第33話 真偽審議
「っ離しなさい!!!!」
「うぶゥっ」
『七代目ェ!!』
二人の初対面を彷彿とさせる顎への打撃。
今回は掌ではなく、頭突きであったが、確実に隼人の肉体にダメージを与えるものだ。じんじんと痛みを訴える顎を押さえながら、隼人はベッドに沈んだ。
姿こそ見せないが、スレイプニルは絶句している。
「顎、顎痛ぇっ!」
「自業自得よ!」
飛び起きた百合子は、枕に顔を埋めて痛みが過ぎるのを待つ隼人を見下ろす。
心臓の音は簡単には元の速さには戻らないが、くっついていた熱源が離れただけで、幾分か気は楽になったのだろう。
慌てふためくことを辞めた百合子は、眉を吊り上げ、拳を握った。
「信じられないこの変態!」
「信じられないくらい石頭」
隼人は顔だけを横向けにして、暴言を吐き続ける百合子を見上げる。
寝起きで頭が働かないからか、語彙力の格差のせいか。彼には百合子が何を言っているのか、半分程度しか理解できていなかった。
段々と引いた痛みに、のろのろと身体を起こす。
「朝から難しい……」
「はあ!?」
隼人は首筋に手を置き、左右に首を動かす。
尚も続く言葉の攻撃を流していると、いつもはあるものがない違和感に、隼人は慌てて首元をさすった。
肌身離さず身に付けている自作ネックレスが、ない。
「百合子さん、俺のネックレス知らない!?」
「は……? ネックレス?」
急に声を荒げた少年に、毒気を抜かれたように百合子は単語を真似る。
パジャマの中からシーツの上に、場所を移動したチェーンを見つけ、隼人が安堵の息を吐くのもつかの間。チャーム代わりのピアスが行方不明である。
「嘘! どこにやったんだろ!?」
枕を持ち上げたり、布団をひっくり返したり。
先ほどまでののっそりした動きはどこへやったのか、隼人は急ぎ焦って部屋中を引っ掻き回さんばかりだ。
きらり、百合子の足元に光るものを見つけて、隼人は「百合子さん動かないで!」と寝起きの乾いた声を張った。
隼人の視線に誘導され、百合子は足もとの銀色を見つける。
「……ピアス?」
当然の動作であるかのように、彼女がしゃがんでそれを拾い上げた。
刹那――ばち、と百合子の脳裏で火花が散る。
「――百合子さん?」
百合子は悲鳴も上げず、表情も変えず、糸の切れた人形のようにその場に崩れた。
ピアスを拾った矢先、何の前兆もない。
隼人はすぐに百合子の傍へ駆け寄った。声をかけながら、不格好に折れた状態の彼女の身体を仰向けに伸ばしてやる。
「百合子さん!!」
返事はない。
ぐったりとしているが、表情を見る限りでは苦痛もないらしい。
「ちょ、しっかりして! 俺の声聞こえる!?」
隼人が力強く百合子の肩を叩きながら、耳元で大声を出してみても、何の反応も返ってこない。意識を呼び戻そうとしている少年の行為は少しも成果を出せていなかった。
隼人が大声で騒いでいるのが聞こえたのか、ばたばたと廊下を駆けてくる音が部屋に近づいてくる。
「ちょっと、隼人――百合子ちゃん!? どうしたの!?」
白いレースがこれでもかとあしらわれたエプロン。
隼人が大声をあげている、という耳に届いた事実しか把握していなかった雅は、目に入ってきた光景に悲鳴に近い叫びをあげた。
隼人は雅へ、突然に起こった状況をまくしたてて説明する。
決して、静かなやり取りではない。しかし、百合子はそれを煩そうにすることもなかった。
冷や汗をかきながら、おろおろとする隼人。呼吸を確認し、体温と脈を測る雅。そんな二人の様子を百合子は知る由もない。
百合子の意識は、隼人の部屋にはなかった。
彼女は、まず最初に自分の目を疑った。
そして、身に起きた現象に頭を抱えた。
先ほどまでいたはずの屋敷ではないことは、すぐに分かった。
なぜなら、壁に掲げられた紋章が、彼女が身を寄せている組織が敵対しているところのものだったからだ。
隼人の部屋の三倍はあるであろう広い部屋には、窓がない。代わりに、壁際には点滴のついていないガートル台が、異様な数並んでいる。
年季の入った科学実験用のテーブルが等間隔で列を、畳まれた暗幕が山を、黒のマジックで内容物が書かれた段ボールが柱を作っている。
どうやら、今は使われていない実験室は、倉庫の役割になっているようだ。
「……最低」
ものは多いのに、埃っぽさのない部屋で、百合子は髪をかき上げた。
気乗りしない足取りで、百合子は室内を歩いて回る。たまに手を伸ばして物に触れようとしても、物質の存在を彼女の触感は認識しなかった。
