第18話 死んだ過去に残された未来

「まあ、欲を言うなら、僕を拘束して情報を引きだす、くらいはした方がいいと思うけど」

「……参考にする」


 ばつが悪そうに口を噤んだ隼人に、未来は愉快そうな笑みを深くした。


 物騒な雑談は、ファミレスの中ではこれと言って目立ったりなどはしていなかった。


 他愛ない話。それこそ、天気だとか、洋服のことだとか、思いついたことを適当に二人は話題にしていく。きっと明日には何を話したかは思い出せないだろうが、楽しかったことだけは覚えているはずだ。


「未来、テレビ」と、隼人は会話の流れを断つ。


「んあ?」


 スプーンに山盛りのバニラアイスを口に運ぼうとしたまま、未来はテレビへと目だけを動かす。画面上、行方不明の少女の写真が、年若い少年の写真とすり替わっていた。


 むっと閉ざされた口、薄い茶色の癖っ毛、瞳は砂糖を焦がしたような茶色。赤色の軍服のにはテロップで〝軍部作戦課兵士〟と注釈がついている。

 本名が乗せられていないのは、ささやかな気遣いなのだろうか。


 直通電話番号が出され、情報提供者に賞金まで出す、という破格条件のテロップが流れていく。


「これって、出頭したら僕に賞金出たりしないのかな」

「そしたら、次はお前のおごりな」


 深い溜め息を飲み込むように、未来はスプーンを口に運ぶ。すぐに出ていく気はないらしく、他人事のようにテレビを眺めていた。


「あれ、いつの写真? すっげえ子供っぽい」

「入隊してすぐ」


 むすっとしているが、抗議の声を荒げないところからすると、本人もそう思っているのだろう。


 たった二年だが、この年齢なら二年での成長は、目に見えて変化するほどだ。写真と目の前の人物とを見比べても、写真の少年本人よりは、その兄に見える。

 軍服を着ていないせいもあるかもしれないが、あの写真では未来を見つけるのは難しいだろう。


「大きくなったね、未来」

「微笑ましくするのやめてよね」


 隼人も未来を急かすようなことはしなかった。賞金額を眺めながら、自分ならどうするかと考えていた隼人の邪推を咎めるように、テレビにノイズが走る。


 数秒で消えたが、その時にはチャンネルも切り替わったように、別の映像が流れていた。


 右上のLIVEの文字、映る青年の華やかな笑顔。


『こんにちは! 一ノ砥若桜アワーのお時間でーすよー』


 花が飛ぶような上機嫌、フルネームでの名乗り。

 テレビの前の視聴者に向かって、大きく両手を振って見せる彼は世界的有名人である。毎日と欠かさずにする放送の時間の長さはまちまちだが、開始時間はおおよそ決まって三時から四時の間だった。


