第43話 股間をかすめる前みつ取り

 それはそうと、リビングの真ん中にあるテーブルとか諸々の物は壁際に寄せた。最初から壁際の棚や、そこに乗っている観葉植物などは、そのままだ。


「食後の運動ってことで、丁度いいや」


「あまりドタバタ騒音を立てると近所に迷惑だから、あくまでも立ち合いの差し手争いの練習だけ、ってことでお願いね。寄ったり投げを打ったりするのは無しで」


「ああ、いいよ」


 まあどうせ、二人ともまわしは着用していないしな。


「本当は、私も赤良と取り組みやってみたかったのよね。でも恵水ばっかり三番も取って、ずるいなあ」


 佐藤恵水は、必ずしも俺との取り組みを望んで喜んでいたわけではないと思うぞ。


 だが、クロハが俺と相撲を取ってみたいという気持ちも、分からなくはない。


 仮想、二階堂ウメ選手なのだろう。


 実際、大型力士との対戦の時にどう取るか、というのは、実際に身体の大きな力士と対戦して身体で覚えるのが一番だろう。


 だが、現状、旭川西魔法学園の女子相撲部はクロハ・テルメズと佐藤恵水の二名のみ。


 その恵水はクロハよりも若干体格では劣る。


 大型力士との対戦練習という意味では不満しか今までは無かったはずだ。


 俺とクロハは、リビングの中央付近に、ある程度距離をとって向かい合って立った。


 フローリングの上で蹲踞。木の板に手をつく。


「はっけよーい……」


 口に出して言うのはクロハ。ハンデということで、クロハのタイミングで立ち合うことになっている。


「残った!」


 その声と同時に太腿に力を入れて斜め前に伸び上がる。近所迷惑になるので、あまり足をバタバタさせない。現実にすり足が必要なので、その練習にもなる。俺が、じゃなくてクロハが、だけど。


 俺の胸に、ドスンとクロハの頭が突入する。


「うっ」


 小さいけれども、思わず俺の喉からうめき声が漏れてしまった。


 それくらい、クロハの当たりは強い。


 さすが、相撲部だ。


 だが、それもしっかり受け止める。


 当たりと同時に、クロハの左手が、俺の前まわしを狙って下から燕のように伸び上がってくる。


 俺の股間目がけて。


 しゅっ!


 それこそ、何かが焦げるようなきな臭いニオイが一瞬漂ったような気がする。もちろん気のせいだ。それと同時に、俺のヘソの下の丹田あたりに、クロハの左握り拳が当てられる。


 いや、俺のズボンの腰回りをまわしの代わりに掴んだのだ。


「いい当たりだ。クロハ」


 言って俺は力を抜いた。


 クロハも力を抜く。


 立ち合いの差し手だけの練習だ。これ以上はあまり意味が無い。お互いにまわしも締めていないし、寄って壁にぶつかったりしたら棚の鉢が落ちるだろうし、投げなどで床に転がったら騒音と振動でアパートの他の部屋に迷惑になる。


 ここ、異世界ではあるけど、田中アパートだ。築ウン十年のはず。防音などという人権は存在しない。


「いい当たりではある。対戦相手が恵水のような、クロハより小さい力士なら、上体が起きて腰が延びてしまうかもな。だが、相手がクロハよりも大柄な力士だと、今の当たりでは通用しない。俺とか、あの二階堂ウメとかな」


 力は抜いたけど、その体勢のまま、俺は告げる。


「前まわしは取ったでしょ」


「確かにな。でも、前まわしさえ取れば、どんな大型力士にも勝てるのか? そんな甘いもんじゃないだろう。それに、前まわしを取ったって、クロハが有利な体勢になっていないだろう。両上手をガッチリ取られちゃっているんだから」


 そう。


 クロハは俺の前まわしを左で取っている。ついでに言えば右も下手を取っていた。くれぐれも、実際はまわしではなくズボンの腰回りだけどな。仮想まわし、見立てまわし、ですから。


 だが。


 俺は、それに被せるように、両側から抱え込み、クロハの両まわしをガッチリ取っている。両上手だ。


 これは、さっき俺と恵水が対戦した時と同じ格好だ。一番目の取り組みだったはず。


 恵水はこの体勢から、俺に体格差と力で圧倒されて負けた。


 太平洋戦争で大日本帝国が鬼畜米帝に物量差で押し潰されて負けたみたいな図式だと思っていただければいい。


 さっきの俺と恵水の対戦は、俺が監督となるに相応しいかどうかのテストだったから、体格差とか力は禁止、というエクスキューズが付いていたけど、実際の相撲はいわゆる無差別級だ。


 どんなに体格差、体重差があっても、文字通り同じ土俵で戦う。


 学生相撲だったら体重別の選手権なんかもあるかもしれない。


 が、クロハが考えているのはあくまでも最上級である無差別級での勝利であるはず。


 そうでなければ、大柄な二階堂選手を意識する必要なんて無いんだから。


 対戦するからには、体格差、膂力の差を乗り越えて、勝利しなければならない。


 大柄な力士に、両上手を取られてしまえば、小兵力士にはまず勝ち目は無くなる。


 そうならないためには、立ち合いが大事だ。そこで有利な四つになるのだ。


 いくら自分が前まわしを取っても、相手に捕まっては意味が無い。


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