床と壁には手足がつく、ものに触れて手が透けることはない。しかし、扉を動かすことはできなかった。ものを持ち上げたり、押したりができない。
狭くはない部屋、閉じ込められたに等しい百合子は実験テーブルに腰掛けると、足組みして思案し始める。
おそらく、ここは魔神掃討機関に関連のある施設。そして、今は使わないものを詰め込まれることが役割。
「早く、薫!」
部屋の外から聞こえた声が、百合子の思考が深くに入ることを制した。
がらがら、と百合子には開けられなかった引き戸が軽快に密室を壊す。
テーブルの上、百合子は身も隠さず、動じず、部屋に入ってきた人影を見た。
まだ義務教育も始まらないような、小さな男の子。
「こっちこっち!」
この場に不自然に居合わせる少女の視線は、元気な少年と壁の紋章とを往復する。
――なぜ、彼がここにいるのだ。
「大人なんだから、早く歩けるだろ!」
「……雛日隼人? どうして? ここはSSDの――」
黒い短髪。色素の薄い瞳。
百合子がついさっき写真立ての中に見た、幼少の頃の隼人がそこにいた。
「そうだよ。薫忙しいんだから、早く歩いて」
抑揚のない声。一緒に写っていた、碧眼の少女も隣にいる。
写真と違うのは、二人の着ている服装だ。真っ白な検査着、まるで彼らが病人かのような印象を受ける。
それから、二人の子供に遅れて、一人の大人が後に続く。
部屋に入ってきた三人は、百合子の存在など気にも留めずにしている。まるで見えていないかのようだ。
「薫ぅ、はーやーく!」
「分かったから、服を引っ張るな! ボタンがとれる!」
急かしたてる隼人と、無言のままでも同じように早く来てほしいと思っているのだろう少女。二人がそれぞれに左右の手をとり、間に立つ一人の人間を引っ張っている。
百合子は薫、と呼ばれた人を認識した。
高潔で、涼しげな瞳。
両手の子供らに、随分と角を削られているが、冷然とした雰囲気は消し切れていない。雰囲気が鋭く見えるのは、目つきが良いとは言えないことも理由かもしれない。
しかし、見えるのは右目だけだ。左側は眼帯に覆われている。
眼帯の女性は前屈みで、歩きにくそうにしていた。女性にしてみれば高身長であり、子供たちに手を引かれると動きにくいのだろう。
「お前ら、またこの部屋勝手に使ってんのかよ」
服は白。隼人たちと同じ検査着でもなければ、この部屋にいておかしくない白衣でもない。
「いいじゃんかよ。どうせ使ってないんだし」
「薫だってここでサボってるくせに」
薫は困ったように笑っているが、彼らを迷惑だとは思っていないのだろうことは、崩れた表情を見れば明らかだ。
隼人と少女は部屋の真ん中、百合子の目の前で止まると、薫に向きあうように足を止めた。それから、百合子の座るテーブルの下の戸を開くと、二人の手から薫へと何かを差し出す。
「じゃじゃあん」
「二人で作った」
「すげーんだよ。こいつ、漢字が書けんの」
紙で作られた勲章――と言うには、どうにも安っぽく、手作り感が満載で、どう贔屓目に見ても、切り貼りして作られた紙のメダル。
紙も工作用のものではなく、不必要になったものかどうかは分からないが、文章の並ぶ書類だ。
それしかなかったのだろう。黒のボールペンで、昇進おめでとう、と黒々とした文字が書かれている。
「おめでと、薫」と感情の起伏が薄い少女の、精一杯の笑顔。
「おめでとう!」と自分の喜びのように幸せそうな少年の、全開の笑顔。
二人の身長に合わせて屈んだ薫は、きつめの目じりをだらしなく緩めて、歯を見せて笑った。
「ありがとうな」
凛とした表情から近寄りがたさが抜ける。
薫は二人の子供たちを抱えるように引き寄せると、ぐりぐりと柔らかな頬に頬ずりをした。
「大好きだよ、薫!」
「私も、薫、好き」
子供らも短い腕をめいいっぱいに伸ばして、薫の首にしがみつく。
「ヒナ、イオン。私も二人が大好きだよ」
「え」
薫の口から出た名前に、傍観を決め込んでいた百合子が声を漏らす。
唐突にうるさく脈打ち出した心臓は、先ほどにベッドに引きずり込まれた時とは、違う感情で激しく鼓動している。
ここがどこか、正確な場所は分からないが、過去なのは百合子にも分かっている。
「どうなって、るの」
きらり、と揺れた薫の両耳に光るピアスに見覚えがありすぎて、百合子は目眩がした。
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