母さんVS月海先輩
「じゃあ、また明日ね」
「はい。おやすみなさい」
ポニーテールで叩いてもらった日の夕方。
先輩と一緒に帰り、家の前で別れた。
家に入ると、台所でゴトゴトと音がした。母さんが何か作っているようだ。
「あ、景国おかえり」
「ただいま。なんか今日は余裕あるね」
ニヤッと母さんが笑った。
「仕事が休みになりました!」
「え、めずらしい」
「まあ、残業しすぎでお役所に睨まれる前に手を打たなきゃっていう上の判断らしいけどね」
「うわあ……」
一瞬、たまには母さんの会社もいいとこあるじゃんって思ってしまった自分を殴りたい。
母さんは火にかけている鍋を見ながらため息をついた。
「それより残業代が増える禁じ手を封じられたのが痛いわぁ」
「禁じ手だから封じられたんじゃないの? というかどんな手?」
「タイムカードってあるじゃん。出勤退勤の時間をスタンプするやつ」
「ドラマで見たことある」
「うちは15分ごとに残業代が増えていくようになってんのよ。で、例えば8時14分とかにタイムカードの機械の前に立つじゃん。そしたら数分待ってから押すわけ」
「せこい!」
「そういう際どい時間のやつはカウントしないようにするんだってー」
ちぇー、と母さんは不満そうだ。
「でも、ただ待ってるだけならやっぱずるいんじゃ……」
「何時間も残業させられてんだからそのくらい大目に見てほしいもんよ。景国もまだまだ社会を知らないね」
なんかイラッとするな。
「で、何やってるの?」
「おやき作ってる」
「おお、久しぶりだね」
長野県民のソウルフード、おやき。
小麦粉で作った生地に好きな具材を包んで蒸せばできあがり。まん丸で見た目もかわいいのが特徴だ。
「具材は?」
「野沢菜と切り干し大根の二種類でございます」
「王道だね」
「あんたは贅沢だもんね~。ピザソースだの鶏そぼろだのファーストフードみたいなの作らせやがって」
「さ、最初にやったのは母さんじゃん。あの味が忘れられないんだよ。……でも、なんか量多くない?」
「うん、これから月海さんとこへ持ってくから」
「え!」
「あんたがいっつも光ちゃんにお昼作ってもらってるから、たまにはお返ししなきゃ」
「そうだよね……」
「ってことであんたも一つくらい作りなさい」
「やったことないんだけど」
「言う通りやればいいよ。まず手を洗います」
「バカにするな!」
ツッコミつつも手は洗った。
「そこの練った生地を適当に千切って」
「このくらい?」
「丸めましょう」
こねこね。
「指で真ん中をへこませながら伸ばして」
「こうかな」
「はい、お皿から野沢菜を取って生地の真ん中に入れましょう」
「よいしょ」
「生地を合わせて包む」
「ほいっ」
「もう一度丸くしようか」
「できた、どう?」
「いいね、やればできるじゃん」
「思ったよりうまくいった……」
母さんはぼくの作ったおやきを鍋に入れた。
着替えて下へ戻ると、母さんは大きなタッパーにおやきを綺麗に並べていた。
普段はおおざっぱだけど、こういう作業はとても細かい人間なのだ。
「よっし、準備完了! 行くよ」
「うん……?」
タッパーを閉める瞬間に見えた。
一個だけ、微妙に形の違うおやきがあった。母さんらしくない。ああいう物にはすごく敏感なはずなんだけど。
† †
「こんばんはー!」
母さんが勢いよく呼びかける。
玄関の扉が滑って、月海先輩が現れた。
「こんばんは、お久しぶりです」
「光ちゃん、いつも景国のこと見てくれてありがとね」
「いえ……こちらこそ」
先輩はネイビーのイージーパンツに白の半袖シャツ姿だった。ちらっとぼくを見て、すぐ母さんに視線を戻す。
「今日は仕事が休みになったので、日頃のお礼ということでおやきを持ってきました。はい、これ」
「こんなに……ありがとうございます」
「そのくらいじゃ返したうちにも入らないかもしれないけど、第二、第三弾も考えてるのでお楽しみに!」
本当にうちの母親は自分のペースを崩さないよな。月海先輩がちょっと押され気味だ。
「あの、もしよかったら晩ご飯ご一緒しませんか?」
「いやぁ、それは悪いよ」
「でもこんなには二人じゃ食べきれません。せっかくですし、上がってください」
「ふーむ」
母さんがくるっとこっちを見た。
「どうする?」
「どうするって……」
――絶対狙ってやっただろ! 月海先輩がこう言い出すように狙って山ほど作っただろ!
「じゃあ、ちょっとだけ……」
まあ乗るんですけどね。
「光ちゃん、そういうことでお願いします」
「ええ、どうぞ」
† †
道場には何度か入ったが、先輩の家に上がるのは小学校以来だ。
長い廊下を進んで左に折れる。少し行って右側に居間があった。うちのより広くてゆったりした空間だ。障子を開けておけば庭とつながるので出入りも簡単。畳の匂いも強すぎない。
古き良きお屋敷という感じで居心地がよさそうだ。
「いやー、おいしいですねぇ」
「そう言ってもらえると嬉しいです~」
母さんと頼清さんが楽しそうに話している。
なぜかぼくと月海先輩が並び、母さんと頼清さんが並んでいる。普通家族同士で並ぶべきでは?
