素晴らしい一年をありがとう

「今年はあっという間だったなー」


 台所で母さんがつぶやいた。


 12月31日。

 大晦日。

 その夕方であった。


「楽しい一年だったでしょ」

「うん」

「あんたが毎日楽しそうにしてるからさぁ、あたしも夜勤とか全然苦にならなかったよね」

「そういえば母さん、夜勤になるからぼくのことよろしくって月海先輩に言ったんだよね」

「そうそう」

「それを聞いて月海先輩が行動を起こす気になったんだ。いま思うと母さん、超ファインプレーだったよ」

「足がかりを作ったのはあたしだったってか。まあ、どっちにしたって光ちゃんは少しずつ近づいてきてくれてたとは思うよ」

「でも、タイミングが早まったのは間違いないよ」


 本当に、ここまでの時間がものすごく早く感じられた。

 春先、チンピラに捕まってカツアゲされかけた。それを月海先輩が助けてくれて、一緒に帰って、いつの間にかお昼を二人で食べるようになった。


 ずっと遠い存在だと思っていた、月海光という一人の女性。


 想いを伝えられないまま高校生活が終わってしまう。そんな不安を抱えながら迎えた2年生だった。

 まさかその年の終わりが、こんなに満たされたものになるなんて。

 入学したばかりの自分に伝えてやりたいくらいだよ。


「今夜はお参り行くんだよね。足はどうするの?」

「頼清さんが車出してくれるって。たぶん混んでるからちょっと遠くで降ろしてもらって歩いて行く」

「じゃ、あたしは頼清さんとお酒でも飲みながら年越ししようかなぁ」

「ホント、仲いいね」

「そう思う?」

「うん」

「だったら、なんで再婚しないと思う?」

「え」

「……」

「……」

「まあ、これはちょいと重たい話だから深く考えないでちょうだいな」

「そ、そうだね……」


 母さんと頼清さんが再婚しない理由。

 それはきっと……。


 ま、まだ考えるには早い気がするよね。うん。ぼくらはまだ高校生なんだし。母さんの言う通り、深く考えないようにしよう。


「よっしゃ、早いけど食べちゃおう」


 母さんが用意した銀鮭を、炊きたてのご飯で食べる。今日だけはいつもより高級な鮭を使うのが我が家の慣習だ。


「光ちゃんと夕飯一緒じゃなくてよかったの?」

「先輩とはこのあと会うから大丈夫。一年最後の夕食は家族と食べようって二人で決めたんだ」

「そっか。あんたたちは優しいね」

「ぼくたちがうまくいってるのは母さんや頼清さんのおかげでもあるし」

「こいつ~、さては泣かせにきてるな~?」


 母さんは顔を逸らした。本当に泣きそうだ。


「まあ、今夜もしっかりね。光ちゃんに迷惑かけないように」


 ぼくはしっかりうなずいた。


「もちろん、そのつもりだよ」


     †     †


「景国君、光のことよろしくな」

「任せてください」

「はっはっは、頼もしくなったねえ。そんじゃ、またあとでな」


 善光寺から少し離れた城山じょうやま公園の近くで、ぼくと月海先輩は、送ってくれた頼清さんと別れた。


「景国くん、ルートは全部お任せしていい?」

「ええっ、それはちょっと……」

「任せてくださいって宣言したじゃない」

「あ、あれは勢いで……いえ、わかりました。ぼくがエスコートします」

「ふふ、お願いね」


 先輩が伸ばしてきた手を、ぼくはしっかりと掴んだ。


 先日言った通り、先輩は普通の格好だった。

 いつものように髪はポニーテールだ。分厚いコートに、下はやはり厚そうなロングスカート。そして二人で買ったマフラーを首に巻いている。

 ぼくも忘れずにマフラーをしてきた。

 おそろいのネックレスとマフラー。つないだ手。ぼくたちは間違いなく恋人同士だった。


 二人で善光寺の北側から参道に向かっていく。

 予想通りすさまじい人混みができていた。手をつないでいる人もいっぱいいる。


「さすがに混んでますねー」

「ちょっと……想像より多いかも」


 それからしばらく会話はなかった。

 ぼくらは手を離さないよう歩くことだけに集中した。


 横から回り込んで、本堂の正面に出る。

 お賽銭箱に並ぶ行列はかなり向こうまで延びていた。


 ひたすら進んで最後尾についたが、この感じだと1時間以上は待たないと駄目そうだ。


「待ってる間に年が明けそうですよ」

「それでもいいじゃない。こういう時間も嫌いじゃないわ」


 先輩の言い方が少しそっけなく感じられた。何か困っている?


