第61話 世界を壊す乱入者

「きっと、目に余るってこういうことを言うんだよねえ」


 五人の――いや、この場にいる全員の視線が、一斉に声の方向へと惹きつけられた。

 フードで顔を隠している人物が、傍観者たちから突出したところに立っている。深く被られたフードで目元が見えないし、細身の体であるが、声からして男だろう。

 見える口元は綺麗な孤を描いている。


「あぁ? 誰だよオマエ」

「そう思わない?」


 悪態づく男を無視し、フードの男は隼人に向かって同意を求める。 

 隼人はその声に聞き覚えがあった。


「ね? 社会のゴミクズは、死ねばいいよね?」


 口調の柔らかさの意味もなく、酷い言い草で乱入者は死を提案する。

 急遽な参戦に、隼人たちは言葉もなく、男を目で追うしかできなかった。高校生三人と男たちとの間に分け入った青年は、まるで守るかのように隼人たちに背を向ける。


「さて、準備はいーい? あ、言っておくけど、周りで面白がってるキミたちもだからね?」


 フードの男は並ぶ男たちへ、数歩の距離を詰めると、近い方の顔を、見上げるようにして覗きこんだ。


「!」


 思わず、後ずさりした男が連れにぶつかる。


「おい、どうしたんだよ?」

「なんだ、危機感は考えられるんだね。でも、キミたちみたいなのは嫌ぁい」


 がたがたと震える仲間に、疑問を持つよりも、馬鹿にする感情が勝った。

 変なうめき声を上げて、後ずさる足を絡ませて転んだ青年へ「こんな細っこいのにビビったのか?」と上から嘲笑を刺す。


「え、知らないのー?」


 フードの男は、心底驚いたとばかりの物言いだった。

 ゆったりとした話し方をする彼は、跳ねるようにして、二歩下がる。隼人と並ぶ位置に収まった青年は、頭を振ってフードを落とした。

 色の抜けた髪が、日の光を透かす。

 晒された素顔はにこやかな笑顔で、ひらひらと両手をアイドルのごとく振って見せた。


「こんにちは」


 彼を知らない、などと、あり得なった。


「人類の敵、八番の君臨者こと一ノ砥若桜です。よろしくね!」


 左手を腰に、右手はピースサインを作ると、ウインクした右目にその手を添えた。

 短い前髪が揺れ、ペリドットの瞳は愉快を浮かべている。


「さて、一応、今は喪に服してるから、猶予? みたいなのあげるね」


 絵に描いたような、美しい笑みは、ぞくり、と背筋を凍らせるという生理現象を、居合わせる者に強制した。空気も重くなる。


「十数えるから――」


 ペリドットからは、挑発的な殺意が見え隠れする。


「今すぐ若桜の視界から消えて」


 蜘蛛の子を散らすとは、このことなのだろう。


「いーち、にぃー」


 誰も彼もが、一目散にこの場から逃げる選択をする。

 カウントが五になる頃には、若桜を含めて六人しかいなくなっていた。


「離せよっ!」

「ばっ、置いてくな!! 立てねっ――んだ!!」

「ななー、はぁち」


 無残にも、足にすがる連れを蹴り外して、隼人たちに絡んできた男の内の一人は、全速力で走り去って行った。

 残された男は、奇声を発して若桜を拒否する。


「はい、じゅう!」

「くそっ、来るな!! ああああ、俺が、あ! 来るなッ!!」

「来るな、って近寄ってないよ? 馬鹿なの?」


 凪いだ殺気に当てられた男は、息苦しさにもがき、喉を掻く。とうとう意識を失い、勝手に自滅した男へ「あはは、超恥ずかしいな!! 一ノ砥さんだったら生きてけないよ」と若桜は笑い倒した。

