第102話 お城好きの城崎


 ラーメンの麺は既に完食済みだったが、まだスープは残ったままだった。日頃の俺だったらスープまで完飲するところだが、とてもそこまでできる精神的余裕が無い。


 でもスープは残したとしても、一般人的にはそれが普通だから、怪しまれることは無い。


 俺は箸と蓮華を置いて、立ち上がり、尻ポケットから財布を出し、手早く会計を済ませて店を出た。


 周囲をキョロキョロして、人々が俺のことを見ていないか、確認する。道路を通行している自動車は多いが、徒歩で歩道を歩いている人はそう多くはない。だが、歩いている人々は、それぞれの生活に忙しいのだろう。俺のような何の変哲もない中年アラフォーオッサンのことを特に気に留める人もいないようだ。ロスト・ジェネレーションは存在すら無視される。


 今は、まだ、だ。


 俺は足早に家に向かった。正体は魔族だった彼女が世話してくれた一軒家だ。途中、すれ違う人も多々存在したが、まだ誰も俺をスパイと決めつける人はいなかった。


 まだ身バレしていない。でも、不安は隠せない。俺は顔を伏せるようにして、それでも不自然さで怪しまれない程度に、急ぎ足で自宅へ歩いた。オリンピックの競歩競技のようなヘンな歩き方になっていた。


 最後は100メートル走を全力疾走するかのような勢いで、借りた一軒家に飛び込んだ。バタン、という扉を閉める音とガチャリという施錠の音が確かに俺の右と左の耳に届いて、それでようやく、自分の心臓が破裂しそうにバクバクしていたことに気づいた。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 俺は、床の上に俯せにダイブして、ぶっ倒れた。固い床に顔を伏せて、鼻が押し潰されるのも構わず、荒い息をついた。


 待てよ。この一軒家も、あの女に世話してもらった家だ。あの女の足がついてしまったら、この家もほどなく特定されてしまって、警察の手が伸びてくるんじゃないのか?


 クソったれが! じゃあどうすればいいんだ!


 逃げるにしても、隠れるにしても、行く場所が無いだろう。


 旭川市外に逃亡しようにも、ここは船の上だっていうじゃないか。じゃあ市外に逃げられないじゃん。


 ならば旭川市内でどこかに隠れるしかない。巨大な都市艦というからには、艦の奥まった方に入っていけば、見つかる危険も少なくなるかも……


 ……いや、道に迷って動けなくなるのがオチじゃないかな。お城好きな俺としては、籠城戦に転じるべきか。


 それにしてもなんでだよ、異世界旭川。トラックにひかれて異世界転生って、チート能力を付与されて無双して、美少女ハーレムでモテモテになるんじゃなかったのかよ。お約束と違うじゃないか。ロスジェネにはお約束すら適用されないのかよ。


 ゲップが出た。さっきラーメン食べた分だな。


 食後のデザートに、何か甘い物でも食べたい気分かも。羽二重餅とか食べたい。


 本来、酒好きの俺のマインドじゃないような気もするが、今は追い詰められた心境のため、普段とは違う心の動きなのかも。


 ピンポーン。


 あー、なんか、久々にベーコンとか作ってみたい。俺は酒が好きで、酒を旨く飲むためには、旨いつまみが必要だと思っている。なので、自分で肉を買ってきて、桜のチップを準備して、自分の家の庭で燻して薫製を作ったりする。といっても、ここでは材料を集めるだけでも大変だから、現実的じゃないな。


 ピンポーーン!


 この町だと、水産物の干物が豊富だろうけどな。俺みたいな素人がわざわざ薫製を作る必要性すら無さそう。


 そういや人間は、年を取ったら肉よりも魚の方が好きになる、って聞くよな、毎度。俺はアラフォーまで来たけど、今でも肉は好きだし、魚も好きだ。そりゃ、野菜だって好きだし、そもそも酒も好きだし、炭水化物も好きだけどな。端的に言えば旨いものなら何でも好きだ。よほどのゲテモノ系でない限りは何でも食べることができる。


 ピンポーン!


 なんだ?


 玄関の呼び鈴が鳴っている、のか? さっきからなんかうるさいなと思っていた。漢字で書けば五月の蝿だぞ。別に五月でなくても七月でも八月でも、出てくるならば十一月でも、蝿がブンブンと周りを飛び回っていたら十分ウルサイけどな。


 いや、ふざけている場合じゃねーや。


 誰だ? 俺がここに住んでいることを知っている奴なんて、果たして誰がいる?


 国営放送の受信料の徴収、とか……あるいはピンポンダッシュか。


 でも、ここは異世界旭川だ。あの、元の世界では大不評だった国営放送受信料なんて概念が存在自体するものなのか?


 あるいは新聞取ってください、って勧誘かもしれない。そういうセールス系なら、居留守を使ってしまってもいいかも。電気をつけちゃっているから、部屋の中に居ることはバレているだろうけど、疲れているのは事実なので、電気を消すのを忘れたまま熟睡してしまった、という設定ならアリだろう。


 でも、もし、警察とかだったら……ヘタに居留守とか使うより、捜査に協力して、俺はスパイじゃないという身の潔白を主張した方がいいのかも。……そういう主張が果たして聞き入れてくれるのかは不明だけどな。俺が元居た世界でも、痴漢の冤罪をかけられた人は無実を主張しても全然聞き入れてくれないらしいし。警察は信用できないものだ。



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