「先輩、また何か悩みが?」

「どうして?」

「なんだか、声に元気がないような気がして」

「そ、そんなことないわよ」


 しかし、次の言葉が出てこない。

 ゆっくり動いている参拝の列。その中で、ぼくは先輩の言葉を待っていた。


「……なんだろう、すごく満たされていて、逆にうまく表現できないの。もしかしたら私、自分に戸惑っているのかも」

「自分に……?」


「今まで、景国くんに思うように近づけなくて苦しかった。それが今年になって、やっとできるようになったでしょ。そしたら景国くんの方からも距離を詰めてくれて、ここまでの関係になれた。こんなにうまくいっていいのかなって不安になるくらいに」


「ぼくたちは、お互い確かに変われたんです。だから今日だってこうしてお参りに来られたわけで」

「そうだよね。心配する必要なんて何もないのに」

「でも、信じられない気持ちはわかるんです。去年の自分は、ここまで来られるなんて想像もしてなかったですよ。来年はちょっとだけでも話せたらいいなとか、そのくらいしか考えられませんでした」

「それ、私も同じ。来年こそって思いながら、心のどこかで無理なのかもって思ってた」


 ぼくと先輩は顔を見つめあって、笑った。


「やっぱり似たもの同士なのね、私たち」

「二人でおんなじこと考えて足踏みしてたんですね。なんか間抜けな……」

「あ、言ったな。私は自分から行動したもの。間抜けじゃないわ」

「それを言ったらぼくだって――こ、告白しましたし」


 睨み合って、また笑う。


「お互いにやるべきことはやってきたのよ。来年も、こういう関係を続けていけたらいいわね」

「はい。悩み事はちゃんと打ち明けてくださいね?」

「善処する」

「断言してくださいよ」

「がんばる」

「……まあ、許しましょう」

「ふふっ、ありがとう」


 他愛もない会話をしているうちに、ようやく順番が回ってきた。


 賽銭箱の前に並んで立つ。


 ぼくは思い切って500円玉を投げ入れた。

 こんなにたくさんの幸せをもらえた一年だったんだ。締めにこれくらいやってもいいよね。


 月海先輩のお賽銭も見えた。500円玉だった。


「同じだったわね」

「打ち合わせてもいないのに重なるの、来年につながりそうでいいですね」

「……ええ」


 先輩が微笑んだ。


 ぼくたちは手を合わせる。


 今年一年、ありがとうございました。来年はもっと素晴らしい時間を過ごせるように努力していきます――。


 お参りでは、お願いするよりも目標を伝えることが大切。

 だから、来年に向けての抱負を、ぼくは心の中でつぶやいた。


 二人で本堂から離れたところで、鐘が鳴った。


 ――年が明けたんだ。


「ギリギリ間に合ったみたいですね」

「その前に、言うことない?」


 ぼくは月海先輩の正面に立って、頭を下げた。


「光先輩、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

「あけましておめでとう。景国くん、もっともっと素敵な年にしようね」

「もちろん。約束します」

「いい返事ね。それじゃ、屋台で何か食べて、少しその辺を歩こっか」

「今度は先輩にお任せしますね!」

「任されたわ。――手を貸して」


 ぼくは先輩の手を掴んだ。

 硬くて冷たい手に、ぼくの手の熱が移っていく。


 先輩に手を引かれ、参道を歩いた。


 一年が始まる。

 きっと、去年よりも充実した時間が過ごせる。そう確信している。


 でも、その前に。


 ぼくは先輩の横顔をそっと見た。美しい細目を見つめて、心の中で言う。


 ――素晴らしい一年をありがとうございました、月海先輩。

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