――って、二人ともぼくの気持ちわかってるからな……。
ぼくらが来たことを知って、頼清さんが即座にこの座席を提案してきた。頑張れよ、ということなのだろうか。
横を見ると、月海先輩は静かにおやきを食べていた。
いつものようにグイグイ来る気配はまったくない。
さすがに親の前じゃなあ……。
「ところで光ちゃん」
「はい、なんですか?」
「問題を出します」
「えっ」
唐突にも程がある。
母さんがタッパーを先輩の前に移動させた。
「この中に一個だけ、景国の作ったおやきがあります。それはどれでしょう」
「なっ……!」
ああ、だから作らされたのか!
母さんの狙いはすでに成功している。月海先輩があからさまに動揺しているからだ。
「当てたら景国が一つだけ言うこと聞いてくれるよ」
「ちょっと待てぇ! 聞いてないぞ!」
「言ったじゃん」
「当たり前のように捏造するなっ!」
「へえ、まさかこの機会を逃すと? 覚悟が決まっていませんなあ」
「ぐっ」
今のぼくには痛すぎる言葉だ。
覚悟が決まっていない。その通りだ。告白できていないという意味でだけど。
「あの、景国くんは嫌そうにしてますし、ここは……」
――でもこういう条件を出されて先輩がなんて言うかは気になるな。
「わかった。当たったら先輩の言うことを聞く」
「景国くん!?」
「先輩、ぼくは本気です。当ててください」
「その言葉、信じていいのね」
「はい。なんでも受け止める覚悟です」
「よ、よーし」
先輩がタッパーを見つめた。
すでに一人一つ食べているので、残った16個の中から選ぶことになる。……やっぱこの量を人にあげるのは嫌がらせだよなあ。
先輩が顔を上げ、母さんを見た。
「質問させてください」
「何かな?」
「みんなが食べた中にあった……ということはないですね?」
「ないね。まだこのタッパーの中にある」
「景国くんは手先が器用ですか?」
「なかなかのものだよ」
なんなのこの心理戦。
頼清さんはひたすらニヤニヤしている。ぼくは緊張している。野郎の入っていける隙はなさそうだ。
じっとおやきの列を睨む月海先輩。
そして――
「これです」
真ん中の列にあったおやきを指さした。
さっき気になった、ちょっと歪みのあるやつだった。
ふーっ、と母さんが息を吐き出す。
「――残念!」
「ち、違うんですか?」
「正解はこれでーす」
ぼくのは右下の角にあったやつらしい。
「光ちゃんなら、景国はおやきを作ったことがないってすぐわかるはず。そういう人間が作ったって聞かされたら、他と形の違う物がそれだって考える。どう?」
「……その通り、です」
先輩は悔しそうにうつむく。投了した時の棋士みたいな頭の下げ方だった。
「光ちゃんは鋭いから、よく見ないと気づけない程度に崩したものを混ぜておいたんだ。景国はホントに器用なんだよ?」
「まさか、本気で嵌めてくるなんて……」
まったく同感。
なんでこんなところに全力出してるんだろう、うちの母親は。
「じゃあ、景国のおやきはあたしがいただくね」
「あーっ!」
ひょいっとぼくの作ったおやきを掴む母さん。それに月海先輩が絶望の表情を浮かべる。
「光ちゃん、これほしい?」
「ほしい……です」
「だったら譲りましょう!」
ぱあっと先輩の顔が明るくなる。アメとムチみたいだ。
「いいんですか?」
「いいともー」
「ありがとうございます」
先輩が嬉しそうにおやきを口にした。目を閉じて、よーく味わっている。
まずくないかな。大丈夫かな。
不安になった瞬間、先輩がこっちを見た。
「景国くん、とってもおいしいよ」
不安? そんなものはなかった。
「よかったです」
「よっしゃ、じゃあみんなでガンガン食いますかねえ!」
「頼清さんもどうぞ」
「悪いですね! いただきます!」
母さんから渡されたおやきを頼清さんが豪快に頬張った。噛みながら親指を立てる。「褒められた!」と母さんが楽しそうに反応する。
夫婦かな?
――っていうツッコミは家庭環境的に笑えないからやめておこう……。
† †
「確信したよ」
みんなで20個あったおやきを完食し、月海先輩の家を出たあと。
我が家の玄関で母さんが言った。
「光ちゃん、あんたのこと好きだね」
「…………」
「だってそうでしょ。あんたのおやき一個であれだけ色んな顔するんだもん。あたしにはわかるよ――っていうかバレバレだけど」
やっぱり、誰が見ても印象は同じか。
「母さん……」
「なに?」
「勝負、してもいいかな」
その問いかけに、母さんは笑った。一人でぼくをここまで育ててくれた、強い人の笑顔で。
「そう思ってるなら、やらない手はないでしょ」
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