第22話 気高い心では腹は膨れない

「それで、ここまで来たってか。やけに突飛だな」


 美濃は猜疑心に満ちた目で、百合子を窺った。

 青年の言葉は正しく、境界点を消したいからという理由だけで、この地に逃げ込むことは不可解が多すぎる。なんせ、ここは魔神の住まう危険地区――地面を歩いてやって来ましたが通じる場所ではない。


「SSDは頼りにできない、……家族も」

「だろうな。でも、どうしてそれが、フロプトの所に行こうってなる?」

「……そう、だね。うちって外面的には、世界境界はあってもいい派、ってことになってるんだけど」


 隼人も百合子の本心を尋ねるように言葉を選んだ。隼人は手の中に収まっている百合子の手をぎゅっと握る。

 

 フロプト――、美濃が統べるレジスタンスは、魔神掃討機関に対立する組織だ。掲げる理念は゛人間と魔神の共生゛。魔神のエネルギー利用を批判し、共存を望む穏健派。

 とはいえ、数あるレジスタンスの中でも、メルトレイドを有している組織は片手で足りる現状を踏まえれば、平和な主張とは裏腹だと勘ぐられるのも仕方がない。


「貴方たち、世界境界を審判するんでしょ?」

「……うちの本来の在り方は知ってるってことか」

「黙って死ぬくらいなら、生きるための博打も悪くないわ」

「でも、どうやってここに俺達がいるって?」

「審判のことも場所のことも、情報官から、話を――」


 美濃の背後、建物の中から人が出てくる。


 その人物に目を奪われた百合子は、続く言葉を失った。

 救急箱を持って出てきた雅は、隼人にすがる百合子に「あら、こんにちは」と人の良い笑みで挨拶した。


「貴女っ!」

「もーそんなに汚くしちゃって、手当ての前にお風呂使う?」

「ちょっと! この人、軍人よ!?」


 告発するように雅の職業をばらす百合子は、少しばかり隼人に影響されたのかもしれない。

 しかしながら、告げ口先の少年は「知ってる、知ってる」と笑って流した。


「はぁ!?」

「そんなに興奮しないで、落ち着いてってば」


 雅はSSDで事務兵として情報分析官を務めている。


 指令室に缶詰になるオペレーターや、メルトレイドに搭乗しなければならなパイロットと違い、急遽な招集が滅多にない彼女は悠々自適に二重生活を送っていた。


 フロプトに属してる期間は、隼人よりも長い。美濃の補佐だ。


「雅、うちのこと話したのか?」

「ちょーっとだけね。でも、本当に来るとは思ってなかったから」

「鍵だとも?」

「えっ!? 相島のお嬢さんが鍵なの!?」


 場の空気が、混沌とし始めている。


 隼人は百合子の手を握ったままだし、百合子は雅と美濃とで視線を往来させている。

 詳細を聞きたがる雅に、美濃は溜め息しながら眉間をさすった。


 美濃はぺちり、と手の甲で雅の額を叩き、彼女を下がらせる。


 なぜか手を取り合ったままで座り込む少年少女。その女の方へと美濃は顔を向けた。


「とりあえず、客分としては受け入れてやる」


 百合子の瞳は意思の強さに輝き、品定めするかのような美濃をはね除ける。


「詳しい話は、その汚い格好を何とかしてからだ」


 よしきた、とばかりに腕をまくったのは雅で、風呂の準備のためか屋敷へと踵を返す。


「世話係はそいつ。……せいぜい仲良くやれよ」


 ふん、と鼻を鳴らした美濃は、世話係を言い渡した隼人と、未だに視線を外さない百合子を置いてさっさと背を向けた。


 鍵と言えば、世界境界点を消し去るために必要不可欠の存在。


 ゆえに、世界境界と境界線からは命を狙われるし、SSDからは手厚い保護を受けることができる。

 が、同時に取引材料にもなった。今回の百合子のように。


 フロプトは反政府組織であり、魔神をエネルギーにすることを反対しているが、世界境界点の存在は認めている。

