なんてつまらないところだし、実父が僕のジャンパーで、吐瀉物の始末をしたから寒い。実父は仕事にもいけず、気まずく帰宅したなあ。話が飛ぶけれど、関東学院大学へ受験しに行くときさあ、久々に京急に乗ったら、その電車が快速で「あれ? この電車、暴走してるよ!」ってくらいハイスピードな上、カーブが無茶苦茶多くて、僕はダウン寸前。悪夢再び。さすがに嘔吐はしなかったけれど、あの、偏差値が低かった関東学院大学にヘナヘナの補欠入学だよ。浪人を決意したよ。その時はね。

 ごめん、結論というかオチを書き忘れるとこだった。その、二月一日になんと、僕は高熱を出して学校を休んじゃったのさ。そうしたら「〇〇がいないぞ!」「あいつ、私立受験するって言ってた?」とクラスに大恐慌が起きちゃったらしいの。高熱を出すタイミングが悪すぎたね。


 さて、中学の入学式の日はすごくいい天気で桜が満開だったので、いまもはっきり覚えているよ。近所のたいして仲のいいわけでもない連中と並んで写真を撮ったなあ。実父が捨てちゃったから、もう見られないけどさ。こうしてみると、入学式に咲いていた桜がいまは春休みに咲くんだから、地球は温暖化じゃなくて沸騰化しているのかもね。


 とは言いつつ、実は僕、内心どんよりしてたの。どうもこの頃、僕は自我に目覚めてしまったようで、少年の頃のように屈託なく(あったことはあったんだけどね)笑えないという、今の僕に近づきつつあったの。性にも目覚めたでしょ。もう、女子となんて、恥ずかしくて話せない。この羞恥が大学卒業まで続くんだから、僕って相当なウブだよね。彼女ってなに? という感じ。もうその頃から「美人は見て楽しむもの」だったねえ。当然、やることはやったよ。知識を本で集めてね。国語辞書でいやらしい言葉を調べるという密かな楽しみもあった。三省堂さん、ごめんなさい。あとさ、決定的だったのはあだち充の「タッチ」だね。軽くエロくて南ちゃんは純真で可愛い。しかも、達也は性格がなんか僕に似てた。達也が野球をやり出すまでは最高だったけど、その後はどうもねえ……『みゆき』の方が、最後まで楽しめたな。今、生きてるのかな? この辺りの漫画。僕は何度目かの引越しの時に、みんな売ってしまったんだよね。


 ちょっと脇道に逸れちゃった。まあ、それが僕の性格。ひねくれてんの。中学に進むのがなんで憂鬱だったかというと、せっかく奇妙なバランスの元で結束していて居心地のよかった小六の仲間が別れ別れになってしまい、なにも知らない、他の小学校の子が一緒になる。もう、人見知りが巨大化して来ていたから、苦痛だったなあ。

 まあ、でもまだ中学生だから、孤立することもなく友達は出来た。さすがにムグルマくんとは別のクラスだったけど、念願の「横浜大洋友の会」に入り、月一くらいで横浜スタジアムに行っていたよ。でもさ、スワローズのファンクラブは小中学生、神宮球場の試合を見放題だったのにさ、ホエールズは年間たったの十一試合だけ。ジャイアンツ戦は外野席のみ、日にち指定ありってせこいんだよなあ。弱いし、人気もなかったからね。ビジターチームがカープだとガラガラ。いまとは全然違う。いま僕は思っているよ。「野球観戦はTVに限る」とね。だいたい僕は子どもの頃から、年老いた今に至るまで、自宅のお布団以外の場所にいると居心地が悪くてすぐ動いちゃうんだ。高級レストランに恋人と入っても、すぐ出たくなってしまうの。僕さあ、酒が飲めないんだよね。だから、パクパク食べちゃってすぐ終了。で、相手が食べ終わるのを待つのが辛いんだよねえ。そんな性分だ。


 やばい、麗しの長身の少女のことね。

 学校って各種委員会というのがあるでしょ? 僕はそんなことやりたくないから、体を丸くして気配を消していたの。そうしたら、別の学校出身でなんの接点もない、マルヤマってやつが突然「〇〇くんを学級委員に推薦します」って大声で言ったの。人生三大びっくりの第三候補にはなるね。そのとき一緒に学級委員になったのがミツエさんさ。身長が僕より大きいんだよ。でも顔は童顔で可愛い。「なんかいいな」と思った。学級委員会ではなぜかミツエさんが委員長、僕が副委員長という女性活躍時代の先駆けとなった。僕はおちゃらけキャラになりきり、他のクラスが送り込んできた、不良くんをいじり倒して、ピエロにしてやった。まだ、そういうこと出来たんだな。

 ミツエさんとはよく話したと思うんだけど、残念ながら全く覚えてない。ただ、クラスでのグループ討論会みたいな授業で、同じグループになったとき、いつも途中で僕は飽きてしまい、横にいたミツエさんの学生証を彼女のカバンからそっと出して遊んでたんだけど、絶対に気づいてたはずなのに、ミツエさんは文句ひとつ言わなかったし、別の日は、ヒマつぶしに、僕のつくった漫画キャラクターの一つ『おにぎりマン』を描いていたら、ミツエさんがスーッとその紙を取り上げて『おにぎり太郎』と書いたの。キャラクター名、変えようかどうか、本気で悩んだよ。

 その後はクラスが別になってしまったので、疎遠になってしまったが、三年の時、やっぱり委員会があって、僕の委員会は早く終わったから、教室に戻っんだけど、まだそこでは委員会が続いていたの。でも、早く帰りたいから、割合、堂々と入室したら僕の席にミツエさんがいて、机になんか描いている。それがなんと大量のハートマーク! しかし、僕はなんだかよくわからないまま、机の中の弁当箱を取るために「ごめんね」と言った。これがミツエさんへの最後の挨拶だったね。僕の勘違いかな? それとも……


 卒業アルバムに、ミツエさんは中学時代最大の思い出を書く欄に、二年の時、大雪の日にやった雪合戦と書いていた。変なの、と思って記憶を辿った。あの日、確か僕はキタジマくん改め、ご家庭の事情で苗字の変わった、タナカくんとそのクラスメートに雪のテボドンの集中砲火を浴びて壮絶に玉砕したのだが、タナカくんのクラスには確かミツエさんが……


 ふん、人生はすれ違いの連続なのさ。泣くもんか!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます