今日はコーヒーの苦さがほしい

「おはよう戸森君。こうしてキミに声をかけるのが日課になってしまったよ」

「選挙活動をしてもらえますか?」


 その日の朝も、ぼくは名張さんに絡まれた。


「ねえ名張さん」

「おお、貴女は月海先輩ではありませんか」

「クラスのみんなが推してくれたわけだから、嫌だったとしても形だけは見せておいた方がいいんじゃないかしら?」

「見せておりますとも。ですので今ここに立っているわけです」


 月海先輩がため息をついた。どうにもならないという感じだ。


「まあ、明日で終わるものね」

「はい!」

「なんて嬉しそうな顔……」


 明日はいよいよ演説会。そのあとに投票が待っている。


 勝負の時なのだが、相手方に気合いがないのでぼくとしてもあまり盛り上がらない。


「おっす、月海さんに戸森君」


 川崎先輩が登校してきた。


「おはよう、川崎君」

「朝から厄介な相手に絡まれてるね」


 月海先輩が苦笑した。

 川崎先輩がその横を歩いていくと、新村さんがひょこっと出てきた。


「よろしくお願いします……」

「はいよー、がんばれよー」


 川崎先輩、ポスターをもらいすぎて完全に慣れている……。


「そういえば陽原ひのはらさんは?」

てるはいたりいなかったりだな。クラス委員長だから黒板を綺麗にしたり軽く掃除をしたりしているようだ」

「クラス委員長ってそこまでやるものだっけ」

「輝は変わり者だからね。そこが彼女のいいところとも言えるのだが」


 名張さんも人のことは言えないと思うぞ。


「ま、明日はよろしくね。心配はいらない、原稿はしっかり読み上げるさ」

「うん……」


 気合い入れるところはそこじゃないような……。


 いちいちツッコミを入れていたらキリがない。ぼくは月海先輩をうながして教室に向かった。


     †     †


「ううっ、寒くなりましたね」

「まったくよね。また違う場所を探さなきゃ……」


 ぼくたちはぼやきながら、屋上でお弁当を食べていた。


 11月も中旬。

 吐く息が白くなるのも当たり前になった。山間部はもういつ雪が降ってもおかしくない。


「そろそろ本格的な冬支度をしないとね。マフラーと手袋、あと上着も出しておこうかな」

「そういえば月海先輩、去年もけっこう重武装してましたよね」

「寒いの苦手だから。……見てたの?」

「すみません、いつも探してました」

「出た、正直景国くん。私を見てどう思った? 見た目より機能性を取りたいから、冬はあんまりおしゃれとか意識しないのよね」

「確かに、コートもゴツゴツしたやつでしたね。ぼくはどんな月海先輩でも好きですけど」

「それって思考停止じゃない? もっと上着もおしゃれにしてほしいとかないの? 彼氏の好みに合わせる努力、してみたいんだけど」

「……正直に言ってもいいですか?」

「どうぞ」

「上がゴツゴツなのにスカート丈はずっと変わらないので、そこがいいなって思ったんです。できれば今年もそのスタイルでいってほしいかな……とか」

「またマニアックなことを……」


 月海先輩が呆れたように言った。


「まあ、景国くんのお望みとあらばね」

「ありがとうございます。でも、寒かったら無理しないでくださいね」

「わかってるわ。それに寒い時はこうすればいいものね」

「わっ!?」


 いきなり抱きつかれて、声をあげてしまった。


「せ、先輩……なんだか気軽にやるようになりましたね……」

「いや?」

「そんなことないです。というか嬉しいです」

「よかった」


 ぼくたちはしばらく体を寄せ合っていた。


 ……が、とにかく風が寒い。人肌のぬくもりだけでは、残念ながら厳しかった。


「景国くん……何かあったかい飲み物を買いにいかない?」

「そうしましょう……」


 お昼ご飯を食べ終えたぼくらは、一階に下りて渡り廊下の自販機に向かった。


