第84話 この手を掴んで離さないで

「よし、修復終了。俺の回線が戻れば、君の回線も須磨君が戻すと思います。さっき言ったこと、重々よろしくお願いしますよ?」

「了解しました」


 隼人の肯定を聞き入れ、カトラルは揚々と未来に戦線復帰を伝えると、戦地に降って行った。

 立て直した鮮麗絶唱を待っているのは、雄々しく咆哮を上げる魔神たちの群れ。とはいっても、数は随分と減っていた。隼人も含め、駆けるメルトレイドパイロットたちが優秀であるからだろう。


「……」


 隼人はカトラルの後に続かず、侵略者――アスタロトへと焦点を合わせた。 

 昨日の人狩りでは、遠巻きで傍観していた第八世界境界。

 華奢な身体の赤い竜は、影の中心に立つイオンを狙って牙を剥いている。が、その攻撃は標的に届く前に闇が阻んでいた。そして、闇から湧き出た影が反撃を演じている。


 アスタロトの能力が物理攻撃でなかったことは、不幸中の幸いかと隼人には思えた。

 一進一退。

 イオンを放ってはおけない少年の割り込む余地はない。

 しかし、いつまでも動かぬ的でいれば、隼人が知能を持つ上級魔神の目に止まる。


 カトラルにまとわりついていたのと全く同じ形を持った魚とも蛇ともいえない魔神が二体、隼人の前に泳ぎ出て並んだ。隼人の視界、世界境界同士の衝突へ繋がる道を塞いだ。


「っ!」


 ぐっと歯を食いしばり、魔神との間合いを取る。

 動きを見極めるため、隼人は無意識に視力を高めて、目を見開く。


 コマ送りのように見える景色、波打つ長く細い魔神の身体の隙間を縫い、影の防御の先、真っすぐに手をアスタロトに伸ばすイオンが隼人の視界の端に映る。


「……え?」


 彼女の顔は蒼白であった。

 ただでさえ白い肌を青くし、冷や汗を流している。よく見れば、足元もふらついていて、オーディンの補助でどうにか立ち姿を保っているようだった。

 少しでも強い当たりがくれば、イオンはすぐにも崩れそうである。


「――そう、だ」


 隼人にはイオンの症状に思い当たる節があった。

 戻っていた通信回路へ、作戦司令室で確実に魔神を掃討する作戦を言い渡す未来へと「彼女、高いところ駄目なんだ!」と叫んだ。


『はい?』


 突然の宣言に未来は、呆けた声で応答とは呼べない声を出した。

 境界線を残し、魔神の掃討を上手い運びで勧めていた最中、勝利までの流れが見えかけていたオペレータの士気に、水を差すかのように叫んだ隼人は切羽詰まっていた。


「高所恐怖症!」


 それも、高いところはちょっと苦手、という軽度のものではない。


「このままじゃ――」


 押し負ける。

 結論は音ではなく、現象で現れた。

 アスタロトの爪に切り裂かれた影は、イオンを取り巻きながら、屋上の柵へと突っ込んでいく。落下を防ぐための柵に守られることもなく、抗えぬ恐怖に耐えながら交戦していたイオンの身体は、無情にも宙に飛んだ。


「っイオン!!」

『アクロイド博士ッ!?』


 隼人と未来の声が重なり、イオンの身に危険が生じている事を通信に繋がれている全員が知ることになる。

 スレイプニルの前に立ちふさがる障壁。


 体の長い古代魚のような姿をした魔神は、乾いた鱗の身体をうねらせ、隼人の乗るスレイプニルの四肢に絡んだ。

 イオンに気を取られていた隼人が咄嗟に、避ける、と最速で神経回路へ命令を下すも、一歩遅かった。


「こんな時にっ――!」


 二体の魔神は、隼人から行動の自由を奪う。

 抜け出ようと身体をねじっても、捉えられてしまっている今、回避する動作に意味はない。もがけばもがくほど、締める力は強くなり、機体の外装から軋む音が嫌に響いた。


「ああもう!! 彼女のところに!!」


 イオンの身体は、重力に逆らわずに墜落していく。

 SSDの本棟の壁沿いに、地面に引き寄せられるかのように、真っすぐと落ちていく。イオンは遠くなる空を光の灯らない目で見ていた。


 悲鳴一つ、上がらない。

 オーディンの意志は攻撃行動しかないのか、落ちながらも必死にアスタロトへの攻撃を続けていた。闇色の矢が次々と第八世界境界へと放たれる。

 しかし、遠距離からの攻撃は、見極める時間も相手に与える。一つとして襲撃は成功しない。


「動け!!」


 隼人の鼻から血が伝う。ぽたり、ぽたり、と滴は留まらずに隼人の膝を汚していく。

 見開かれた目も充血を始め、操縦桿を握る手も震え始めた。頭が重くなっていく感覚に、隼人は舌打つ。

 最悪の状況で、隼人に限界の兆しが訪れようとしていた。


 イオンと一番近いのは隼人であり、隼人以外のメルトレイドの位置からでは救出には間に合わない。

 能力解放中の鮮麗絶唱ならあるいは、と未来が『少尉! アクロイド博士が!』と期待をかけたが、当の鮮麗絶唱は、残った魔神すべて、といっても過言でない数からの攻撃を受けていた。生きる壁は幾重にも重なって、カトラルが動くことを許さない。


