うたかたの夢

第153話 世界は再び動き出す

 六月十九日。

 梅雨入りはしたものの、実感できるほどに雨は降っておらず、今日も今日とて晴天である。


「……苦労して集めたのになあ」

『もはや、紙屑だな』

「……そのままにはできないし、拾っておかないと」


 第八世界境界点の消失から五日。

 第一世界境界点の影響圏内。

 隼人が彼の意識として覚醒したのは、おとといのこと。

 アイスワールドと二体の旧世代機の並ぶ、出入り口の大破した格納庫――居住空間とは言えないそこに設置された仮眠室で、隼人は静かに目を覚ました。


 ”魔神と人間の共生”を掲げるフロプト、その頭領と側仕えが住まう屋敷は、人が住むには不便な様子である。建物の二階部分は大破し、辛うじて使えるのは一階の一部分のみである。

 アスタロトと若桜の襲来で悲劇的に瓦礫化した建造物で、隼人とスレイプニルは後片付けに従事していた。


『……そウ落ち込むな』

「ん」

『なんなら、イオンに直接頼めばイイだろウ?』

「いやあ、それはできないかな」

『何故』

「…………会えないよ。どんな顔して、何を話せばいいか、分かんないんだ」


 隼人はしゃがみこんでゴミ拾いを続ける。

 元は論文であったり、新聞であったり、価値あるものであったが、今はただの紙片である。野ざらしにされている間に、バラバラに飛び散り、文字も劣化し、思い出に保管する価値もない状態だ。

 隼人の部屋だけでなく、この屋敷に住まう全員の私室は二階にあり、美濃や雅の部屋、百合子の使っていた客室、外への出入り口である薫の寝室、すべて全滅である。


「イオンは、記憶螺旋で何を見たんだろう」

『……』

「昔のこと、見たのかな」


 隼人は有り余る時間を、物思いに沈むことに消費していた。

 怪我は意識不明であった三日の内に治癒されており、少年が目覚めた時点で、身体を動かすのに支障のある怪我はひとつもなかった。それでも寝たままであった身体はなまっていて、要リハビリだ、と目覚めた隼人は何よりも先に溜め息を吐いた。


 スレイプニルが回帰する力の源を失った今、自由な移動は制限されている。

 第一世界境界点の影響圏の境にはSSDの包囲網が張られていて、徒歩では気軽に出て行くことはできない。そもそも、命を吸う大森林は歩いて移動する場所ではないが。メルトレイドでならば簡単に外に出られるが、文字通り、できることは圏外に出ることだけ。

 旧機で街中に現れる、など到底できたものではない。

 むやみやたらに動くことのできない隼人が、やらねばならぬことで、できることは多くなかった。そのひとつが、屋敷の残骸の後片付けである。


『本人に聞くとイイ。こウなった以上、知らぬふりをする必要はなイ。違ウか?』

「そりゃあ、そうだけど」

『恐れることはなイよ』


 隼人は地べたに完全に座り込み、自分の膝に顔を埋めた。イオンを想い、昂る心音に唸り声を漏らす。

 ――会いたいか、と問われれば、会いたい。話したいか、と尋ねられれば、話したい。手の届く範囲にいて欲しいし、泣いて欲しくはないし、辛いことからは守ってやりたい。

 隼人から彼女への欲は、尽きることがなかった。

 それでも、十一年間、隼人がイオンと接触を持たなかった理由は、イオンが記憶を忘れたままならば、そのままが彼女の平穏に繋がると判断したからである。


『きっと、イオンも混乱してイる』

「……」

『論文はさてオき、機会を持って話すべきだ』

「……機会があれば、な」


 顔を上げた隼人は緩やかに破顔すると、ごみ山となっている私物を眺めた。

 イオンの中に存在がなかろうと、隼人が彼女を想い続けてきた軌跡。美濃には重苦しいと非難され、雅には少女漫画と冷やかされ、スレイプニルには生温かい目で見守られていた。


『屋敷に行こウ』

「ああ。ゴミ袋も取ってこないと」

『違ウ、日差しが強イ。少し休もウ、また倒れられても困る』

「……俺はお前がいないと生きてけないよ」


 隼人とスレイプニルは並び歩いて、すぐそこの屋根の下を目指した。

 リビングとそこから隣接する談話室とオペレーションルームは、しっかりと形を残していて、休憩する分には問題ない。

 普段通り、テラスから室内に入った隼人は、おもむろにオペレーションルームの扉に近寄ると、手のひらを触れさせた。隼人自身が機器を扱うことはなく、この部屋の中に入ることはほとんどない。


「……雅さん、大丈夫かな」

『まず、自分の身を案じろ。七代目の方が重傷だったろウに』

「俺にはお前がついてるけど、雅さんはそうじゃない。イオンも、未来も、カトラル少尉も」

『七代目』

「ニュースは見たけど、無事な姿を見れたわけじゃない」


 一ノ砥若桜の掃討、アスタロトの撃滅、鍵を導いての第八世界境界点の消失――それらの功績は、すべてカトラルと未来のものとなった。

 連日連夜、報道番組はこの話題一色であるが、肝心の英雄の姿は見ることはできていなかった。

 この朗報に隠すようにして、相島元帥死去のニュースも投げ入れられ、報道は過熱の一途。前哨戦と称された人狩りにフロプトが参戦したことも相まって、あることないことの憶測までもが電波に乗って飛び交っていた。


