第72話 一軒家は敷金礼金の上に立っている

 ん、なんか引っかかるというか。若い女性が慌ただしく出て行った? もしかしてそれって、亀山マネージャーのことなんじゃないのか?


 あれ? あのマネージャーの名前、亀山で合っていたよな? 鶴田じゃないよな?


 もしかして俺、物覚え悪くなっている? トシのせいか?


 いや、覚えている名前が合っているか間違っているかは、正直どうでもいい。元、旭川西魔法学園相撲部に所属していたという、けっこう美人で俺のハーレム要員になりそうな予感もあった、あの女性マネージャーだ。


 その亀山マネージャーさん、突然、招集令状が来て、慌ただしく製麺工場を去って戦争に行ったらしいじゃないか。


 てか、電話で打ち合わせをしている鈴木副工場長は、そのことに気づかないのかな? あんがい灯台もと暗しというか東大モトクラシーというか、大きな製麺工場の副工場長であっても、あまり頭は良くないというか、知恵は働かないらしい。副工場長という立場も、親の七光りとか、そういうのでなったのかもしれない。


「そんな、調度品のデザインとか、どうでもいいです。とりあえず社宅に入居させてもらえれば、それでいいです」


「ああ、申し訳ない。それがダメみたいなんだよね。家賃の給料天引きというのが許可されないみたいで」


「な、なんでですか……」


 ああ、そう来たか。


 俺が社宅を探している、というところへ、都合良く社宅の空きが見つかる。これだけで終わっていたらご都合主義だ。俺が元居た世界では、ご都合主義のヒドい野球漫画があった。……あの漫画も、もうこっちの世界に来てしまったからには続きを読めないのかな。


 あのご都合主義野球漫画のことは置いておいて、俺を待ち受ける現実は渋くて酸っぱくて辛くて、それでいて激辛ラーメンのように旨くはない。ただ単に不味いだけだ。ご都合主義を適用するなら、買った宝くじが一億円当たるとか、そういうのにしてほしかったな。


 まあ、佐賀擬人化アニメライブイベント当選の時点で一生分の運を使い切っているので、残りの俺の人生は消化試合だけどな。


 社宅の空きはある。だけど、給料天引きが認められず入居できない。


 そんなところでバランス取ってきやがって!


 だったらご都合主義野球漫画も、バランスくらい取っておけよって話だ。


「どうして給料天引きがダメなんですか?」


 まさか、俺の一カ月分の給料では払い切れないほどに家賃がバカ高いとか?


 そんなはずあるまい。社宅だぞ。社宅が高くてどうする。


 あ、でも、こういう家賃にも、例のあの900パーセントって、かかってくるのかな?


「40歳前後くらいの、いわゆる氷河期世代の人はね、今まで非正規雇用などで渡り歩いてきたので、仕事が長続きしない傾向がある、って言っているんだよね。だから仕事を長く続けるか分からないので、給料天引きを適用することはできない。社宅に入居したはいいけど、仕事はさっさと辞めてしまって、それでいて社宅から立ち退かずに居座り続ける、みたいな柄の悪い人に引っかかると会社としては困るから」


「し、失礼な……俺、そんな非常識なこと、しませんよ」


「誰だってみんな、最初はそう威勢のいいことを言うんだよね。でも蓋を開けてみると現実にはロクでもない奴だった、というケースが多い、ということで」


 こんなところにまで、アラフォー世代の氷河期は冷遇の材料になっているのか。なんというか、一生の不幸が約束された世代だ。そんな中で佐賀のアニメイベントが当選して個人的な運勢力を使い果たしてしまったのは、先のことを考えたら厳しいかも。貯金ゼロと同等だ。……というか、世代に足を引っ張られるって、どういうことよ?


「だから、とりあえず一カ月分家賃を前払いしてくれれば、入居も可となるようなんだけど。その後は、給料天引きという形で常に一カ月分家賃を前払いする形で」


「まいったな。どうしよう。その、一番最初の一カ月分を払う金が無いから困る」


 それもう、実質的に敷金礼金と同じじゃん。社宅なのに。はいどうぞと払えるだけの潤沢な所持金があるなら最初から苦労しませんわ。自転車操業の、最初のペダルをこぎ出せないのですが。


 世の中全ては金である。先立つものが無いと、何もできない。下げたくない頭も下げなければならない。ブラック企業で現代の奴隷として働かなければならない。


 金がほしい。でも宝くじも当たらないし。……どうせなら佐賀アニメイベントよりも宝くじの方が当たってほしかったかも。お金が一億円あれば、仕事なんかやめて、自費で佐賀に旅行に行けたのに。


 野宿か。


 最悪の選択肢を、考え始めなければならなくなった。


 ここは旭川とはいえ、なぜか妙に蒸し暑い日々が続いている。少なくとも真冬ではない。だから野宿したとしても凍死したり寒くて風邪をひいたりはしないだろう。せめて車があって車中泊ができたら、と思うが、無いモノねだりをしても仕方ない。


 でも野宿なんかしたら、すぐ警察に職務質問されそうだけどな。


 金がほしい。あなたがほしい。アイニーヂュー。


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