 他機が外壁からカトラルを取り出そうとしても、考える頭を持ち、破壊する力を持つ魔神は動かぬ壁ではない。追いうちをかけるように、周囲に散っていた少数の魔神が外皮を壊そうとするメルトレイドの背後を取って、強襲をかける。


「脳味噌なんて詰まってなさそうなくせに、やってくれるじゃないですか」


 イオンを守れる可能性は、ことごとく機能しない。

 隼人とカトラル、彼女を救う可能性を孕む二人は、一心不乱に魔神を身から剥がそうと足掻く。


 八方塞どころか、このままでは鮮麗絶唱もC八番機も大破する。終わりの始まりとばかりに、まずはC八番の右腕が肩の関節部分から外れ落ち、へこむ音を立てながらぐしゃぐしゃの金属片に姿を変えた。

 隼人はぐっと歯を食いしばった。

 ――迷う猶予はない、行動あるのみ。


「……っ!」


 隼人は操縦席から立ち上がると、外へと続くハッチをこじ開けた。搭乗口に足をかけ、外界に身を晒す。吹き荒ぶ風の音が、隼人の聴覚を奪った。


『馬鹿っ!!!! 何してんだよ!!』


 隼人の奇行を咎める未来の叫びは、届けたい相手の耳には聞こえない。

 魔神は人に害するために生きている。だからこそ、魔神は何よりも人間に惹かれる。

 二対の魔神は四肢を捉えていた身体を緩め、姿を見せた核を壊そうと、隼人に詰め寄った。弱い人間の身体を潰し切ろうとする魔神たちは、ぱしり、とお互いの尾を打ち鳴らした。

 勝ちを確信した、合図なのかもしれない。


「――残念」


 しかし、確信したのは魔神らだけではなかった。

 隼人は冷たい眼光で、魔神の瞳を見下す。口元は不機嫌にひくついている。


「やれ――、スレイプニル」


 底冷えするような命令は、隼人と同じ身体を共有する魔神にだけ聞こえた。

 パイロットをコックピットから失い、魔神の拘束から解放されたC八番機――スレイプニルが残る機体の左手が一体の魔神の顔を捉える。魔神には首がなく、顔と胴が繋がり、心臓の位置が分かりにくい。


 一撃で殺すために、狙うべきがその頭。

 ぐじゅり、と血液と肉が混ざり合って、不快な音を奏でる。

 飛び出た目玉が飛び、後を継ぐように、血液が花火のように球状に散った。

 もう一体の頭も同じように、変形させる。


『ダメだ間に合わなイ!』

「嫌だ、諦めない!!」


 魔神を狩りはしたが、どんなに急いでも、イオンの元へは間に合わない。

 スレイプニルの見解が正しいと知りながらも、隼人は大きく首を振って現実を拒否した。スレイプニルも隼人と気持ちは同じようで、ぎりりと打開策を思い浮かばない悔しさに歯を鳴らす。

 隼人ははっとして首を捻った。

 スレイプニルの解ける機体が、目に入る。


『七代目、どウす――』


 刹那、隼人の頭に思い浮かんだのは、奇策と呼ぶには無茶で、安全性など皆無の暴挙だった。


「お前の足で追う!! 大丈夫、上手くいく!!」


 隼人はさっと身を翻し、コックピットへ戻るとハッチを閉じて閉鎖空間を作る。言い分を述べる時間も与えずに「頼むぞ!!」とスレイプニルを鼓舞し、すぐさま、ハッチを蹴り開けた。


 瞬間の先、隼人の足は、ガラスを蹴破っていた。

 細かく砕けた破片が、隼人の身体と一緒に建物から飛び出し、地に向かって落ちていく。

 SSD本棟、何階は知れないが、地に近い階層の窓が割れた。


「イオン!!」

「――――っ!?」


 イオンの視界から空が消える。

 見開かれた紺碧の瞳に映るのは、顔を歪める黒髪の少年。必死に手を伸ばされる手は、確実に自分へと近づいていた。


「な、に……ど、して」

「イオン、掴んで!!!!」


 引き寄せられるように、イオンも隼人に向かって手を伸ばす。


「痛っ――!」


 隼人の頬を影の刃が傷受けた。


「駄目! 違うの敵じゃない!」


 イオンの行動と攻撃指示と取ったのか、闇一色の影は標的を急に現れた少年へと鞍替えし、その身を尖らせ、防御する術を持たない身体を突き刺した。

 偽装に着こんだ白服に、少年の血が滲む。

 イオンは思わず、手を引き戻そうとした。


「引っこめんな!!」


 攻撃の手を緩めない影に、皮膚を裂かれようと、太ももを刺し切られようと、隼人は怯まなかった。

 イオンは隼人の目から視線を外せない。


 茶色よりは黒に近しい薄い色の瞳――映っているのは自分で、そこに見える表情は自分でも見たことがないものだった。見慣れないはずなのに、落ち着いた色の虹彩を懐かしいと思う自分もいる。

 イオンは答えを求め、隼人に手を伸ばした。


「イオン!!」


 指先が触れる。

 隼人は指先を引っかけるように動かし、どうにか手を掴み合わせた。それから、手首を捉え、ようやくに手にかかった身体を力一杯、手繰り寄せる。


「……もう大丈夫だよ、イオン」


 隼人はイオンの頭を胸に押し付けるように抱えた。

 お互いの背に回した手は、ほんの隙間も許さないように相手を引き寄せる。

 白服と白衣とが、風に煽られて靡く。二人の身体には空気抵抗と重力とが反する力をかけていて、大きな動きをすることを難しくさせていた。

 地面はすぐそこだ。

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