今日の先輩はさみしがり屋さん

「くぅん」

「知ってた……わかってた……」

「落ち込まないでください月海先輩……」


 土曜日の夕方。

 ぼくと月海先輩は茶々丸の散歩に出かけた。が、茶々丸はずっとぼくにくっついて歩こうとする。それを見て先輩がまたダメージを受けていた。


「ま、まあいいわ。少し上の方まで歩きましょ」

「わかりました」


 ぼくたちは広い道に出て、浅川ループラインの方向へ進む。

 ループラインは飯綱いいづな戸隠とがくし方面へ上がっていくのに都合がいい、比較的広い道だ。かつて長野で冬季オリンピックが開催された時も移動路の一つとして重宝されたとか。


 茶々丸はとことこ足を動かして進んでいく。おなじみ長袖シャツとスキニースタイルの先輩は、茶々丸の背中を見つめて歩いていた。


 ――昨日と同じ顔だ。


 何かに悩んでいるような、冴えない表情。

 その理由を訊いてみたいが、どう切り出すかが難しい。上手いタイミングが見つかればいいんだけど。


 車通りの多い道を外れ、ループラインの方へ入った。車の数が減って少し静かになる。


「ねえ景国くん」

「なんでしょう」

「これからも、こうやって歩いてくれる?」

「どうしたんですか、急に」


 月海先輩は後ろ手を組んで、空を見上げた。


「あとちょっとで、一緒の登校もできなくなっちゃうのよ」

「先輩……」


 言われてみれば、もう秋だ。

 3年生は就職や進学を決め、冬休み明けにはほとんど学校に来なくなる。


 ……これが当たり前だと思ってたけど……。


 月海先輩が卒業したら、また一人の登校に戻るんだ。

 9月のからっとした空気もあいまって、なんだかさみしくなる。


「先輩は進路どうするんですか」

「たぶん、信濃しなの大学に行くと思う。教育学部」

「近いじゃないですか。家から通うんですよね?」

「そのつもり」

「だったら、いつでも会えますよ」

「けど、同じようにはいかない」


 先輩はそれきり黙った。

 ずっとそのことを気にしていたのだろうか。

 もしかして、先輩の様子がおかしかった原因はこれ……?


 ぼくらは黙々と歩いて、道路の左側にある停車スペースでいったん立ち止まった。


 下を浅川が流れている。

 二人で手すりに寄りかかった。足元に茶々丸が座り込む。


「先輩が昨日上の空だったのは、それを気にしてたからだったんですか?」

「そうなるのかな……。木曜日に先生と進路のお話をしたら、景国くんと学校にいられる時間もあと少しなんだなあって急に思ったの」

「そうだったんですね」

「せっかくのお散歩だったのにごめんね。どうしてかな……あんまり考えない方がいいのに頭から離れていかなくて」

「深く考えてませんでした。ぼくらは同学年じゃないですもんね……」

「だからこそよ。通学路を歩かなくなる分、こうやって一緒に歩ける時間を作れたらいいなって」

「作りましょう。ぼくはいつだって先輩の予定に合わせられますよ」

「景国くん……」


 先輩は唇を引き結んでいる。


 茶々丸が立ち上がった。初めて、自分から月海先輩の足元に行って寄り添った。


「茶々丸?」

「先輩の不安を感じ取ったんですよ、きっと」

「もう、このお節介さんめ」


 月海先輩はしゃがんで茶々丸を撫でてあげた。茶々丸は嫌がる様子もなく、目を細めている。


「ふふっ、ありがとね」


 やっと先輩が笑顔を見せてくれた。


「ちょっと深刻になりすぎてたかな。やっと掴んだ時間なのに、もうそれしかないんだって……」

「今すぐ終わるわけじゃないです。それにぼくはいなくなったりしませんよ」

「そうだよね……。わかってるんだけど……」


 ぼくは、寄りかかるように近づいてきた先輩に抱きしめられていた。シトラスの香りが鼻をくすぐる。吐息が、耳元で聞こえた。


「知らなかったな。自分がこんなにさみしがり屋だったなんて……」

「……空いた時間が長すぎたんです」

「ごめんね。めんどくさい人間で」

「先輩は嫌がるかもしれませんけど、ぼくはそういうところも好きです」

「……正直者め」


 月海先輩は離れようとしない。

 震える吐息を聞いているうちに、ぼくもだんだんさみしくなってきた。


 この先ずっと一緒にいられたとしても、高校生の時間はもうやってこない。だからこそ終わるのが怖いんだ。


 ぼくは月海先輩の背中に腕を回した。少しだけ、自分の方に抱き寄せる。ドキドキよりも、先輩の体温にホッとさせられる……。


「どうしよう、泣いちゃうかも」

「受け止めます」

「だ、駄目。景国くんの前で情けないところは見せたくないの」


 先輩の力が弱まるのを感じた。

 ぼくも合わせるように腕をほどく。


 離れた先輩の頬は赤くなっていた。恥ずかしいわけじゃない。きっと本当に、泣きそうになったのをこらえていたんだろう。


「月海先輩」


 ぼくは手を差し出した。


「帰りは、手をつないで行きましょう」


 先輩は上を向いて息を吐き出したあと、うなずいた。


「そうね」


 茶々丸がタイミングを見つけたとばかりに立ち上がった。


「茶々丸、帰ろうか」

「わんっ」

「さあ先輩」

「うん、行こう」


 ぼくは左手に月海先輩の手を、右手に茶々丸のリードを持って歩き始めた。


「この道、これからも散歩コースにしない?」

「いいですね。川の音を聞きながらぼーっとしていたいです」

「決まり。また来ようね」

「はい。茶々丸には悪いですけど、今度は二人で」

「……うん」


 街が夕闇に包まれていく。

 涼しげな空気の中、先輩の温度を感じながら、ぼくはゆっくりと散歩道を歩いた。

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