 フロプトが掲げるのは、魔神と人間の共存。表向きは、の話であるが。


「本当に、世界境界点を消せる?」


 百合子の声は震えている。

 彼女はほとんど勢いだけでここへやって来た。自分の運命を自分で決めるために。


「人間と魔神の共生、それはフロプトの大義。実際、その大義のためにみんな活動してる」

「……」

「でも、それは真意じゃない」


 隼人は秘密を紐解くように、ゆったりとした口調で言葉を紡いだ。


「俺達は世界境界を審判する。そして、世界境界点を消すんだ。世界境界点はこの世界にあってはならない。人間のためにも、魔神のためにも」

「……」

「ようこそ、フロプトへ。俺は雛日隼人。よろしくね、百合子さん」

「…………名前で呼ばないで」


 強がる彼女に、隼人は柔らかく笑って見せた。


 本来のフロプト――世界境界点を消すための組織に乗り込んできた少女に隼人は逞しさを感じざるを得なかった。



 二週間前と今とを重ね、隼人は優しく視線を細める。


 身ひとつ、見知らぬ集団への身売り。最初はよそよそしく、一線を引くどころか、突破できぬ鉄壁を築いて身を守っていた。


 今や、フロプトに慣れ始めた彼女は、壁を作っていた鉄屑で女王の座を作り、自分らしさのままにある。


 見つめられていたのに気づいたのか、百合子は隼人に冷たい視線を返した。


「何よ」

「いやあ、かっこいいよね。百合子さん」

「はあ? 急に何よ。あと、名前で呼ばないで」


 不機嫌全開、本音を包み隠すつもりはないらしい。何をわけの分からないことを、と顔が言葉を発している。


「家出にしては、こう、一世一代、九死に一生的な?」

「自分の命がかかってるんだもの、その大げさな物言いに何ひとつ間違いはないわ」


 その行動力に隼人は素直に尊敬を示した。嫌味で言ったわけでもない。


 隼人は自分ならどうだろう、と考えて、無意味だな、とすぐに考えを頭から消した。生まれの問題はどうにもならない。


「゛ドール゛だっけ? 探し物は見つかりそうなの?」

「全然。この屋敷から出られないし」

「そりゃそうだよねー」

「私も軍のデータベースさらってみたけど、そんな兵器の名前はでてこなかったのよねえ」


 困ったような雅の言葉に、百合子は影を落とす。


「……私は何してたらいいの?」

「生け花、素敵だったよ。後でちゃんと見てくるね」

「ええ本当に! いいわよね、女の子がいるって!」

「……」

「一回、逃げ出したときは驚いたけど、それはもうやっちゃ駄目だよ」

「…………ええ、分かってるわ。二度としない」


 隼人は乾いた声で笑い飛ばしているが、実際は一事件であった。


 この屋敷の周辺は隼人――正確には、スレイプニルでなければ歩き回れない。美濃や雅でも、一歩、外に出てしまえば戻ってこれる確証はないのだ。


「百合子さんのこともあるし、第八境界点を一刻も早く消したいけど」

「貴方たち、ちゃんと探してるんでしょうね?」

「そりゃあ――」 

「もっと前から、ずっと探してんだよ」

「美濃君」


 がたり、と開いた席に美濃が腰掛ける。

 座るとほとんど同時、自動サービスのように紅茶が差しだされた。

 四人がけのテーブル、参加できる限界人数のお茶会は、奇妙すぎる組み合わせである。


「ほとんど事情も知らねーくせに、鍵だからってえらぶるんじゃねーよ」

「失礼な物言いをしないで」

「最近のガキって、何なんだよ。もれなく面倒くせーの」

「はいはい」


 美濃の小言は聞き飽きている隼人には、その重要性も聞き分けられた。


 例え、口調が荒くとも、挑発的な悪口ではなく、世間話の一環みたいな談話の場合もある。今回は後者だ。聞き流したところで、そう怒りはしない。


