第68話 アラフォーオッサン、ツンデレ認定される

 震え声が背中から聞こえてきた。恵水がどんな表情をしているか、想像できない。くどいようだけど背中に負っていて、後ろの恵水の顔は見えないからな。


「恵水よ、見捨てられる見捨てられるって何回も言っているけど、そんなに見捨てられたいのか? それが本心か? 捨てられたくないんだろう?」


 背中で、恵水が大きく頷いた。恵水の額がゴチンと俺の後頭部にぶつかった。いてーじゃねーか。


「いいか、よく聞いてよく覚えておけ。俺が監督に就任したからには、部員が必要かどうかは、俺が決めさせてもらう。自分自身であったとしても、必要無いなんて勝手に決めることは認めない。恵水は必要な部員だ。自分で自分のことを必要無いなんて決めつけることは許さないんだからな!」


「……まだ監督としての実績も示していないクセに、生意気よね」


「ふっ、なんとで言いやがれ。すぐに俺の監督としての実力を示してやるわ。それから、勘違いするなよな。俺は無条件で部員を全員守るわけじゃない。恵水に対しても、憐れみとか同情とかで必要と言っているんじゃないんだ。本当に戦力として必要だから必要だと言っているんだからな」


「……何それ。『勘違いしないでよね』って、アレでしょ。ツンデレっていうやつでしょ」


 恵水のヤツ、カタブツそうに見えて、サブカルチャー用語であるところのツンデレをよく知っていたな。あるいはツンデレという用語があまりにも広汎に普及してきたということなのかな。


「うるせえな。とにかく、無条件で恵水を必要だと言っているわけじゃないことは覚えておけよ。もし恵水が今後練習をサボったり、あるいは真面目に練習していても伸びなくて戦力として役に立たないと監督である俺が判断したら、強制的に退部してもらうからな。それがイヤなら、ちゃんと練習して、その上できちんと結果も出せ」


「そんなの、監督に言われるまでもないわよ。監督が来るよりもずっと以前から、毎日毎日四股踏みをしてクロハとぶつかり稽古をして鍛えて来たんだから」


「ああ、その意気込みでいい」


 いつしか、恵水を背負った俺は相撲部部室のプレハブのすぐ前まで来ていた。


「監督、ここまででいいから、もう降ろして。ちゃんと自分の足で立って、二階堂さんに謝りたい」


「ああ、いい心がけだ。さすが、監督である俺の薫陶を受けただけのことはある」


「昨日来たばっかりの薫陶なんて何も無いでしょ」


 憎まれ口を叩きながらも、佐藤恵水は俺の背中から降りた。足は、保健室で傷口を洗浄した後に市販の消毒薬を塗って、包帯を巻いて包帯固定用のネットの足袋を穿いている。それが土で少し汚れるのも気にしなかった。


 慎重で賢明な俺は同じ間違いは何度も繰り返したりしない。いきなり相撲部部室の戸を開けて入ったりしない。まずはノック。そして声がけ。


「おーい! クロハ! 俺だ。戻って来たぞ。中に入っていいか?」


「えー、稽古が忙しいから、後にしてよ」


 中からクロハの声が飛んできた。監督である俺のことを慕って戻ってくるのを心から待ち望んでいたらしい。


 ……って、いや、違う。後にしてくれとか言われているぞ。超ぞんざいに雑に扱われているじゃないか。


 なんなんだこりゃ。それが監督に対する態度かよ。


 ……でも、稽古に熱が入っているのは悪いことではないな、とは思う。


 稽古中ってことは、着替え中とかではないということだろう。じゃあ開けていいんだな。と俺は拡大解釈し、戸を開ける。


 プレハブの中では、土俵上で、クロハと二階堂ウメが取組中だった。


 二人はがっぷり四つに組んでいる。左四つで、双方が右上手と左下手を取っている。


「もう、監督、稽古中なんだから邪魔しないでよね」


 二階堂選手の胸の谷間に顔を埋めたままの格好で、クロハが言った。


 そのクロハが両まわしを引きつけて前に出る。


 出ようとした。が、相手はビクとも動かない。風林火山の動かざること山のごとし、という具合だった。


 その不動の二階堂選手が左から下手投げを打った。クロハは左足を踏ん張って耐えようとするが、あっさり土俵に転がされた。背中にべったりと土が付着する。


 そういえば、二階堂選手の肌はきれいだ。全く土が付いていない。


 それに対してクロハは、背中にも腹にも土が付いて肌の色が斑な感じになっていた。あれ、腹から落ちる負け方もしたってことか。


 容易に想像ついたことだけど、実力差は圧倒的だったようだ。クロハは恐らく、一回も勝てていない。女神の威厳もへったくれも無いな。


 俺の後から、恵水も部室に入ってきた。


「に、二階堂さん。……さ、さっきは、失礼な態度を取ってしまって、ごめんなさい」


 言葉はちょっと言いごもっていた要素もあったけど、恵水は土俵上の二階堂ウメに対して直角に腰を曲げて頭を下げた。


 下手投げでクロハを転がしたばかりの二階堂ウメ選手は、少し驚いた表情で恵水の方を向いた。


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