ぼくの目にはあの人だけが映っている

 最初のリハーサルから数日が過ぎた。


 月海先輩はぼくの視線を克服するべく鍛練を重ねている。


 かなり慣れてきた、と先輩は言っていた。ぼくもそう思う。毎日見に行っているが、動きが自然になってきた。


 あとはステージに上がった時にどうなるかだ。

 先輩によると、ぼくに見られている状態は二種類あるらしい。月海先輩からもぼくが見えている場合と、見えない場合。後者だと、とたんに集中が切れて動揺が起きる。


 まるでぼくは月海先輩にとってのやばい薬だ。――という冗談はともかく、本番では先輩が見つけやすい位置を確保しておく必要がありそうだ。


     †     †


「今日は鍛練をお休みにするそうですよ」


 放課後。教室で帰り支度をしていると、柴坂さんに言われた。


「休息を取ることも鍛練の大切な要素だと先生はおっしゃっていました」

「そうかもね」


 単に体を追い込むだけでは成長につながらない。ベストなコンディションで鍛練を行わなければ身につかない。スポーツでも言われることだ。


「そういうわけですので、また次の機会によろしくお願いいたします」

「わかった。柴坂さん、ゆっくり休んでね」

「ありがとうございます。では」


 柴坂さんが軽く頭を下げて教室を出ていった。


「戸森君、地味にモテモテだよね」

「……黒田君、気配殺して背後から話しかけてくるのやめて?」

「月海先輩という最高の彼女がいながら、柴坂さんというクラス一の美人とも仲がいい。許せない案件だよ」

「最初に声かけてきたのは柴坂さんの方なんだけど……」


 いやいや、と山浦君も話に入ってきた。


「だからさぁ、そうやって何もしてないのに女子が近づいてくんのが許せな……うらやましいって話なんだよ」

「いま言い直したけどどっちも本音でしょ」

「わりぃか?」

「開き直るなっ!」


 でーもさー、とさらに割り込んでくる声があった。


 机の上に座っているのはサッカー部の矢崎君だった。

 クラスマッチのソフトボールで山浦君にピッチャーを押しつけられてボコボコにされてしまった人物。いつもスプレーで髪の毛の束感をがっつり出している。


「戸森君、確か夏目先輩とも仲よかったっしょ」

「夏目先輩は月海先輩の友達だから自然に……」

「うっわ、マジうらやましいわ。おれも女の子の方から近寄ってきてもらいてー」


 みんなよほど彼女がほしいと見える……。


「つーか戸森君的には月海先輩以外ありえないわけ?」

「そうだね。ずっと好きだったから」

「のろけか」


 黒田君がぼやく。


「おれは同級生か後輩がいいなー。黒田君どう?」

「まあ、同い年が一番かな」

「山浦は?」

「俺は料理さえ上手ければ気にしない」


 男子三人がわいわい語り始める。どうでもいいけど、黒田君ってわりとどんなタイプの相手でも適応して会話できるよな……。


「うちのクラスならダントツで柴坂さんだよね」

「俺は池原さんもいいと思うぜ」

「おれは守屋もりやさんのあざとい感じが逆に好きだわー」

「…………」


 ……ぼくは自覚した。


 自分があまり同学年の女子を見ていなかったこと。


 とにかく月海先輩のことばかりが頭を占めていたから、気にしている余裕がなかった。


 ぼくの中で、月海先輩がどれほど大きな存在なのか。会話に入れないせいであらためて思い知らされた。


「でも、どーせみんな彼氏いるんだろーな」

「やめろ……悲しくなるからやめろ……」

「お、俺は絶対ほしいってわけじゃないから」


 ギラリ、と三人の視線がぼくに向かってきた。


「な、なに?」

「戸森、お前ら別れたら絶対に許さねえからな」


 山浦君がぼくを指さして言った。


「急にどうしたの?」

「俺らが苦しんでる横で幸せ掴んでんだぞ。そいつまで転がり落ちてきたら夢も希望もないじゃねえか」


 すごい押しつけ理論だが……。


「みんなのためにも幸せになるよ」


 そう答えておいた。


     †     †


 校舎を出ると、すぐに月海先輩の姿が見えた。今日は黒のカーディガンを着ている。ポニーテールはピンクのゴムでまとめていた。


「お待たせしました」

「待ってないから大丈夫」


 ぼくたちは校門前で合流すると歩き始めた。


「今日、気づいたことがあるんです」

「どんな?」

「ぼくってクラスの女子のこと、全然知らないんだなって」


 さっき教室で交わされた会話について話してみる。


「うちの学校はクラス替えないでしょ。これだけ一緒に過ごせば印象に残るものじゃないの?」

「そうでもなかったんです。ぼく、月海先輩ばかり追いかけていたので」


 ……ストーカーみたいな言い方になってしまった。


「あの、あとをつけてたとかそういう意味じゃないですよ。背中を追いかけて、みたいなつもりで……」

「そんなに慌てなくていいのに」


 月海先輩がくすくす笑った。


「わかってるよ。景国くんがずっと私を好きでいてくれたこと」

「わっ」


 先輩がぼくの肩に腕を回してきた。


「そこまで想っていてもらえたなんて嬉しいな。私の一方通行じゃなくてよかった」

「あの、先輩……」

「こういうことされるの嫌?」

「そうじゃないですけど……」


 背中に胸が当たっていて、心臓がドキドキいってるんです……。


「ねえ」


 そんなぼくの耳元で先輩が言う。


「そのまま変わらないでほしいな。これからもずっと、私だけをちゃんと見ていて。私も景国くんだけを見つめてる」

「……はい。約束します」

「破らないでね」

「もちろん」


 先輩が離れた。


「それじゃ景国くん、今夜はカレーにするからそのつもりで」

「えっ」

「どうしたの?」

「作ってくれるんですか?」

「あ、まだ言ってなかったっけ」


 月海先輩が携帯の画面を見せてくれる。そこにはぼくの母さんとのやりとりが連なっていた。


「今夜、景国くんのおうちに泊まらせてもらおうかと思って」

「…………」


 ……はい?

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