「日本人って、危機感に欠けるらしい」

「なんだよ、急に」

「こうして、君臨者の放送にも慣らされてる。自分の身に危険が及んでないから」


 知らない者がいるとすれば、テレビという機器のない空間で、外界メディアと接触せずに生きる誰かだろう。


 彼のこの放送は、魔神の力を介して飛ばされている。相手を選ぶ精度はなく、日本中のテレビ放送を受信できる機器すべてに強制的に映されていた。


「すでに危険と隣り合わせなのに、自分は大丈夫、なんて思ってる」

「明日死ぬかもしれない?」

「明日は来ないかもしれない」


 未来は目の前に並んでいたアイスクリームを食べきり、口元を拭う。ようやく重い腰を上げる気になったのだろう。ずれていたサングラスをかけ直すと、簡単に身支度を整えた。


「気をつけて帰れよ」

「軍人に連行される以上に、気をつけることがあるの?」


 未来は自分のわがままが通せる限界を分かっていた。

 未来の年齢らしからぬ自制した考え方や、自分の仕事をまっとうしようとする姿勢を、隼人は純粋に尊敬していた。


 ――比べて、自分はどうだろう。

 遅刻はするし、足は引っ張るし、上司も怒らせてばかりだ。やる気はあるのだが、役に立たねば意味はない。

 勘違いではない鈍痛が、頬と胸に走る。


「隼人こそ、気をつけてね。最近、活動的なレジスタンスがいるみたいだから」

「それこそどう気をつけるんだよ。軍が頑張る仕事だろ?」


 未来は立ち上がろうと、少し浮かせていた腰を戻す。もう一度座った少年は、死刑宣告でもするかのように、深刻な表情をした顔を隼人へ寄せた。


「搭乗者を殺す、殺人廃棄物」


 先ほどまで、軍の作戦を気にもせずに通常音量で話していた少年とは思えない。それこそ嘘みたいな話を、内緒だと秘密めいて声を落とす。


「……旧世代メルトレイドのこと?」


 未来の遠回りな物言いを、隼人がずばり言い当てる。未来は首肯で解答をすると、「レジスタンスの連中、そんな風に嘲笑されてるあれを集めてる」と続けた。


「だから、そういう情報流すのよくないだろ」

「君が黙ってれば問題ないよ」

「……はいはい」


 隼人も自分が注意をする必要性はないのだと、知っていた。未来は多少、世間とずれているが、馬鹿ではない。


 しかし、言わずにはいられない。あまりにも無防備すぎる。こんなファミレスで、軍の機密が流されるとは誰も思わないのだろうが。


『では、堕落したみんなに刺激をあげるよー!』


 未来の言うように、隼人もその他大勢と同じく、少しも気に留めていなかった。ああ放送中だった、と若桜を再認識する。


 テレビの中の若桜が声を張ると同時に、紗耶香が三日で慣れた音が鳴り響いた。ポケットの中の携帯も緊急アラートを響かせていて、店内は騒音の嵐だ。


「ほら、こんなことがいつだって起こり得る」

「いつだって、っていうか、ここんとこは毎日だしな。一ノ渡の番組の後は基本的に鳴るし」


 言葉通り、やかましい警報がそこかしこから鳴り響くが、店内でうろたえる様子はない。がやがやと普段と変わらない。最近は頻繁になりすぎるせいか、人々の反応は慣れきっている。


 夕暮れになる時報と、同系列程度にしかとらえられていない。


 人のことを言えた義理もない。二人も至って平然としていた。


「警戒レベル一、第二種警報」と未来が呟く。


 隼人は頬杖をつきながら、記憶を呼び覚ましていた。二年前、確かに覚えたはずの知識は頭のどこかに眠っているはずだ。


「えーと、一の二は、境界影響圏外、居住区閣外で監視区内での魔神確認?」

「その通り。もう一般人のくせに、よく覚えてたね」


 実際、避難が必要ならば、その都度に旨を伝える音声が入るようになっている。警報を聞き分けなければ鳴らないのは、軍職か政府の人間くらいのものだ。


「幻聴聞こえるほど聞いたんだ。簡単に忘れるかっての」

「ああ。入学試験の……」


 遠くない過去を思い出す。ふと、未来はある事実を思い出して首を傾げた。


「君、技能一本で受かったんじゃなかった?」

「……」

「努力は無駄だったんだ。可哀想に。幻聴になるまで聞いたのにね」

「うっせ」

「ちなみに僕、知識試験は満点だったよ」


 未来はポケットからSSD支給のスマホを取り出すと、落としていた電源を入れる。待ち構えていたとばかりに、小さな端末が着信を訴える。

「はい、須磨。――うん、聞こえてるよ」


 隼人はそんな未来を横目に、自分の携帯端末を取り出す。

 警報アラートを解除して、待ち受け画面に戻る。着信が一件。


「現在地のGPS辿って、遠隔指揮車両回して」


 指示を伝え、通話をしながら、未来がようやく席を立つ。


「隼人」


 わざわざ携帯端末を口元から外した未来は、真剣な顔をしていた。一般市民を守る職についている人間の顔。


「警戒レベル三がなったら、シェルターに避難、だけ覚えとけば生きていけるよ」 

「あの最強にけたたましくて、甲高いあれか」


 それに関しては、思い出すまでもなかった。聞けば、一発で身の危険を感じるような、心臓に悪い音。脳裏で流れた騒音に顔を顰める。


 できれば、実際にも聞きたくない。


「じゃ、またね。隼人」

「おー、またな。未来」


 残された隼人は、未来の背中が店から出るまでを見送ることもせず、スマホをいじる。

 一番上の着信履歴へと折り返した。ツーコールで通話状態になったが、相手の名乗りは聞こえない。

 一度、耳から離し、携帯画面を確認してみたが、ちゃんと繋がっていた。


「出るの?」と短く尋ねれば『いや』と更に短い音で返される。


『SSDが張ってたらしい。今から行っても事後処理に鉢合わせだ』

「張ってた?」

『ああ。放送に合わせてくる、と予期してたにしては、行動が迅速すぎる』


 電話の向こう側、美濃は軍の行動に納得いかないようだ。


 隼人はついさっき出て行った友人の影を追うように、外へと視線を向けた。あまりにも早すぎる、今回の対処に未来は関与していないのだろうか。


『まあいい。すぐ戻れ』

「え、すぐ? 出ないんでしょ?」

『戻れ』


 一方的に切れた電話に、耳元で無機質な通話終了を伝える音が鳴っている。画面を眺めても、通話時間が残るだけで、他に何も現れはしない。


 傍から見れば変な行動だと分かっていても、隼人は頭をテーブルに預けずにはいられなかった。


 そして、視界に入るはずの伝票がないことに気付く。

 未来が得意げに笑うのが見えるようだった。


 もう一度テレビを見ると、再開したニュースが元帥の孫娘の情報を提示していた。


 ――品行方正、友達付き合いに問題もなく、学校での生活態度も非常に芳しかった。御三家の一家としての自覚を持ち、高潔としていた道徳心を持った人。

 家出では決してない、という主張の一点張りだ。


 それから反軍組織の仕業ではないか、と話が転ずる。アナウンサーの口調も相まってか、事態は最悪で、レジスタンスは善良な民間人にまで手を出す悪党という印象を受ける。


 隼人は頭を起こし、頬杖をつきながらテレビから発信される情報に聞き入った。


 深海のような黒髪に黒目。

 彼女の名前は、相島百合子。


 他人の目を気にすることなく、少年は盛大に溜め息を吐いた。

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