夏休み

食卓には幸せがいっぱい

 目を開けるといつもの部屋、いつもの天井が見えた。


 ぼんやりと天井を見つめているうちに、昨日の出来事が自然と蘇ってきた。


 ぼくは月海先輩に告白した。

 そして、成功した。


 今日から、ぼくと先輩は恋人関係。


「はあ~……」


 ついにやった。

 夢にまで見た光景が現実のものとなった。


 これが夢ってことはないよな?

 ぼくの願望が全部乗っただけの夢ってことは……。


 そんなの、起きればわかるじゃん。何も恐れることはないんだから、先輩の家に顔を出してみよう。


 というわけでぼくはベッドから出た。


 時計を見たら8時半を回ったところだった。

 もうすでにかなり暑い。蝉の鳴き声がよく聞こえてくる。


 短パンとシャツを着て一階へ下りた。

 カンカンと金属音がした。母さんが野菜炒めを作る時にフライ返しで出す音だ。


「おはよー」


「おはよう、景国くん」


「…………」

「…………」


「……え、ええええええっ!?」


 なんで月海先輩がここに!?

 っていうかなぜ野菜炒めを作っている!?


 しかも先輩は白いTシャツの上にレモン色のエプロンをつけていた。似合いすぎだろう。凛々しさとかわいさと母性が同居している……。


 待ってくれ。

 色々と段階をすっ飛ばしすぎじゃないか?


「あの、頭が追いつかないんですけど」

「最初の言葉がそれ?」

「すみません……でもホントにびっくりしちゃって」

「まあ、本来ならここにいるはずない人間だものね。簡単に言うと、夏休みの間、私が景国くんの朝ごはんを作ることになったの」

「すると、母さんは?」

「もう帰ってきてお休み中よ。すでに交渉済み」

「な、なんでまた……」


 先輩はフライパンに視線を戻し、野菜炒めを完成させた。


「まずは座って」


 言われるままにテーブルについた。

 先輩が冷蔵庫を開けてベーコンを取り出す。慣れた手さばきでそっちにも火を通した。

 すかさず釜を開けると、食器置き場からぼくの茶碗を取ってご飯を盛ってくれる。


 ……すごく嬉しいんだけど、なぜぼくの茶碗がどれだか知ってるの?


「はい、どうぞ」


 ぼくの前にご飯と野菜炒めとほんのり焦がし目を入れたベーコンが並んだ。

 先輩はぼくの正面――いつもなら母さんがいる位置に座った。


「景国くんのお母さんには、私たちがつきあうことになったって伝えたわ。うちのお父さんにはもう気づかれてるから、黙っていてもどのみちわかっちゃうことだし」


 頼清さんには早くも知られたのか。まあ、あの時間に先輩を呼び出したんだから何が起きるかは察しがつくよな……。


「それでね、昨日も言ったけど、私は景国くんの面倒を見るのが大好きなの。だから貴方が迷惑と思わない範囲で色々させてもらってもいいかしら?」

「はい……」


 他に答えようがない。


「でも、大変じゃないですか?」

「なんで? 私、お料理好きだもの。好きな人にご飯を作ってあげられるなんて最高じゃない」


 ストレートをガンガン叩き込まれている感じだ。


「だから、夏休み中の朝ごはんは私に任せて。景国くんの起きる時間に合わせて作るわ」


 そこまで言ってくれるのなら、遠慮し続けるのもよくなさそうだ。


「ぼくはだいたいこの時間に起きるので、いつもこのタイミングに合わせてもらえれば大丈夫です」

「わかった。さあ、どうぞ」

「いただきます」


 先輩の作ってくれた朝食を口に入れる。

 あ、おいしい。

 ベーコンのカリカリ感がたまらない。母さんもこのくらいの焼き加減にするのが上手いけど、月海先輩もまったく引けを取らない。いいね、ご飯が進む。


 野菜炒めも最高だった。

 胡椒がほどよく効いていて絶妙なアクセントになっている。

 おかわりしたいくらいだけど、お腹が強い方じゃないので無理はできない。ちょっと残念。


 顔を上げると、月海先輩が細目をさらに細めてぼくを見ていた。穏やかすぎるほどの微笑み。両手を組んであごを乗せ、少し首をかしげて……。


「先輩……そんなに見られると恥ずかしいです……」

「だって、おいしそうに食べてくれる景国くんがあまりにかわいいから」

「うう、ぼくはもう少しかっこよく――」

「ならないで。お願い」

「……駄目ですか?」

「お願い」


 二度言われた……。


 ぼくは自分の、高校生に見えない童顔をコンプレックスだと思っている。でも月海先輩はそこが好きだと言う。


 難しいよね、人生って。


「景国くんはかわいい路線の方が強みを活かせると思うの。お父さんみたいに髪の毛を伸ばしてポニーテールにするのもアリじゃない?」

「いや、さすがにそれは似合わないと思います」

「そうかなぁ。おそろいにできるのに……」

「…………」


 ちょっと心がグラッときた。

 でもそれは駄目だよ。

 絶対ぼくにポニーテールは合わない。今のミディアムカットでちょうどいいんだ。


「ところで景国くん、今日はどうするの?」

「まだ何も決めてないです」

「そっか。うちは今日、門下生の人たちが集まりそうだから遊びに行けないのよね。せっかく昨日の今日なのに」

「でも、夏休みは始まったばかりですから。焦らずにいきましょう」

「……そうね」


 先輩がクスッと笑った。


「一日目から噛み合わないの、昔の私たちみたい」

「そんなことないです。先輩がこうやって朝ごはんを作りに来てくれたじゃないですか。すごくいいスタートだと思いますよ」

「……そういうところよね」

「え?」

「景国くんはいつもそうやって私を前向きにしようとしてくれる。それがとっても嬉しいの」


 先輩に明るい顔をしていてもらいたい。

 その思いがとっさに言わせるんだ。


「さて、と」


 先輩が立ち上がり、また冷蔵庫を開けた。

 小さな透明の容器を取り出す。


 ――あんなのうちにあったっけ?


「じゃあこれはデザートのヨーグルトね。私のお手製。もちろん、景国くんに合わせて甘くしてあるわ」

「…………」


 ほら、やっぱりこれ最高のスタートだよ。

 この先の毎日が楽しみで仕方ない。


 月海先輩の料理と優しさで、朝から幸せがいっぱいだ。

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