「景国くん、このランダムを買ってみようかと思うんだけど」


 ?マークのついた商品。売っている中のどれかが出てくるやつだ。


「いいですよ。代金は半分ずつで」

「私の飲めないものが出るかもしれないから、買ってから決めましょ」

「そうやって払い逃げするつもりじゃないですよね」

「大丈夫。私を信じて」


 冷静に考えると払う側のセリフじゃないよなあ。


 月海先輩が硬貨を投入した。ホットのランダム商品を押す。


 がこん、と出てきたのは、大きめの微糖コーヒーだった。


「あ……」

「うっ……」


 お互い、微妙な反応になった。


 月海先輩はブラックコーヒーしか飲まない。一方ぼくは微糖好きだが、小さな缶で満足する人間だ。こんなに飲むとお腹がゴロゴロする……。


「景国くん、飲む?」

「全部は無理ですよ」

「残ったら私がもらうわ。さあどうぞ」


 ぼくは受け取ってキャップを外した。

 飲んでいる間、先輩がじっとこっちを見ていた。


「あの、見られてると気になるんですが」

「景国くんの喉仏が小さく動いてるの、なんだかかわいくて」

「先輩もけっこうマニアックなとこありますよね……」


 もう二口ほど飲むと、さすがにお腹にたまってきた。


「ふう……もう入らないかな」

「飲む方も少ないのね」

「胃袋が小さいんです、きっと」

「じゃあ貸して」


 コーヒーを渡すと、先輩が口をつけた。


 ……間接キスだ。


 直接もしたけれど、まだこういうことでもドキドキする。


「うう……」


 先輩が苦そうな顔をした。


「やっぱり甘い……」

「無理ならぼくがあとで飲みます。冷めても平気なので」

「いえ、せっかくだから」


 先輩が一気にコーヒーを飲み干した。その飲み方はあまりよくない気がする。


「はあ。微糖でも甘すぎるくらいだわ」

「ブラック買いましょうか? 口直しに」

「ううん、気にしないで。それより――」

「あっ」


 トンと体を押され、ぼくは壁際に追い詰められていた。


「お互い甘いコーヒーを飲んだ口で試してみたいなって」

「こ、コーヒーの匂いしかしないと思いますよ?」

「それでもいいわ。ちょっとだけ――」


 先輩の顔が近づいてくる。

 頬が赤いのは寒さのせいか、照れなのか……。


 ぼくは目を閉じた。今日もそっと受け入れるだけ――


「――そういった能力を持つ名張さんであれば、浅川高校をよりよい学校に変えていけると思います。以上の理由から、わたしは名張涼さんを推薦いたしましゅ――あっ、また噛んじゃった……」


 ぼくと先輩は跳ぶように距離を置いた。

 校舎から新村さんが出てきた。原稿用紙を両手に持って、真剣そうな表情で。


「あ、戸森君に月海先輩……」

「や、ややややあ新村さん」

「……慌ててる?」

「べ、べべべ別にそんなことないよ? あ、明日の練習?」

「もしかして聞こえてた?」

「最後の方だけ」

「あぅ、恥ずかしいなぁ……」


 新村さんは原稿用紙で顔を隠した。


「せ、せっかく二人きりの時間だったのに邪魔してごめんなさい。違うところで練習します」


 小走りで新村さんが実習棟の方へ消えていった。


「あ、危なかったですね」

「景国くん、ひどくどもってたけどごまかせたのかしら……」


 まあいいわ、と月海先輩は自販機にお金を入れた。


 あれ、結局買うのか。というか、今の言い方がすごくそっけなく感じられたのは気のせいだろうか。


 先輩が買ったのはブラックコーヒーだった。その場で開けて飲み始める。


「タイミングが悪かったわね。この気持ちはコーヒーの苦みでかき消しておくわ」


 そう言ってごくごくコーヒーを飲む月海先輩に、ぼくは何も言えなかった……。

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