 被害者でしかない高校生たちも、本音は逃げ去りたかった。

 しかし、手首を握られると言う緩い拘束をされた少年は、その枷を振りほどけなかった。捕らわれた友人を置いて、浩介と紗耶香も動けるわけがない。

 隼人が戸惑う視線で世界境界線を見上げると、目を糸のようにして微笑み返される。


「フロプトの集会って言うから来てみたものの、ぜーんぜん面白くなかった。でも――」


 拘束していた手が解かれる。

 それでも、隼人は逃げ出したりも、臆したりもしなかった。ここにいるはずのない青年との遭遇を、純粋に疑問に思っている。

 恐れを知らない少年に、若桜は幸せそうに顔を歪めた。


「キミがいた」


 ペリドットの瞳は作り物のようで、人体に組み込まれている一部とは思えない。

 にこにこと微笑む若桜に、隼人は丁寧に頭を下げた。


「……助けてくださって、ありがとうございました」

「お礼なんていいよ、ほんと!」


 気にしないで、と慌てて両手を振る青年は、他人行儀に礼を述べる少年の行動を止めさせようとする。

 浩介と紗耶香は、完全に踏み入るタイミングを見失っていた。

 二人の胸中は、はらはらと気が気ではない。下手な行動に出て、若桜の気に障ることがあればいけない、と口も開けず、何もできずの状態だ。


「若桜に支配されるべき人間の痴態は、若桜がなんとかしなきゃ。当然、でしょ?」


 フォローのつもりなのか、遠回しの威圧なのか。


「そんなことは、ないと思いますけど」


 世界境界の発言を否定する隼人に、浩介と紗耶香がぴしりと固まる。

 しかし、当の若桜は「そう? でも、ほら、キミの敵は一ノ砥の敵、ね?」と気にもしていない。


「よく分からないんですけど」

「あはは、酷いなァ。若桜くん悲しー!」


 人の良さそうな笑みを絶やさずに、隼人の肩をぱしぱしと叩く若桜からは、悪意を感じられない。

 隼人は境界線を前にして、信じられないくらいに危機感を感じなかった。彼の身体の中、スレイプニルも警戒は解かないが、裏のない友好的な若桜の態度に戸惑っていた。


「……じゃあ、若桜はそろそろ帰るよ」

「桃々桜園にですか?」

「ううん。三日もおやすみあるから、小旅行するつもり」


 世間話。

 世界境界線と対等のようにする隼人へ、浩介たちの方が緊張で死にそうである。


「じゃあね。そっちのお友達たちも、気をつけて帰りなよー?」


 急に話題に取り入れられた二人は、びっと背筋を伸ばし、大きな声で「はい!」と声を揃えた。

 若桜は胸の高さに手を上げ、小さく振って見せる。伸びきらない指、力の入っていない動作。


「ばいばーい。ヒナくん」


 きらり、と明るい緑色が麗しく光る。


「っ!」


 瞬間、隼人の脳裏に火花が散った。

 ばちり、と弾ける音が耳の奥で鳴り響く。どくどくと、血液の流れる音が追随して聴覚を支配する。揺れる視界の先、小さくなっていく若桜の後姿が歪んでいった。


「今の、本物? まじで一ノ砥若桜?」

「ヒナって雛日、よね。なんで名前……、隼人?」


 二人は止まっていた息を吹き返したように、長い深呼吸をしてから、おどおどと発声する。今まで目の前にいた一ノ砥若桜の存在が、夢幻のように思えた。

 ほっとする二人に反して、隼人は身体の指揮権を剥奪される。


「……っ」


 力の入らない身体は、抵抗もなく地に引き寄せられた。


「隼人っ!?」


 狭まっていく光の領域。


「ちょっと隼人!?」

「しっかりしろって、おい!!」


 青い顔の浩介と、心配そうに眉を下げた紗耶香の顔が、歪んだ隼人の視界に見える。

 隼人は瞼を閉じて、再び開く。


『またかよ……』


 瞳に映るのは、よく似た境遇を共有する友人たちではなく、敬愛する二人の姿だった。


『ヒナ! ったく、だから言ってるだろ。ちゃんと休めって!』


 隼人はこの光景を見たことがあった。


『ちょっと気張っちゃっただけよ。ほら、隼人、頑張り屋さんだから。今は休ませてあげましょう?』


 自慢にはならないが、隼人は体力の限界に倒れることが少なくない。

 彼が作戦行動の末に、こうやって意識を失う寸前、二人はよくこんな顔をした。


『聞こえてんだろスレイプニル! お前、いい加減にヒナを言い聞かせろ!!』


 美濃はぶっきらぼうな口調で、説教染みたことを言いながらも、力足らずは自分だと悔しそうに顔を歪めている。


『こらこら、スレイプニルに当たらないの!』


 対して、雅はそんな美濃の心情も、配慮なしに無理をする隼人の行動をも包み込むように微笑んでいた。

 状況が状況であるのに、隼人は笑ってしまう。

 笑声は音にはならず、弱々しい表情変化は殊更に彼を薄幸に見せる。

 少年が低速動作で瞬くと、囲う顔がまた変わっていた。


『無茶してもいいことないのにな』

『無茶、じゃない。私の負担、減らすため』


 無条件に安心できる、大好きで大好きで、仕方のない大事な人たち。


『馬鹿。ったく、いつも言ってんだろうが。心配かけたら、意味ねーんだぞ』


 呆れたように、でも愛おしそうに表情を崩し、頭を撫でるしなやかな手。


『私がダメ、だから。ヒナが、頑張りすぎる』

『んな顔したら、ヒナの頑張りが無駄になんだろうが。笑っとけ』

『……うん。ごめん、ありがと、ヒナ』


 変化の乏しい表情をわずかに緩めて、ぴったりと隣に寄り添う暖かい体温。

 瞬く度に、移り変わる自分の立場。

 涙は静かに頬を伝う。遠のく意識の隅で、隼人は理解した。

 これが第八世界境界の力の片鱗であるのだと。

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