『少し落ち着け。騒動は終わったのだから、すべてを一気に詰め込むことはなイ』

「……焦ってるように見える?」

『自分が生きてイることを、申し訳なく思ってイるよウに見エる』

「……」

『……少し寝たらどウだ? 談話室になら毛布がアったはずだ』


 隼人は深い溜め息を吐いた後で「そうするよ」と困ったように笑った。

 何よりも少年を苛むのは、自分の身に起きたことよりも、周囲に起きたことである。第八世界境界を巡る戦闘に関わった命のほとんどが、隼人の知る人物ばかりであった。

 心配するな、というのが無理な話である。

 ねつ造と加工の末に、一般へと発信されている情報では、隼人の知りたいことを知ることはできない。


「……あれ」

『どウした?』

「こんなの、あったっけ?」


 少年が談話室に入るのは、屋敷が大破してからは初めてのことである。まず、目を引かれたのは見覚えのない生け花であった。

 手入れをされず、衰弱し始めているが、消えゆく寸前の命の輝きを魅せているようで、元の完成度のおかげか、十分に鑑賞に耐えうる作品であった。

 隼人は生けられた花に手を伸ばす。

 指先が触れた花は、無抵抗に花びらを散らした。


「……これってっ――げっほごほ、うっ――いでぇ」

『七代目! 深呼吸だ。今、水を持ってくる』

「ご、め――ぐふっ、ごほ」


 スレイプニルは蹄を鳴らし、急ぎ足で談話室から出た。

 隼人はその場でうずくまる。

 三日も休息をしていた内臓の機能は、使い方を思い出すようにゆっくりと働いてていた。未だ完全回復に至らず、激しい運動をしなくとも、前触れもなく身体に不具合が生じるのはここ二、三日でよくあることだった。

 込み上げる嘔吐感を押し殺すように口許に手を当て、隼人は冷や汗を流す顔を歪める。青白い顔で、痛みが通り過ぎるのをじっと待った。

 扉が再び、足音を通したのはすぐのことである。


「ふざけんな、何回目だよ」

「ご、めん」

「こうなるって分かってんだから、歩きまわるな」


 ずい、と目前に差し出されたペットボトルを受け取ると、隼人は乾ききった喉を潤す。喉元まで押し寄せていたものを、強制的に流し戻すように水を飲むと、幾分か気分は落ちついた。

 咳は止まったが、腹部に感じる鈍痛は中々消えず、座り込んだままで荒い呼吸を繰り返す。

 そんな少年の目に映るのは、紺色のスーツ。


「――あれ? 美濃君、帰ってたの?」


 顔だけを持ち上げた隼人の目に映ったのは、不機嫌に腕組みをする青年の姿であった。

 隼人の疑問に『つイさっきに戻ったらしイ』と返答したのは、美濃の背から出てきたスレイプニルである。魔神は障害物を通り越すと、隼人の傍に跪く。


「そうなんだ。おかえり」

「ああ」


 へら、と笑う隼人は、しばらく美濃を見て、きょろきょろと周囲を窺った。探している姿が見えることはなく、隼人はこてんと首を倒す。


「……オーディンは?」

『そウだ。主はどウしたのだ。迎エに行ったのだろウ?』


 美濃が怪我人を放置し、外に出ていたのは、イオンとオーディンとの会合のためであった。てっきり、第一世界境界を連れ帰るとばかり思っていた隼人とスレイプニルは、似通った感情の灯る目で美濃に問いかける。

 彼女は何処にいるのか、と。


「戻らない」

「え?」

「オーディンの意識は瞳に残す。けど、力は片鱗もねえから存在としては不完全。力は全部、イオンが連れてる。あっちも意識は零だから、存在としては確立してない」


 端的に言えば、今までと何も変わらないということ。

 話を聞かされる側の一人と一体は、首の角度を更に傾けた。疑問に疑問が重なって、更なる謎と化す。


「どうして?」

「何か文句が?」

「文句っていうか、いざって時はどうするの?」

『そウだ。今回のよウに、境界点を閉ざせるチャンスになったら――』

「電話で呼び出しゃいいだろ」


 対する美濃は、しれっとした表情で、面倒くさそうに言葉を返した。

 手近な壁に寄りかかり、髪をかき上げた青年の顔に、オーディンの瞳を隠す眼帯が見える。制御装置であるそれは、今まで通りの仕事を続けるらしい。


「……イオンは、それでいいって?」

「さあ? あいつの事情なんて知るか」

「美濃君……」

「細かいこと気にしてんじゃねえよ、死に損ない」


 ――決して、細かくはない。

 隼人は目線だけで美濃に訴えかける。が、当の青年はどこ吹く風であった。

 無視するだけでなく「それよりも、だ」と明確に話を断ち切る宣言をすると、美濃は隼人と一緒になって座り込んでいる魔神を見据えた。


「スレイプニル、繋げろ」


 唐突な命令。スレイプニルは不貞腐れた声色を全面に押し出して『何のためだ』と、当然の疑問を投げた。繋げたくとも、今はスレイプニルの回帰できる存在がいない。

 唯一、繋がる先であった薫は既にこの世のものではなく、埋葬済みである。


 美濃は返事をせずに、開けっ放しであった談話室の扉を閉めた。それから、壁の大部分を埋める窓ガラスの前まで歩み、一歩、二歩、と後ずさってスレイプニルのために場所を開ける。

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