八番の鍵

第16話 つかの間の平和

「今回は自信あるっ!」


 浩介は後ろ歩きをしながら高らかに叫んだ。器用な足取りは進行方向を向いていないというのに軽やかである。

 彼の視線の先には、どこか呆れ顔の友人が二人。

 隼人と紗耶香、そして浩介。向かい合って歩いている三人は、下校の最中だった。


「特に数学!」


 浩介は自信満々に、ぐっとこぶしを握り締める。


「九割はいった」


 新しい年度が始まり、最初の学期の最初のテスト。三日間にわたる一日目を終えた学生は、反省もそこそこに明日への課題に頭を悩ませる。

 学校を出てすぐの道には三人以外の学生の姿もあるが、浩介のように既に開放感に溢れている学生は稀であった。


「まあ俺にかかれば余裕だな。楽勝、楽勝」


 浩介は明日のことなど関係ない、と今日に心酔していた。相当に自信があるのか、へらへらとした表情は、自分の意志とは関係なく浮かんでいるようだ。


 上機嫌な彼を前に、隼人と紗耶香はちらりと顔を見合わせる。


 有頂天な彼の根拠なき自信は、今だけの期間限定。この後、どうなるかは二人がよくわかっている。


「安心しなさい、浩介」

「うんうん」


 それぞれが少年の肩を叩く。まるでクビ宣告のようだ。


「俺が言えた義理じゃないけど、伊野の自信ある! からの一連の流れはもうテンプレじゃん」

「そうそう」

「自信が粉々に砕け散る前に、覚悟しといたほうがいいって」

「それでもって、気晴らしのカラオケに付き合わされるのね。私たちは」


 ぴたり、と少年の笑顔と足が同時に止まった。


 浩介の頭になんとなく浮かんでしまった未来予想は、決して明るくない。口元の緩んだ二人が、動きのない彼を置き去る。


「隼人はどうだったの?」

「俺? ギリで赤はまのがれたはず」

「……いっつもそれよね。ほんとにギリだし」

「いいのいいの。補習さえなければおーるおっけー」


 紗耶香が日本に戻って一週間。

 帰国の当日を思い返すと、紗耶香にはまるで童話のようだった。花の妖精もしゃべる猫もお菓子でできた家もなかったが、王子様だけはいた。


 刺激的で特別な体験。


 首筋の痣はもう消えていて、痛みなどはもっと早くになくなっていた。

 帰国からの七日間は、魔神に襲われたことへの恐怖を癒し、忘れかけていた生活習慣を立て直すのには十分な時間であった。

 今やすっかり三か月前の日常に舞い戻っている。


「ちなみに私はねー」

「軽く俺の二倍はとるって知ってるよ。ちゃんと」


「三倍の間違いだろ」と後ろから茶々が入った。再起した浩介は自分のことなど棚に上げて、隼人をおちょくるのに忙しい。


 学校近辺の道を歩く三人の周辺には、当然に同じ制服を着込む学生が多くいる。下校している集団に紛れる彼らは、何の変哲ない。誰の目を奪うこともない。


「軍人?」


 が、その中を軍服が駆け抜ければ、誰しもの関心を奪うだろう。 


 騒がしい足音が隼人たちを追い越していく。周囲も突然に現れた濃紺を気にしているようで、軍服の行く方向へと同じように視線を走らせれば、道端で集会する数人が目に入った。


「珍しいな。あんな目立つとこで集まってる」

「ただの哨戒じゃないの? この前みたいなこともたまーにはあるんだろうしさ」


 隼人の言うこの前とは言わずもがな、彼らが巻き込まれた些細な事件である。あわや面倒な事態になりそうだったことを思い出し、隼人は僅かに眉を跳ねさせた。


「……青、青、青」

「紗耶香、そんなに頑張って目ぇ開いても、白服はいねーよ」

「見えたら見えたで、妄想末期だからね」


 紗耶香は条件反射のように、横の少年に戯れな体当たりをする。

 少しだけ傾いた隼人は、仕返しにと身体を切り返すが、一歩下がった紗耶香は簡単に避けて見せた。


 隼人の行動など、手に取るように分かるらしい。


「にしても、何だろうな?」

「一ノ砥の放送はまだだし」

「あの警報……。ほんとに三日で慣れたわ」

「なー、言ったろ?」


 物々しい雰囲気は遠巻きにも伝わってくる。


 無線を片手に、集団と向き合う一人が「解散」と声を張り上げれば、蜘蛛の子を散らすように軍人たちは方々へと離散する。


 自分たちとすれ違う方向に駆けて行く軍服を目線で追って、三人は顔を見合わせた。


「つうか、ここんとこ、放送の後以外でもよく鳴るよな?」

「そうなの?」

「っていうか、放送見てないから、放送後の警報がどれかも分かんないや」


 例え、非日常的光景であろうとも、自分に関係なければそれまでだ。


 好奇心はうずいても、首を突っ込むなど一介の学生には無理な話である。いや、この三人にはできないこともないかもしれないが、それを強行するに見合う理由はない。


 きっと明日には、他愛ない話題の一つとして上がるだろうが、昼も過ぎれば、テストの話題で忘れ去られる。


 それだけの出来事にすぎない。


「じゃー、俺、これから予定あるから」


 隼人は立ち止って、へらりと笑った。


「なんだよ、デートか?」

「うっそ! 私がいない間に彼女できたの!?」

「美人科学者のストーカーも、とうとう卒業か」

「ファンだってば。ストーカーじゃないっての」


 浩介は腕を組み、極秘情報を漏らすように、あくどい含みのある顔で「知ってるぜー」と隼人に詰め寄る。


「図書委員に立候補したのだって、軍の会報仕入れてもらうためなんだろ?」

「……誰に」


 聞いた、と続く前に、にたにたと笑った浩介が肩を組んでくる。


「司書さん。安心しろよ。引いてなかったぜ。軍にあこがれる可愛い男の子、って思われてる」

「それはそれで嫌なんだけど」

「ま、今まさに、紗耶香はどん引きしてるけど」


 少女は嫌悪感を露わに、半眼で隼人との距離を取る。

 少年の執念に近しい憧れに、唖然とする意外に何ができようか。


「佐谷にひかれても、心のダメージはない」


 本当に気に留めていないのだろう。隼人はけろりとした顔で、まとわりつく浩介を剥がす。


「つうか、さ、マジでデートだとして」

「だから違――」

「その顔で行くのは、やめとけよ」


 急に真面目な声色になった浩介に、隼人はきょとん、と話しについていけていないような顔をした。それから、目線で自分の頬を言っているのだと理解し、苦笑した。笑うしかない。


「……本当に大丈夫なの? いつ見ても痛そう」


 控えめに心配を告げると、紗耶香も顔を顰めた。まるで自分の頬が痛むとばかりの表情である。


「これは俺が悪かったんだ。自業自得」


 隼人は両手で腫れる両頬をさすった。内出血に青くはならなかったが、うっすらと赤く膨れ上がっている。触れれば、ひりりと肌が熱帯びているのが分かった。


 そのまま困ったように笑うと、隼人は別れの挨拶代わりに手を振った。

 これ以上の詮索を拒否するかのようで、追求しても無駄だと悟った二人は少しだけ不満そうにする。


 しかし、隼人はその無言の訴えも見えないふりだ。


「じゃあな、隼人」

「また明日ねー」


 二人が背を向け、自分を置き去っていくのを見届けてから、少年は踵を返した。隼人が行く場所は、ここからだと学校の方向に戻らねばならない。

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