古道デート

 高地なら涼しいかと思ったが、別にそんなことはなかった。


 飯綱いいづな火祭りの日。

 始まるのは夕方からなので、それまでどこかで時間をつぶそうという話になった。


 ぼくと月海先輩は、飯綱よりさらに上にある観光地、戸隠とがくしまで向かった。


 杉に挟まれた参道が有名な、戸隠奥社おくしゃ

 ぼくらはその入り口に立っている。


「暑い……避暑に最適って話じゃなかったんですか?」

「最近はどこも同じみたいね」


 月海先輩はクロップドパンツに半袖シャツ。小さなバッグを持っている。


「奥社まではかなり歩くんですよね」

「そうよ。最後は急勾配だから余力を残しておいてね」

「先輩は何回くらい来たことあるんですか?」

「年に一回はお父さんと必ず来るわ。門下生の人たちも連れてね」


 歴史には詳しくないが由緒ある神社らしい。


 ぼくたちは参道に入った。

 しばらくは平坦な砂利道が続いている。


 随神門という大きな門をくぐると、写真で見たことのある杉並木が延びていた。

 参道の両脇に連なる杉の列。伝奇ものなんかに出てきそうな光景だ。


 静かなら雰囲気もあっただろうけど、参拝客が多くて賑やかすぎるのが残念だった。


「さあ、ここからが本番よ」

「頑張ってついていきます」


 歩き出したが、すぐに離され始めた。先輩が足を止める。


「すみません……」

「景国くん、見事に三歩後ろからついてくるを体現しているわね」

「……」


 物理的に三歩。それ、先輩流のユーモアですか?


「どうする?」

「と、言いますと?」


 月海先輩が右手をゆらゆら動かす。


 手をつなぐのか、と訊かれているのだ。


 最初は人の少ないところからと話した。だが、この参道は参拝客がかなり多い。初めてやるにしてはハードルが高いかも。


 ……でも、みんな風景ばかり見ているな。


 観光地に来て、わざわざカップルなんかを見つめる人もいないか。気にしすぎるとこの先も神経質になってしまうかもしれない。


 ぼくは左手を伸ばした。


「つ、つないで行きましょう」

「わかった」


 先輩がぼくの左手に、右手を絡めてきた。硬い手の感触にドキドキする。木刀や棒を使っているから、柔らかさがなくなったと先輩は残念そうに言っていた。


 ぼくはそんなこと、気にならないけどね。

 先輩の手を取って歩いている。それ自体がとても幸せなことなんだから。


 参道の脇に寄って歩く。

 ぼくらと同じようなカップル、家族連れ、大きなカメラを持った一人旅中らしい人などとすれ違った。こちらを気にする人はいない。思い切ってよかった。


 しかし……。


「その急勾配っていうのはいつ現れるんですか……」

「まだ先ね」


 道が長すぎる……。


 奥社への参拝は体力を使うという話を聞いたが、まったくその通りだった。


「景国くん」

「はい」

「止まって」

「え?」


 周りがざわつき始めた。ぼくも周囲を見渡す。そしてあるものを見つけた――


「あれって」

「静かに」


 黒いかたまりが、杉の間から参道へ出てきた。

 ツキノワグマだった。

 参拝客がみんな固まっている。中には写真を撮ろうとしている人もいるが……。


「せ、先輩……」

「大丈夫。このまま刺激しなければ立ち去ってくれるはず」


 その場の誰もが、キョロキョロしている熊と向き合っていた。


 ずんぐりしていてかなり大きい。足も太い。前足を振るわれたら、ぼくの体なんか確実に引きちぎられる。


 ――だが、悪い方向には行かなかった。


 熊は正面に顔を向けると、参道を横断して森の中へ消えていった。


 ざわめきが帰ってくる。


「はあー……」

「景国くん、よく叫ばなかったわね」

「先輩が冷静だったおかげです」


 ぼくは近くの人に影響されやすいので、月海先輩の落ち着いた態度には本当に救われた。


「ふ、普通に出てくるんですね……」

「ここ、熊が出たって時々ニュースになってるじゃない」


 知らなかった……。


「でも余計な手出しさえしなければおとなしくどこかに行ってくれるものよ。背中を向けて逃げ出す方が危険っていうのは本当の話」

「もし刺激しちゃったらどうするんですか?」

「荷物を置いて、冷静に距離を開けていくしかないわね」

「それでも襲いかかってきたら?」

「その時は戦う」

「ええっ!?」

「眉間か鼻の頭を攻撃するのが有効……って、お父さんは言ってたけどね」

「普通の人には難しくないですか……」

「でも、やられないためには相手をやるしかないのよ」


 兵士みたいなことを言っている……。


「さ、もう一息よ。頑張って歩きましょ」

「そうですね」

「景国くん、私の手を思いっきり掴んでいたわね。恐怖をこらえているのが伝わってきたわ」

「……すみません」

「それが普通の反応よ。でもあの瞬間、私は景国くんのためなら熊とでも戦えるって思ったわ」

「やめてください!」

「あ、ツキノワグマも月仲間か。そうなると争うのはちょっと……」

「真剣に考えなくていいですから!」


 ……月海先輩って、本当に色んな意味ですごい人だ。



     †     †


 息を切らしながら最後の急な坂道を上がり、とうとう奥社の社殿に到着した。


 二人で並んで参拝する。


 神社はお願いをする場所ではないという。


 なのでぼくはこう伝えた。


 ――ぼくはこれから、隣にいる大切な人と、もっともっと仲を深めていけるよう努力していきます。どうか見守っていてください。


 そっと横をうかがう。

 月海先輩が目を閉じて、手を合わせている。


 何を伝えているんだろう。

 気になるけれど、お互いに質問しない約束をした。


 ぼくと同じことを思っていてくれたらいいな。そうだったら、とても嬉しい。

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