 しかし、上手く流せたのは隼人だけだった。


「面倒くさい? 健常なくせに、いい年して眼帯なんかして。貴方にだけは言われたくないわ」


 百合子には何か、触れるものがあったらしい。


 にらみ合う美濃と百合子。それを眺める隼人は、我関せずとお茶を啜り、雅はにこにこと経過を見守るだけだ。


 誰からも制止がかからず、悪口の応酬は聞くに堪えない。


「ちっ。世話係だろ、躾もしろ」


 終わりの見えない争いの矛先は、隼人に向けられる。


「いやいや。ペットじゃないんだから」

「美濃がお茶に付き合ってくれるなんて、珍しいわね?」


 話題転換に雅が「おかわりいる?」と新参加入の青年に尋ねると、首を振って断られた。


「ヒナ」

「はい?」

「昨日の罰だ。アイスワールドの整備しとけよ」


 お茶を飲みに来たのではなく、これを言いに来ただけらしい。


「ちょ、美濃君。俺、明日もテスト」

「馬鹿が一日前に頑張ったところで、大した成果はでねぇよ」

「馬鹿だからやるんでしょうが」


 一生懸命に美濃へと食ってかかるが、青年はどこ吹く風と隼人の意見を聞き流している。


 それどころか、隼人の言葉が止まった瞬間に「なら、教育番組見てないで、必死に年相応の勉強するんだな」と、釘を深く打ちつけた。


「……はい」


 反射的に隼人は腫れた頬に手を当てていた。


 遅刻の原因も、寝不足の原因も同じ。イオンのことになると、隼人は暴走機関車のようになる。


 出演している番組を繰り返し見て、書かれた英論文を必死に辞書や文法書を引いて訳す。ちなみに、日本語訳の論文も持っているので、その行動の意味は自己満足だ。


「美濃?」


 部屋に引き返そうとしていた美濃の足は止まっていた。


「行くぞ」と短く呟き、裏手の格納庫へと行くために方向転換をする。かつかつと響くブーツの足音は荒っぽく、苛立ちが感じ取れた。


「最近多いわねえ」


 頬に手を当て、眉を歪めた雅は、困ったと顔で訴えている。


「行くのはいいけど、今回も事前に張ってるとかじゃないの?」


 隼人は席を立たずに、美濃を見上げた。


 三人はそれぞれが何かを理解しているかのように言葉を交わしている。何も分からない百合子は自分以外の人間を見回した。


「警報、一ノ砥の放送の後じゃなくても、最近よく鳴るだろ」

「危険圏外の魔神確認?」

「その意味が知りたい」

「……鉢合わせ上等ってわけか」


 二つ返事で了承すると、隼人は美濃の背についていく。


「気をつけてね、二人とも」

「分かってる。心配しないで」


 雅は彼らとは反対の方向へ、屋敷へと足を進める。


 リビングから行けるもうひとつの部屋、隼人が帰宅したときに美濃が籠っていたオペレーションルーム。壁一面に機械を並べ、いくつものモニターが繋ぎ合って、大きな画面になっている。束になったコードが床を這い、肌寒いくらいの冷房を入れているそこは、雅の城で仕事場だ。


「じゃあ、いってきます、百合子さん。いい子でお留守番しててね」と笑顔で手を振った隼人に、百合子は言葉を返せなかった。


 何が起こっているか理解できない。


 雅は奥の部屋に消えてしまうし、男二人は格納庫の方へと言葉も交わさずに連れだっている。


 彼らの姿が見えなくなると同時に、それは鳴り出す。


 警戒警報。


 五段階のレベルに分けられたそれの、第二警戒レベル。郊外への魔神の出現。鳴り響く轟音を聞きながら、百合子はリビングに戻り、テレビの電源を入れる。


 どの民放局も国営放送に乗っ取られていた。


 そして、百合子はようやく事態を把握し始める。

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